私の大好きなイギリスの経済学者・ケインズ著の『雇用、利子および貨幣の一般理論(上巻)』という書籍 | 松陰のブログ

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私の大好きなイギリスの経済学者・ケインズ著の『雇用、利子および貨幣の一般理論(上巻)』という書籍を紹介する。


大学時代に塩野谷九十九氏訳・ケインズ著の『雇用、利子及び貨幣の一般理論』を読破しましたが、2008年に改めて、間宮陽介氏が翻訳したケインズ著の『雇用、利子および貨幣の一般理論』が出版されましたので、購入し、読破いたしました。


この書籍の訳者序文に『「ケインズは死んだ」と言われてすでに久しい。だが、本当にケインズは死んだのだろうか。ケインズの理論は決して死んでいない。時代環境に適応できずに自然死したわけではなく、もしも死んでいるように見えるとするならば、それは「殺意」をもって「殺された」のである」とあります。私もこの意見に同感です。


ケインズと言えば、ケインズ革命と言われ、従前の古典派経済学に対する提言をしています。古典派の雇用理論は二つの公準に基礎を置いています。第一公準:賃金は労働の限界生産物に等しい、第二公準:労働雇用量が与えられた時、その賃金の効用は、その雇用量の限界不効用に等しい、です(9頁)。第一公準は、古典派理論と但し書きを付けるだけで、そのまま保持しても構わないようです(一時的に)。第一公準が意味するものは、組織、装備、そして技術を所与とすれば、実質賃金と産出量(従って雇用量)とは一意の関係を持ち、それ故、雇用の増大が起こりうるのは、一般に実質賃金率の低下に付随する場合に限るということです。組織、装備、技術が所与の状態の下では、一単位の労働が稼得する実質賃金は産出量と一意の(逆)関係を持っています。雇用が増加すれば、短期的には、賃金財で測った労働一単位当たりの報酬は一般には低下し、利潤は増加するはずです。これは、産業は普通、装備その他が一定と仮定される短期においては収穫逓減の下で操作を行っており、それ故、実質賃金の決定因である賃金財産業の限界生産物も雇用が増えるにつれて必ず減少するというお馴染みの命題を、単に言い換えただけのものだからです(25頁)。ここで重要なのは、第一公準があくまでも短期に起こる現象であることです。なお、経済学用語の「限界」とは数学の微分の概念と極めて密接に結びついています。経済学の限界概念の場合の「限界」という語は、「体力の限界」といったような意味ではなく、原因となる物の大きさがある量から極めて微小量だけ変化した時、それが結果となる物の大きさにどれだけの影響を与えるかと言ったことを意味しています。そして、「効用」という語は、(消費者が物やサービスの消費から得る)満足の大きさを示します(『ゼミナール・経済学入門(第四版)』福岡正夫著 12頁参照)。


しかし、第二公準の想定する実質賃金と雇用の限界不効用との均等は、現実的に解釈すれば、「非自発的」失業の不在を言っていることになります。「非自発的」失業の存在しない状態を「完全」雇用と定義します。「摩擦的」失業も「自発的」失業も、共にこのように定義された「完全」雇用と両立することになります。賃金財価格が貨幣賃金に比べて相対的にわずかばかり上昇した時、この貨幣賃金と引き換えに働こうとする総労働供給とその賃金の下での総労働需要とが、共に現在の雇用量よりも大きいなら、その時、人々は非自発的失業状態にあります(23頁)。つまり、生産量の水準が、働きたいという人を全部雇用できる生産の水準以下であったとしたならば、その差だけ、働きたくても職を得ることのできない人達、つまり非自発的失業状態が生まれるのです(『ケインズ―“新しい経済学の誕生』伊東光晴著 104頁参照)。古典派の教義の第二公準を棄却し、厳密な意味での非自発的失業が起こりうる体系の働きを理論化すべきなのです(25頁)。


第二公準を棄却してしまうと、雇用の減少は労働者が以前よりも多くの賃金財を要求するだけの結果だとは必ずしも言えず、労働者側が以前よりも少ない貨幣賃金を進んで受け入れることが失業の救済策にならないのです(27頁)。このことは不況に賃金を下げることが不況を脱することに繋がらないことと類似した概念です。古典派理論の諸仮定は、実質賃金は現行雇用の限界不効用に等しい、厳密な意味での非自発的失業は存在しない、産出量と雇用がどのような水準にあったとしても総需要価格と総供給価格は等しくなるという意味で、供給は需要を創り出す<セーの法則>、です。これらの仮定は立つも一緒、倒れるも一緒、それらのいずれをとっても論理的に他の二つを包含しているという意味で、実質的には一に帰します(33頁)。先に述べた通り、の「非自発的失業は存在しない」という仮定は否定されるため、実質的には一に帰す仮定なのですから、古典派の雇用理論の二つの公準は二つとも否定されることになります。第一公準と第二公準は密接な関係にあり、二つで一つである関係なので、第二公準が否定させることは第一公準も否定させることに等しいからです。


ケインズ先生の『雇用、利子および貨幣の一般理論(上巻)』を読む上で、私は、「資本の限界効率」という概念が重要だと感じました。資本の限界効率とは、資本資産から存続期間を通じて得られると期待させる収益によって与えられる年間所得の系列の現在価値を、その供給価格にちょうど等しくさせる割引料に相当するものです(『ケインズの闘い』ジル・ドスタレール著 444頁参照)。代表的な記述として、326頁に、ケインズは「私達が関心を寄せるのは、資本の限界効率と貨幣利子率との差だからである」と述べています。もしも賃金単位の下落がこれから賃金単位は再び上昇に転じるという期待を生めば、結果は全面的に好ましいものとなります。反対に、賃金単位はこれからいっそう下落するという期待を生むならば、資本の限界効率の負の影響は利子率の低下を相殺するかも知れません(326頁)。その他、『雇用、利子および貨幣の一般理論(上巻)』を通じて、資本の限界効率は重視しなければならない概念でした。


ケインズは貨幣の非弾力性と粘着性に着眼し、実質賃金よりも貨幣賃金を重視しています。『ピグー教授と他の(古典派経済学派)の人達は、貨幣賃金よりも実質賃金の方が安定的だと推定するに足る理由があると考えるのが常であった。しかし、このことが妥当するのは、わずかに雇用が安定していると考えられる場合だけである。その上、賃金財の持越費用は高いという問題点もある。実際、賃金を賃金財で定めて実質賃金を安定化させようとする試みがなされれば、その結果起きるのはただ名目的な物価の激しい変動だけであろう。消費性向や投資誘因がほんのわずかでも変動したら、名目物価はその都度、ゼロと無限大の間を乱高下するので、貨幣賃金が実質賃金よりも安定的であるのは、体系が安定性を内臓するための条件である』と述べています(326頁)。『雇用、利子および貨幣の一般理論(上巻)』は一文、一文が重要な文章だったので、このような短い文章ではまとめきれませんが、一部を紹介しただけでも経済の要点を伝えられるものだと感じています。とても勉強になりました。これからも私は日本や社会のためになる書籍を読み、自己進化のために自己研鑽し続けていきたいと思います。