磯貝芳郎・福島脩美共著の『自己抑制と自己実現―がまんの心理学―』という書籍を紹介する。
我慢とは何かを心理学的側面から記載しているのが、磯貝芳郎氏・福島脩美氏著の『自己抑制と自己実現』という書籍です。我慢には色々な顔があります。顔が一つではないということは、その中身も複雑だということを意味しています(3頁参照)。
我慢は四つの顔を見せています。一つは待機の我慢、二つは苦難に耐える我慢、三つは謙譲の我慢、四つは粘り、根気の我慢です。こうなると我慢には一体幾通りの顔があるのか、疑心暗鬼に駆られて、つい辞書を開いてみました。すると驚くべきことに『広辞苑』には、予想もしなかったような意味が第一義として載っているのです。「自分をえらく思い、他を軽んじること。高慢」。そして第二義として「我慢を張り他に従わぬこと。我執。強情」。そして私達に親しい「堪え忍ぶこと。忍耐」というのは第三義です。さらに続いて「入墨のこと」という意味があります。これだけ多くの表情を持っているのです(4頁参照)。
色々な顔があると書いたけれども、色々あるのはあくまでも顔・表情であって、本体ではありません。はたから見ると悲劇的な運命に忍従している人の心の底には、天をも恐れぬ高慢さが、あるいは人には見せぬ強情が、潜んでいるのかも知れません。自己主張の上手な人は我慢上手ということがあります。また高慢この上ないと見られる人も、心の中では何かにひたすら耐えていることがあるのでしょう。その反動形成としての高慢さかも知れません。表面の現れ方はそれぞれ違うけれども、その奥では一つに繋がっています。ものの根っこは同じというのが、「我慢」という心理現象なのではないでしょうか。問題はその根っこにあるものをどうやって探り出すかということです。我慢への切り込み口はどこにあるのか。根っこは一つだとしても、単純な一つのものではありません。幾つかの顔を見せるくらいですから、かなり複雑な心の複合体であることは間違いありません。感情複合(コンプレックス)ということがあります。これは情動的な色彩を帯びた観念の集まりを指しますが、それとも違います(5頁参照)。
心理学の分類の仕方で言いますと、心は知・情・意の三つに分けられますが、我慢はどのどれにも絡んでいるようなのです。我慢が心理現象であり、人間の行動の一つであるからには、その源は欲求です。もっとも欲求というのは心理学で使う独特の抽象的な概念であって、具体的には動因とか動機づけであり、もっと日常的には、欲望とか願望と同じように考えてもらってもいいです。何らかの障害があって、欲求不満の状態になるか、幾つかの欲求が同時に重なりあって、葛藤を生じるかであります。このあたりに我慢の発生する源がありそうです。しかしそれを私達はまだ我慢とは呼んでいません。欲求不満耐性や葛藤の克服とかの呼び方をしています(6頁参照)。我慢という言葉が使われる時には、欲しいもの、やりたいことを遮る、何か別のものや行為があって、そのどちらを選ぶかという選択に迫られています。ただ一つだけの欲求ないし動機に支配された行動は、情動的行動と言って、我慢とは関係ありません。しかし幾つかの動機があって、そのいずれを優先するかが問題になり、困難な状況を待ち構えている方の行動を選択し遂行する場合に、我慢強いと言われます(9頁参照)。