修・令和4年6月16日、渋沢栄一著の『論語と算盤』という書籍を読破した。大河ドラマ『青天を衝け』 | 松陰のブログ

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修・令和4年6月16日、渋沢栄一著の『論語と算盤』という書籍を読破した。大河ドラマ『青天を衝け』が放送されていた頃、書店で購入したのだけれども、仕事が本当に忙しく、土曜日、日曜日も自宅で仕事をし、仕事と疲労回復のための睡眠という生活を送っていたので、この本を読みたいと思っても読めずにいた。今回、時間を作って読破した。

 

渋沢栄一著の『論語と算盤』は、前半と後半とでは全く違う書籍だった。前半部分を読んでいる時には、流石は渋沢栄一、いいことを言うなと読んでいたが、後半になると、まるで私が読んでいることを知っていて、寄生虫が書き換えたかのごとく、下品な表現と拙い理論の話に変わっていった。読書前は、渋沢栄一を少し尊敬していたが、読書後、尊敬するには値しないと感じた。

 

まず、「ミル」について。ものをミルには、視、観、察の三つがあり、心眼を開いてみることの重要性を説いている(30頁参照)。これは、私が、以前、読破した宮本武蔵著の『五輪書』にも同様のことが記載されていた(宮本武蔵著、鎌田茂雄全訳注、『五輪書』100頁参照)。物事をみて解釈するとは、目の前の事象だけをみるのではなく、背後にあるものを加味して解釈するべきものだということ。

 

この書籍でのテーマは、商業にも道徳が必要だということである。一度、約束した以上は、必ずこれを履行して前約に背反せぬということは、徳儀心の強固なる正義廉直の観念の発動に外ならぬのである。しかるに、わが日本に於ける商工業者は、なおいまだ旧来の慣習を全く脱することが出来ず、ややもすれば道徳的観念を無視して、一時の利に趨らんとする傾向があって困る。欧米人も常に日本人がこの欠点にあることを非難し、商取引において日本人に絶対の信用を置かぬのは、我邦の商工業者にとって非常な損失である(246頁参照)とある。当時の日本の商工業者は目先の利益ばかりを追求し、道徳心が欠いていて、そのため、欧米から信頼を失っていたようだ。そこで渋沢栄一は、従来、商売(金儲け)と道徳仁義は相反すると思われていた(136頁参照)が、これを否定し、商売にも道徳が必要で共存できると主張した。いや、道徳仁義なき商売は滅びると論じたのである。利を図るということと、仁義道徳たる所の道理を重んずるということは、並び立って相異ならん程度において、初めて国家は健全に発達し、個人は各々その宜しきを得て、富んで行くというものになるのである(125頁)と述べている。

 

渋沢栄一がこの書籍を書いたのが、74才(114頁参照)。私も年老い、これからどう生きるべきかを考え、何かを参考にしようと、この書籍を読んだ。国家のために商工業の発達を図りたい、という考えが起こって、ここに初めて実業界の人になろうとの決心がついた(85頁参照)と渋沢栄一は立志について述べている。私も、年を重ね、できれば、社会に貢献できる事業を経理という職種で裏から支えられる職場で働きたいと思った。

 

この書籍には、何度か徳川家康公の「人の一生は重荷を負うて遠き道を・・・」(212頁他参照)という言葉が出てきます。渋沢栄一は、徳川家康公が好きなんだなと分かります。私が最も尊敬しているのは、吉田松陰先生ですが、三英傑(いや戦国大名)の中で、一番、好きなのは徳川家康公です。織田信長は、天下布武を掲げ、武力による天下統一を目指しました。豊臣秀吉は、小田原征伐により、実質的に天下統一を達成したにもかかわらず、平和な日本国の創造ではなく、朝鮮出兵という武力での領土拡大を目指しました。両者共に、戦をすることばかり考え、戦国時代の終焉や平和な日本国を目指さなかったのに対して、徳川家康は元和偃武を掲げ、戦のない平和な日本国を目指し、260年の泰平の世を成し遂げました。どう考えても、一番、素晴らしいのは、徳川家康でしょう。徳川家康の元和偃武については、この書籍にも「元和元年に大坂方が亡び、徳川家康が天下を統一し、武を偃せてまたこれを須いない時代」(268頁参照)と元和偃武に関して記載している。

 

次に、「事に当たりて奇矯に馳せず、・・・・言動挙動すべて中庸に適うものがそれである」(92頁参照)という一文があり、中庸の重要性を説いている。令和4年5月16日放送のNHK教育の『100分de名著』におけるアリストテレスの‘ニコマコス倫理学’の回でも、中庸の重要性を説いていた。私は、中庸をバランスと理解していて、私もバランスを取ることが一番大切だと考えている。

 

最近、江戸時代には「士農工商」という身分制度はなかったという馬鹿な説が唱えられようとしているが、この渋沢栄一著の『論語と算盤』という書籍の中に「士農工商」という身分制度が江戸時代に存在したことを証明する文章が記載されている。「維新前の士農工商の階級は極めて厳格であった。・・・・・蓋しやむを得ないことである」(276頁参照)という文章である。実際に江戸時代の幕末を生きた渋沢栄一が士農工商はあったと言っているのに、江戸時代に生きたこともない歴史学者が何を根拠に士農工商はなかったと言っているのだろうか?不思議でしょうがない。

 

それから、259頁にテーラーという名前がでてくるが、このテーラーとは、作業要素別時間測定による賃金決定と出来高払い制度に基づく生産管理制度を考案したテーラーの科学的管理法(野中郁次郎著『経営管理』11頁参照)のテーラーのことなのだろうか?

 

後半の内容はひどかった。特に高ければ一会社の社長たる人物、卑くければ使丁たり車夫たる人物も必要である。人を使役する側の人は少数なるに反し、人に使役される人は無限に需要がある(291頁参照)。人を使役する職は供給過多になるので、勉強したからと言って、人を使役する側の人間を目指すものではない。江戸時代には、愚鈍の者は、非望を懐かずに、下賤の仕事を安んじて行くということを述べていて、一部の人間以外は人の上に立つことを目指すなという、とんでもない理論を展開している。職業選択の自由、平等に教育を受ける権利と基本的な人権が尊重される日本国において、到底、受け入れられるわけがなく、渋沢栄一が、こんなファシズムにも似た人種差別的な思想をもっている人物だとは思わなかった。こんな馬鹿な論理はないだろう。279頁には、「学問すれば誰でも皆偉い者になれるという一種の迷信のために」と述べて、青年が学問に努力する芽を摘もうとしている。偉くなるか偉くならないかは、公平な競争原理が働き、その努力の結果として現れればよいのであって、初めから努力を否定するような人生訓はとんでもないと思った。

 

また、風邪のような病気さえも、病気になる前に身体を強壮にしておいたならば、何もそれらの気候のために病魔に襲われることはないと述べている(308頁参照)。では、コロナに感染したのは、全て感染した本人の責任ということなのか?私はコロナには懐疑的ではあるけれども、コロナが大流行した頃、全く自身の警戒が感染の要素ではなかったと言わないが、多大にコロナ流行という環境要因に拠るところが大きく、それをコロナに感染した人のみの責任にするのは間違えだと思った。渋沢栄一、大馬鹿野郎である。故に渋沢栄一の話は良い部分は参考にするが、悪い部分は賛同しないことにした。

 

渋沢栄一は、足利尊氏や藤原時平と同じ、実業では成功したが、人間性としては失敗者だったようだ。