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野中郁次郎氏著の『企業進化論』という書籍を紹介する。

学生時代に、私は、この野中郁次郎著『企業進化論』という書籍を三回読破しました。私の経営学の起点とも言える書籍です。

ヘンリー・フォードは偉大な経営者でした。そして、元来革新的な思考の持ち主でした。自動車が、馬なし馬車(ホーレス・キャリッジ)という概念で捉えられていた自動車産業の初期にあって、自動車市場は、贅沢という概念で定義されていました。そういう時代に、フォードは、高級車市場ではなく、大衆車市場にこそ真の潜在成長力があると見抜きました。フォードは、1908年に世紀の名車「フォードT型」を発表しました。余分なものは一切はぶいた実用一点張りの強靭な(パナジウム鋼の使用)車でした。モデルT一車種に生産ラインを集中し、治工具・金型・専用機の開発と作業・工作工程を同期化した効率的な移動組立方式を確立することによって、ドラスティックに価格を下げ、車を大衆の足にしました。低価格で操作が簡単で絶対に信頼できるユニバーサル・オートモビルという製品概念から論理的に出てくるT型フォードのデザインは、できる限りベーシックでシンプルで統一カラー(黒)というものでした(15頁参照)。このT型フォードは大ヒット商品になりました。

このT型フォードの独占に挑戦したのが、GMの中興の祖・アルフレッド・スローン二世でした。スローンの採った手段は、フォードの黒一色のモデルTを否定し、「あらゆる財布あらゆる目的あらゆる人間に合った自動車」というフルライン・ポリシーでした。価格に基づき市場細分化政策を確立したのです。自動車は単なる輸送手段として乗り回されるものではなくなったことを見抜き、ステイタス・シンボルとしての性格を、スタイリングに反映させたアニュアル・モデル・チェンジを自動車産業に導入しました。さらに、フォードの一車種大量生産方式に対抗するために、できる限りの「部品の共有化」を基礎にした多車種大量生産方式を確立し、より市場多様化にマッチする生産方式を確立しました。元来、二律背反と考えられていた「大量生産」と「多車種」の矛盾をより高い次元で統合したのです(22頁参照)。それでもなお、フォードは価格を最も戦略的に重要な競争要因と考えていました。社内外を問わず関係者はフォードに警告しました。しかし、フォードは頑として聞きませんでした。1927年から1928年にかけて、フォードは経営とマーケティングの弱さを曝け出し、沈滞の淵に沈みました。1927年5月にやっとT型フォードは生産中止となったのです。利益減はもとより、最大の損失はトップのマーケティングシェアの座をGMに奪われたことです(21頁参照)。この事例からの教訓は、一度強烈な成功体験をすると、その成功体験の呪縛から解かれることが困難だということ。アンラーニング(学習棄却)の重要性です。次に、常に企業は自己革新していかなくてはならないということ。パラダイムの変革の重要性です。次に、創造とは、二律背反と思われていたものの融合ということです。

経営戦略は発展しました。経験曲線の発見(39頁参照)からPIMSプログラム(45頁参照)、プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(48頁参照)、マッキンゼーの戦略的事業計画グリッド(54頁参照)へと経営戦略は精緻化していきました。しかし、平均的な米国企業では、戦略の分析に関心が行き過ぎて、一方で戦略スタッフの机上の計量分析の過大重視と、他方で組織全体の戦略実行力の欠如という傾向が目立つようになり、この状態が「分析麻痺症候群」と揶揄されるようになりました(83頁参照)。『エクセレント・カンパニー』の著者であるピーターズ&ウォーターマンは、米国の高業績企業は分析的戦略に基づく経営というよりは、企業内の組織単位が自律的な試行錯誤の実験を通じて、実践的な戦略が生み出せるような行動指向の組織や文化をつくりあげていることを発見しました(121頁参照)。人間には情報を処理する能力だけでなく、情報を創る能力があります。組織の効率性から創造性が求められている今日、人間の本質は情報あるいは秩序を創造するところにあるのです(123頁参照)。

一方、バイオホロニックスの領域でも、清水博氏を中心とする学者が、生きるということの生命現象の普遍的な原則を究明し、それを多様な有機体に拡張する努力をしています。そこで、生きることの中で「ゆらぎ」の意義が極めて重要であると主張しています。ゆらぎとは、一口で言えば統計的な平均からのズレですが、生きているシステムは自由度を有しているので平均からズレているのです。清水氏に拠れば、生命を持つシステムは自己組織化システムであり、その特徴の一つは、構成要素に自主的なゆらぎが許されていることです。このような自主的な振舞いを持った要素をホロン(全体子)というが、それはただ勝手にランダムにゆらぐわけではなく、相互に情報を感じて協調的に振舞うという重要な性質を持っています。このためまわりの要素と協調して自然に秩序を創りだしていく自己組織化の能力を持っているのです。このセルフ・オーガニゼーションされる秩序が構造でありますが、この構造の形成に、絶えず「個」が積極的に関与するところに特徴があります。「個」は「全体」に発展力が残っている時には、固定化している秩序を破るような現象が出てきます。これは生物進化の上で言うと、突然変異に相当するもので、これは「全体」によるゆらぎの採用です。このゆらぎの中でいいものが淘汰されて定着していきます。そしてその分だけ構造秩序が変わっていくのです。これは一種のゆらぎによる安定化です。セルフ・オーガナイジング・システムの最も重要なことは、秩序が上からの命令で作られるのではなく、構成要素の協同作用によって下から生み出す、つまり自ら情報を創造することなのです(128頁参照)。

以上のような生物進化を企業進化に応用したのが、野中郁次郎氏の企業進化論です。適応力のある組織は、絶えず組織内に変異、混沌、緊張、危機感などを内発させ、組織の構成単位の選択多様性、迷い、あいまい性、遊び、不規則な変化(ランダムネス)、不安定性などを発生させています。このような多様性、迷い、遊び、ランダムネス、あいまい性、不安定性などを総称して「ゆらぎ」と言います。組織は進化するために、それ自体を絶えず不均衡状態にしておかなくてはなりません(134頁参照)。進化の全体的な進路の決定因として重要な役割を果たすのは、内面的に統制された、あるいは目的志向的(テレオノミー)な行動変化を起こす能力です。目的志向的淘汰とも言うことができます。進化は、組織の各レベルで、確率論的、決定論的および目的論的な側面が結合する組織のあらゆるレベルのダイナミックなプロセスと見ることができます。企業が継続的に自己を変革し、創造的な環境との相互作用を行っていくためには、偶然創出のプロセスと必然化のプロセスだけでは十分ではありません。そこに、「目標」が介在しなければならないのです。テレオノミー(目標志向性)とは、方向性についての価値のことです。進化は元来主体的かつ創造的なものです。組織も進化するためには、「こうなりたい」というビジョン(その典型はドメインやミッション)を持たなければなりません。ビジョンがないと、社員にとって一体どういう会社にしたいのか、どんな情報や思考・行動様式が必要なのか伝わりません。このビジョンはできるだけ緩い形で、現場が自律的に解釈できる余地を残す方が望ましいです。セルフ・オーガナイジング(=自己組織化)の基本は自由を前提にした秩序形成にあり、初期段階で方向をあまりきちんと示してはいけません(152頁参照)。

セルフ・オーガニゼーションとは、新しい秩序、すなわち情報を主体的に創る組織であり、その特色はゆらぎとリズムにあります。ゆらぎの増幅は情報創造への追い込みであり、リズムづくりは情報創造過程の多様化と同期化(引き込み現象、共鳴現象)の促進です。自己革新組織の基本は、情報創造への追い込みとそのプロセスの多様化・同期化のサイクルをスパイラル(螺旋状)に向上されていることです。情報が創られることによって発想の転換が起こり、それが新たに知識化され、新たな組織構造や管理システムと行動様式の生成に繋がります。この新たな組織構造や管理システム、行動様式が更なる情報の獲得と創造を促進することになります。その全過程が企業の進化ですが、その起点にあるのは情報の創造です(228頁参照)。要約すれば、ゆらぎゆらぎの増幅引き込み現象自己組織化(自己超越)というプロセスをスパイラルに経て、企業は進化して行くのです。

この野中郁次郎氏著の『企業進化論』という書籍の中で興味深いは、決定論と確率論の記述です。「決定論的世界像では、ひとつの原因から必然的に導かれる結果とが繋がった単線的な道筋になります。そこではベストは一つしかない世界です。しかし、非決定論的な世界(確率論的世界)は、一つの原因に対して複数の結果が可能性として対応するゆらぎの多い、かつ先の見えない世界です。その可能性のどちらへ進むかは、全くの偶然が決めます。創造プロセスにおいては、偶然のもたらした分岐点で方向を選択するのは、我々の「意志」なのです(260頁参照)」という文章です。未来は決して始めから決まっているものではなく、絶えまぬ努力をした人間の意志が創造していくもの。偶然という機会を手にするのは、努力をして常に掴もうとしている人間の手に収まるものなのです。