岩田龍子著『日本の経営組織』という書籍を紹介する。 岩田龍子氏著の『日本の経営組織』という書籍 | 松陰のブログ

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岩田龍子著『日本の経営組織』という書籍を紹介する。

岩田龍子氏著の『日本の経営組織』という書籍は、自らのサラリーマンの悩みと喜びとを経験し、またひとりの経営学者として、日本の経営について学んできた岩田龍子氏が、これからの社会に飛び出してゆく若者達に「卒業後の世界」について、あるいはその最近の変化について、ある程度の知識をもってもらうために、経営者側ではなく、主として組織に参加してゆく若者達の側から見た日本の経営の姿を描いてみようと思って執筆したようです。このため、岩田龍子氏著の『日本の経営組織』という書籍においては、四つの角度から述べています。若者達が企業の一員になるとはどういうことなのか。日本の経営組織はどのような仕組みをもっていて、それはどのように機能しているのか。働く人々に対して、それはどのようなものとして、たち現れてくるのか。最近、経営環境が激しく変化しているといわれていますが、それは、どの側面でどのように変化しつつあるのか。また、環境の変化は、これまでの日本的経営との間にどのような問題を生じつつあるのか。こうした環境の変化に対して、日本の経営はどう対応しようとしているのか。その結果、日本の経営は、今後どの方向に向かおうとしているのか。そのことは、組織の中で働く若者達にとって、どういう意味をもっているのか。といった諸問題です(18頁参照)。

日本の経営組織に見られるひとつの大きな特徴は、長期的でかつ安定した雇用関係にあります。それは、経営者にとって、様々な不便を伴いますが、反面、人材の確保・育成、機動的な組織中枢の形成など、捨てがたい多くの利点があります。「終身雇用」は、従来、雇用を保証し安定されるものとしての側面が、主として注目されてきました。この制度は、雇用を安定させることによって、「一家が路頭に迷うかもしれない」という危機感・不安感を大幅に減少させ、人々の精神の安定に大きく貢献したのです(22頁参照)。

日本の経済発展の変遷の中、高度経済成長を支えたシステムがありました。それは「日本的経営」と呼ばれ、日本の驚異的な成長を支えた経営手法として機能し、諸外国から注目されていました。当時、エズラ・F・ヴォーゲル著の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』、盛田昭夫氏の『MADE IN JAPAN』などの書籍が発行され、日本的経営は称賛されていました。バブル景気崩壊後、右肩上がりの成長を前提にして実施されていた日本的経営は変革を求められました。最近、私は、日本的経営は本当に変革しなければならなかったのかと疑問に思うことがあります。確かに維持するのが可能か不可能かの議論はあるにしても。

かつての日本的経営の特徴を挙げると、雇用関係は終身雇用、賃金は年功賃金、労使関係は企業別労働組合、資金は低利間接金融、技術・設備は輸入先進技術、経営者は従業員出身、意思決定は稟議性、管理者は年功昇進、効率性は柔軟な配転、品質保証は小集団活動、能力開発は年功的熟練、生活環境は福利厚生などでした(『現代経営学ガイド』日本経済新聞社編 228頁参照)。そのうち、終身雇用、年功序列賃金、企業別労働組合は、日本的経営を代表するものとして、日本的経営の三種の神器と呼ばれていました。そして、日本的経営が機能した理由として、通産省主導の官民協力体制、企業別労働組合制度がもたらす安定した労使関係、モラールと忠誠心に満ちあふれた質の高い労働力、QCサークルを中心とした小集団活動による現場の知恵の活用、長期的な視野からの積極的な設備投資、国内での熾烈な競争から生み出された競争耐久性、品質の向上と省力化のための投資による生産性の向上などが挙げられます(『日米企業の経営比較』加護野、野中他著 1頁参照)。

日本的経営論の嚆矢はアベクレンの研究です。アベクレンは文化人類学的な方法論を用いて、日本的経営の特徴を、終身雇用、新卒者の採用と内部昇進、年功序列賃金等に求めました。アベクレンの研究はその後の日本的経営論に大きな影響を及ぼしています。その後の研究は二つの潮流に大別できます。第一は制度論的研究であり、第二は集団論的研究です。制度論的研究は、企業内組合や日本に特有の経営制度(終身雇用や年功序列などの人事・雇用制度、取締役会や常務会のトップマネジメント組織、稟議などの意思決定の制度)がいかにして形成されたのか、それらがどのような機能をはたしているのかを分析します。日本的経営のもう一つの潮流をなすのは、企業にみられる集団主義論的志向の研究です。この潮流は、間教授の経営家族主義、津田教授の生活共同体の主張に代表されるように、日本企業にみられる集団主義に焦点を合わせます。岩田教授は、日本的経営の組織編成の原理として、安定性志向、集団的編成、義務の無限定性などを挙げ、これらは日本人の心理特性に合わせて作られたものであると主張しています(『日米企業の経営比較』加護野、野中他著5頁参照)。

バブル景気崩壊後、日本的経営も崩壊しました。しかし、私は日本的経営の全てが良いものだとは思いませんが、本質的なものは間違っていなかったのではないかと思っています。日本的経営の全てが非有効的なシステムならば、あのような高度経済成長を成し遂げられなかったでしょう。特に、昨今の世界的な金融不安は米国型の経営の特徴である短期業績志向、短期的収益の追求による結果のように思えます。私は大のイギリス好きですから欧米型の経営に関して決して悪い感情はなく、資本主義、民主主義の繁栄を願っています。欧米に学ぶこともたくさんあると思っています。ただ、短期的収益の追求が詐欺まがいの一部の金融工学や過度のマネーゲームを助長させたのではないかと思えます。私が思うに、経済の基本は「モノ作り」であり、長期的な視点に立った経営であるべきだと考えています。終身雇用や年功序列賃金が企業への忠誠心を育み、モチベーションになっていました。昨今のネット難民や日雇い労働の惨状を鑑みると、終身雇用という雇用の安定が社会にどれだけ貢献していたのが分かります。確かに、かつての日本は労働市場が固定化し、転職しづらい環境にありました。入社した会社で一生勤めるのが常識になっていたため、最初に勤めた会社で馴染めないと、一生、自分を活かせないという不幸な社会ではありました。しかし、労働市場の流動化も行き過ぎると、雇用不安になり、社会不安を喚起し、社会全体の基盤を失うように思えます。加えて、年功序列賃金制も人間の生活の営みとリンクしていました。若い時は少額の給与でも生活できますが、結婚して、子供ができれば、それに伴い養育費、教育費、生活費は増加していきます。年齢と共に必要となる費用の増加と年功序列賃金制はマッチしていたのです。しかし、年功序列賃金制と終身雇用が崩壊してしまい、将来が不安で結婚もできなければ、子供も産めない状況になっています。かつての日本企業(=日本的経営)は労働者、つまり生活者の社会福祉に貢献していたのです。現在の日本には、企業にも国家にも結婚や出産の不安を払拭できる制度がなくなりつつあります。少子高齢化による経済成長の鈍化を危惧する前に、こういう社会福祉を支援する体制を確立させなくてはならないと思います。システムは諸刃の剣ですので、適度、適時、適切が大切なのだと思います。加えて、日本的経営はゲマインシャフト(運命共同体)という日本の文化の体現であり、その本質は素晴らしいものだと思っています。米国企業のゲゼルシャフト(利益共同体)という本質が短期的収益追求の今日の諸問題を引き起こしたようにも思えるからです。余談ではありますが、ゲマインシャフト、ゲゼルシャフトに関しては、日本の農耕民族、欧米の狩猟民族という壮大な話に根源を求める説もあります。私は、ゲマインシャフト(運命共同体)、長期的視点からの経営、モノ作り重視などの日本的経営の優れた本質を継承し、新しい日本的経営によって日本の経済を牽引して欲しいと願っています。現在の環境に適応するように日本的経営が進化し、日本文化に基づいた個性ある新日本的経営が創造されることを願っています。