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田中三彦・吉岡佳子共訳・アーサー・ケストラー著『ホロン革命』という書籍を紹介する。

これは私の思想の核をなす書籍です。

「ホロン」はアーサー・ケストラー氏の造語です。「下から」見るか「上から」見るかで全体とも部分とも表現しうるヒエラルキー中間レベルにあるヤヌス的実在をホロン(holon)と定義しました。ギリシャ語のholos(=全体)に添字onをつけたもので、onはproton(陽子)、neutron(中性子)のように粒子または部分を暗示したものです。アーサー・ケストラー氏の述べるヒエラルキーは、様々な柔軟性と自由度を持ったホロンで構成されていて、ホラーキーとでも言えるものです(64頁参照)。還元主義とホーリズム(全包括論)を超え、両者の有効な面を併せ持つ第三の方法が必要になります。全体と部分の関係という一見抽象的だが基本的な問題を考察しています。「部分」は「それだけでは自律的な存在とは言えない断片的で不完全なもの」を暗示します。一方、「全体」は「それ自体完全でそれ以上説明を要さないもの」と考えられています。しかし深く根をおろしたこうした思考習慣に反し、絶対的な意味での「部分」や「全体」は生物の領域にも、社会組織にも、あるいは宇宙全体にも、全く存在しません(55頁参照)。これがアーサー・ケストラー氏著の『ホロン革命』という書籍の根底に流れるホロンという概念です。

生物は要素の集合体ではありません。また生物の行動を「行動の原子」(一連の条件反射を形づくるもの)に還元することはできません。体という側面を見れば、生物は循環器系、消化器系などの亜全体で構成される全体であり、その亜全体は器官や組織など、より低次の亜全体に分岐し、さらにそれは個々の細胞に、その細胞は細胞内の小器官に・・・・と次々分岐していきます。有機体は亜全体が層をなすマルチレベルのヒエラルキーなのです。生物のヒエラルキーの構成メンバーのひとつひとつがどのレベルにおいても亜全体、すなわちホロンであることです。それは自己規制機構とかなり程度の高い「自律性」(あるいは自治性)を備えた安定した統合構造です。例えば、細胞、筋肉、神経、器官など全てがそれ自身に特有のリズムとパターンを持ち、それらはしばしば外部からの刺激なしに自然発生的に表にあらわれます。つまり細胞も筋肉も神経も、ヒエラルキーの上位に対し、「部分」として従属していますが、同時に準自律的な全体としても機能します。まさに二面神ヤヌスなのです。上位に向けた顔は隷属的な部分の顔、下位の構成要素に向けた顔は極めて独立心に富んだ全体の顔を持っています。それらは必要に応じ、互いに交替して機能します。主要な器官は皆、様々なタイプの調整機構やフィードバック制御を備えています(55頁参照)。

ホロンにおける創造的進化を支える概念には、ゆらぎ(412頁参照)、共鳴現象[物質的な因果律と共存しながら、多様性の中に統一をもたらそうとする非因果的な原理が作用しています。選択的に作用し、似たもの同士を空間的、時間的に一点に集合させます。それに親和力、あるいは同じ波長で振動する音叉のように、ある種の選択的共鳴によってお互いを結びつけます](423頁参照)、自己組織化(437頁参照)、トリーガー[パターン化された一連の刺激<つまり機能的ホロン>を解き放ちます。するとそれが引き金になってサブパターンが活性化され、次々と同様のことが起こっていきます](93頁参照)、バイソシエーション[ケストラーの造語で常に二平面以上で働く創造的な精神活動。互いに相容れない二つの思考基準の中に同時に存在すること](187頁参照)、合目的性[生物は目的や計画を与えられた物体です。生物はその構造と機能をもって、計画的にある目的を実現し追求していきます](308頁参照)[目的性という言葉を生物に適用する場合、それはランダムではなく、ゴールを目指した活動を、固定的で機械化された反応ではなくて、ゴールに達しようとする柔軟な戦略を、その生物独自のやり方による環境適応を、またその生物自身の要求に合わせた環境の順応を意味しています。その目的設定者とは、生命そのもの始まりから限られた可能性の中で最善を尽くそうと懸命に試みてきた各生物体に他なりません](343頁参照)、ホメオタシス[恒常性](75頁参照)、ネットワーク[樹枝化と網状化は、生物構造、社会構造における相補性原理です](82頁参照)、シントロピー[負のエントロピー、あるいは生命躍動](362頁参照)などがあります。個々の用語の意味を把握するだけでも頭の中で自己組織化(=要素間に繋がりができて、全体として統合すること)が起き、ホロン的進化のイメージが把握できるものと思います。

アーサー・ケストラー氏著の『ホロン革命』の中では、進化論の変遷についても触れてありました。突然変異、自然選択のダーウィンの進化論(266頁参照)と獲得形質のラマルクの進化論(313頁参照)を紹介しています。キリンの首が長いのは、木の枝の高いところにある葉を絶えず食べようと努力したからというロジックです(『生物進化を考える』木村資生著 8頁参照)。ダーウィンの進化論とラマルクの進化論は、木村資生氏の『生物進化を考える』という書籍でも紹介されています。

創造とは、精神は知識を捨て、かわりに新しい純粋な目と柔軟な思考を獲得し、それによって隠れた類似を発見したり、いつもならとても受け入れるはずもない思考の組み合わせを考え出すこと(244頁参照)。無意識の暗中模索の中で新たな発見をもたらす適切な組み合わせを見つけることです(249頁参照)。発見に伴う「分かった」の叫びAha!反応を起こします。ちなみに、この書籍では、笑いは、HaHa反応、美的な体験の喜びは、Ah反応と述べています(212頁参照)。私が読書が大好きな理由のひとつに、このAha!を体験できるからです。書籍を読んでいると、何かが見えてくる瞬間が訪れます。Aha!と思える時があるのです。このAha!の体験がとても心地よく、読書の虜になったと言っても過言ではありません。

アーサー・ケストラー氏著の『ホロン革命』という書籍の中で印象的な文章は、「自己を完全に知ること、すなわち知るものと知られるものが一致することは、常に視野の中にありながら、決して辿りつくことができないものです。それはヒエラルキーの頂上を極めることによってのみ可能ですが、その頂上は常に登山者よりも一歩先にあります(385頁参照)」です。自分を自分で知ろうと思っても常に実体の自分と精神の自分にずれが生じています。人間というのは決して捕まえることのできない鬼ごっこをし続けなくてはならない悲しい存在なのです。とても哲学的に深い文章です。もう一つの印象的な文章は、「生物学的な不調和によって生じた病める文明は、いずれ自らの死刑執行人としての役割を演じ、汚染された惑星から消滅していきます。しかし、これを、そして他の精神衛生テストをうまく切り抜けて生き延びた文明は、半神半人的な宇宙のエリートになるだろうし、すでにそうなったものもあるかも知れない(461頁参照)」です。人類の科学水準が人類の手に負えないほどに高まり、その運用に関して、人類が平和に利用できずに滅びたとしても、それは愚かな人間の宿命なので仕方がないという意味の文章なのですが、この文章には反語が含まれていて、人間がそのような愚かではないことを願っているアーサー・ケストラー氏の深い思いが込められているのです。

この『ホロン革命』という書籍の素晴らしいところは、生物界・無生物界を問わず、あるいはミクロ・マクロを問わず、あるいはまた有形・無形を問わず、全ての事象に適用できる一般システム論を提示したことです。今日よく見られるタレント的科学者の「私的な」あるいは「適応範囲の狭い」科学哲学とはひと味もふた味も違います(466頁参照)。生きているシステムへの深い考察から普遍的な一般システムの論理を導きだしました。事象に対するモノの見方、考え方を提供してくれるバイブルになりうる良書です。この書籍は万人が読んで欲しい優れた書籍です。