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以前、社会勉強のため、国会見学に行きました。衆議院、参議院と両方共行きました。衆議院と参議院はほとんど同じなのですが、若干、差異があり、面白かったです。皆様も衆議院と参議院の両方を見学し、見比べてみてはいかがでしょうか。衆議院と参議院の両方の見学で、天皇陛下の御休所を紹介していました。とても美しい内装です。そうそう天皇陛下がご退院なされ、ご公務に復帰されたそうですね。とても嬉しく思います。あまりご無理をなさらずにお身体をご自愛していただきたく存じます。

 国会の中央広間に板垣退助氏の銅像が立っていました。正直、私はあまり板垣退助に好意を持っていません。坂本龍馬は好きですが。好意を持てない理由があります。板垣退助と言えば、自由民権運動。「板垣死すとも自由は死せず」という言葉は有名です。ではここで問題です。板垣退助は襲われ、「吾死すとも自由は死せん」と言いましたが、板垣退助はその暗殺によって死んだでしょうか?答えはNoです。死ななかったのですよ、板垣退助は。さらにこの話には続きがあって、板垣退助は襲われた後、政府と和解し、政府のお金で欧州を旅行したのです。国民の自由を獲得するための偉人でも何でもないのです。板垣退助が自由民権運動を開始したのも、征韓論で下野し、中央に復帰するための薩長派閥に対抗する手段に過ぎなかったのですから。「板垣死すとも自由は死せず」の言葉に多くの国民が誤解をしています。大体、板垣退助は土佐藩の上士の出身で、若い頃、乾退助と名乗り、郷士の坂本龍馬や武市半平太を弾圧していた側の人間です。坂本龍馬や武市半平太のファンには敵役に近い人物なのです。そうそう昨年、NHKの大河ドラマ『龍馬伝』が放送されましたが、私の記憶では乾退助は出て来なかったような気がします。不思議です。私も司馬遼太郎氏の小説が好きで『龍馬がゆく』は読破しました。板垣退助が好きになれないのは理解してもらえるはずです。