吉福伸逸・田中三彦・上野圭一・菅靖彦共訳、フリッチョフ・カプラ著『ターニング・ポイント』という書 | 松陰のブログ

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吉福伸逸・田中三彦・上野圭一・菅靖彦共訳、フリッチョフ・カプラ著『ターニング・ポイント』という書籍を紹介する。

フリッチョフ・カプラ氏著の『ターニング・ポイント』という書籍は、西洋思想と東洋思想の融合をはかり、機械論的な世界観の限界を説き、新しい統合的、全包括的な世界観ないしアプローチを提唱した書籍です(710頁参照)。

今日の社会的な変化は、極めて大きなそして必然的な文化的変化のあらわれであるという事実を認識し、その認識を広く共有することが必要です。その時はじめて私達は、人類最古の知の書である中国の『易経』(変易の書)に記されている調和のとれた、穏やかな文化移行を実現することができます(43頁参照)。フリッチョフ・カプラ氏著の『ターニング・ポイント』では、文化的価値と姿勢に関する議論に際して、『易経』でこと細かく展開され、しかも中国思想のまさに根底にある思考の枠組みを広く使っています。この枠組みは、絶え間ない周期的な変動という考え方にその基本がありますが、そこには、宇宙の根源的なリズムを引き起こす二つの原型的な極、陰と陽という概念があります。古代中国の思想家は、絶え間ない流れと変化のプロセスをこの世の姿と看做し、その究極的本質を「タオ」と呼びました。私達が目にする現象は全て宇宙的プロセスの一部であり、それ故それらはみな本質的にダイナミックであるというのが古代中国の思想家の考えです。タオの中心的特徴は、その間断なき動きが周期性をもつことです。つまり、心理的あるいは社会的領域は勿論、物質界も含め、この世のあらゆる動きはみな周期的なパターンを示すとみます。そして古代中国人は陰と陽というあい対する極を導入し、この周期性の概念に明確な構造を与えました。陰・陽は変化の周期に制約を加える二つの極なのです。「陽が極まれば陰にその場を譲り、陰が極まれば陽にその場を譲ります」。古代中国人は、この二つがダイナミックに相互作用することで、タオが様々な形をとって現れると考えました。この二つの原型的な極は、自然界や社会生活に見られる多くの対立イメージと結びついています。しかしここで重要なことは、この二つの極が異なったカテゴリーに属すものではなく、一個の全体の中の両極にすぎないという点です。あらゆる自然現象はこの二つの極の間で揺れ動く連続的な変化の現れであり、その移り変わりは緩やかに、かつ間断なく起こると看做します。自然の秩序は、陰と陽のダイナミックなバランスなのです。フリッチョフ・カプラ氏は西洋の人間がこの言葉を使う時は、そこに大抵文化的先入観があって、本来の意味が著しく歪められている場合が多いと述べ、最も優れた解釈の一つは、マンフレッド・ポーカート氏が中国医学の包括的な研究の中で示したものだと、ポーカート氏を紹介しています。ポーカート氏に拠れば、陰は収縮的、反応的、保守的なことと対応し、陽は膨張的、積極的、先鋭的であることを意味します。例を挙げれば、地球(陰)天(陽)、月(陰)太陽(陽)、夜(陰)昼(陽)、冬(陰)夏(陽)、湿気(陰)乾燥(陽)、涼しさ(陰)暖かさ(陽)、内面(陰)表面(陽)などになります。中国文化では、決して陰・陽が道徳的価値と結び付けられることはありませんでした。善しとするものは陰でも陽でもなく、両者のダイナミックな調和であり、悪しきもの、害あるものは、その不調和です(45頁参照)。


古代中国文化の最も重要な洞察の一つは、活動(荘子はそれを「絶え間なき変化の流れ」と言った)は宇宙の本質的な側面であるという認識です。この考えでいけば、変化はある種の力が作用した結果として起こるものではなく、あらゆる物ごとに内在する自然の傾向であるということになります。宇宙は間断なき動きと活動の中に、つまり中国人がタオ(道)と呼んだ絶え間ない宇宙のプロセスの中にあります。中国人が言う無為とは活動を絶つことではなく、ある種の活動、すなわち絶え間なく進行する宇宙のプロセスとの調和を逸脱するような活動を断つことを意味しています。中国の研究家として名高いジョセフ・ニーダム氏は、無為を「自然に反する行為を慎むこと」と定義し、その解釈の正しさを『荘子』からの引用によって説いています。「無為とは何もしないで黙っていることではありません。万事を自然のままにまかせ、その本性を満たすことです」。自然に反した行為、あるいはニーダム氏が言うように「物ごとの性質に逆らう」ことをしない限り、人はタオと調和し、その行為は結実します。これが老子の説いた一見難解な「無為にして為さざるはなし」の意味です(49頁参照)。初期の中国において発展した伝統的理論は、陰・陽の概念が中心となっています。自然と社会双方を含む全宇宙はダイナミックな均衡状態にあり、その構成部分は残らず二つの原型的な極の間を振動しています。人間の身体は小宇宙であり、各部分は陰と陽の性質を割り当てられています。こうして、大宇宙的秩序における個人の場が確立されます。古代の中国の学者は、物と出来事によって織り成される共時的パターンに関心を向けました。ニーダム氏はこういった態度を「相関思考」と名づけました。このような相関的かつダイナミックな思考は中国医療の概念体系にとって基本的なものです。健康な個人や健全な社会はパターン化された大きな秩序を構成する部分です。病気とは個人あるいは社会レベルにおける不調和を表します。その宇宙パターンは、古典的な医学書において詳細に練り上げられた相似性と関連性を軸とする複雑な体系を媒介として抽出されました。陰・陽のシンボリズムに加え、中国人は五行と呼ばれるシステムを用いました。これは普通、五大要素と訳されていますが、その解釈はあまりに静的すぎます。行は「行う」とか「為す」という意味を持ちます。木火土金水に関連する五つの概念は、定められた周期的な秩序に則って継起し、互いに影響し合う性質を表します。ポーカート氏は五行を「五つの進化の局面」と訳しました。これはその中国語に含まれるダイナミックな意味を説明するのにより適しているように思われます。これら五つの局面から、中国人は全宇宙にまで拡がる対照システムを引き出しました。季節、大気の影響、色、音、身体の各部、様々な情動の状態、社会関係、その他の無数の現象がこの五つの局面に関連した五つのタイプに分類されました。この五つの局面の理論が陰・陽の周期と融合した結果、宇宙のあらゆる側面がダイナミックにパターン化された全体の定められた部分として説明される精巧なシステムが生まれました。このシステムが病気の診断や治療の理論的な基盤を作ったのです(525頁参照)。西洋人であるフリッチョフ・カプラ氏が陰陽五行説を用いて、普遍的なシステム論を説いています。


フリッチョフ・カプラ氏著の『ターニング・ポイント』という書籍では、681頁に太陽光エネルギーを、686頁にバイオマスエネルギーを紹介しています。エリッヒ・ヤンツ氏の『自己組織化する宇宙』という書籍でも531頁に太陽光エネルギーとバイオマスエネルギーが紹介されています。太陽光エネルギーもバイオマスエネルギーも私が学生時代から議論されていたエネルギーであり、決して新しい話ではありません。逆に言えば、なぜ現在においてこれだけ普及が遅れているのかと問いたいほどです。化石燃料によるエネルギーから再生可能で環境に優しいエネルギーである自然エネルギーに代替される方が望ましいのは誰もが思うことです。化石燃料には限りがあり、CO2の排出問題と地球温暖化問題があるからです。それだけではありません。化石燃料は投機対象になりやすく、すぐに価格が高騰します。原油価格が高騰する度に、ミニオイルショックが起き、インフレ懸念に襲われる経済体制の脱却を目指すという意味では代替エネルギーへの移行は将来の人類が目指すべき道です。安定した低価格のエネルギーを安定して供給する体制の確立です。また、代替エネルギーだけが問題視されていますが、蓄電や送電における電気ロスの減少も考慮しなくてはならない問題です。電気は蓄電できないと言われていますが、実際、リチウム電池があるように蓄電ができないわけではありません。コストが高いので蓄電ができないと言われているだけです。蓄電技術の向上と普及によって、コストダウンしていけば電気の蓄電も日常化するはずです。さらに送電に電気ロスが発生するのは抵抗があるからです。超伝導技術が向上し、無抵抗で電気を送電できるようなれば電気ロスを少なくすることができます。蓄電、超伝導技術の向上も同時進行にはかっていかなくてはならないと思います。ただし、問題はそんなに単純ではありません。これは現在すぐに移行できる体制ではないからです。実際、現在の技術水準と普及状態からでは安定低価格で安定した自然エネルギーの供給は不可能だからです。エネルギー価格は生産に関して、大きな影響をもたらすものです。日本企業の国際競争力や家計への負担を鑑みれば、徐々に移行していくべき問題だと思います。事を急ぎ過ぎて、経済自体を壊滅してしまっては元も子もありません。バブル経済を抑制するために急ぎ過ぎて、失われた10年を迎えてしまった失敗を二度と繰り返さないように、繊細にソフトランディングを行って欲しいです。メタンハイドレートや地熱エネルギーなど新しいエネルギーも開発されています。エネルギーと産業、生活、安全性、環境との共生などの様々な要因との相互関係の中で徐々に“調和”ある移行をしていって欲しいものです。