貫成人著『図解雑学・哲学』という書籍を紹介する。 学問を学ぶ上で、その根底である哲学の勉強は必 | 松陰のブログ

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貫成人著『図解雑学・哲学』という書籍を紹介する。

学問を学ぶ上で、その根底である哲学の勉強は必須のものだと感じました。最初の哲学者は紀元前6世紀のイオニアの人で万物の究極の原理を水に求めたタレスとされています。その後、宇宙(コスモ)の原理(ロゴス)を探求する宇宙論(コスモロジー)が形成されました。万物を包み込みつつ、おのずと生まれ、成長し、衰え、死ぬ、それ自身の内に生成原理を持つ生命である「自然(ピュシス)」の概念が生まれました(28頁参照)。自然だけでなく、哲学は「人間が万物の尺度はである」と考えたプロタゴス(30頁参照)、知への愛を説き、無知の知、知識の重要性をあらわしたソクラテス(32頁参照)、永遠で完全な真理の世界であるイデア界の存在を説くプラトン(36頁参照)、「天体は神に憧れて動く」という不動の動者を説いたアリストテレス(42頁参照)など、人間、知、イデア、神などに古代の哲学者は真理を求めてくるようになりました。

中世において、哲学は宗教との繋がりを深くします。神の存在を確かめなければ信仰は不可能とするグノーシス派と神は合理的知を超越しているからこそ意志の力で信じるしかないと主張するテルトゥリアスの対立。知と信の対立を主意主義にて調停したアウグスティヌスが現れます(52頁参照)。それに対して、本質と存在を区別したトマス・アクィナスは主知主義を説き、哲学は神学の婢であるとする立場を貫くことによって、かえって非合理な信仰に対する哲学の独立性を確保し、知の合理性を守りました(58頁参照)。

近世において、中世神学から逃れようとする人々からは、ギリシャ・ローマ古典文化の復興を図る人文主義運動(ルネサンス)が生まれます(64頁参照)。「知は力なり」の言葉で有名なフランシスコ・ベーコンは帰納法を提案しました(66頁参照)。「我思う故に我在り」の言葉で有名なデカルトは方法的懐疑を主張しました(68頁参照)。「人間は考える葦である」の言葉で有名なパスカルは原罪思想を表しました(80頁参照)。さらに、社会契約説や経験論のジョン・ロック(84頁参照)や懐疑論のヒューム(92頁参照)、社会契約論のルソー(94頁参照)、功利主義のベンサムとミルが現れ、哲学は飛躍しました(96頁参照)。

近代において、カントはアプリオリな原理を表し、因果法則の探求である自然科学が成り立つ根拠を確保しました(102頁参照)。ヘーゲルは弁証法を表し、定立、反定立、総合定立を繰り返し、絶対精神へと向かうことを主張しました(114頁参照)。他にもペシムズム(厭世主義)のショーペンハウアー(118頁参照)、美的実存、倫理的実存、宗教的実存を区別したキルケゴール(122頁参照)などが出現しました。

近代から現代への過程において、現代に至るより科学的な学問の萌芽が現れ始めます。現代思想の三統領と言われるマルクス、フロイト、ニーチェが現れます(126頁参照)。一方、パースやジェームズ、デューイらにより新興国のアメリカでプラグマティズムが発生しました。通常、私達は習慣によって環境に対応するが、困難や障害、環境の変化が生じた時、状況を改善するためにどのように行動するかを考慮します。その時に道具となるのが知識であり、したがって知識の価値は道具としての有用性にあるという道具主義も提唱されました(142頁参照)。なんともアメリカらしい哲学です。

20世紀から21世紀に掛けて、現代の偉大な哲学者が現れます。現象学のフッサール(150頁参照)、世界的存在のハイデガー(154頁参照)、実存主義のサルトル(158頁参照)が現れました。また、理想言語学派のフレーゲ(172頁参照)、ラッセル(174頁参照)、日常言語学派のライル(176頁参照)、オースティン(178頁参照)、家族的類似のウィトゲンシュタイン(182頁参照)などが意味論や言語学、記号論の礎を築きました。仮説と実験結果との一対一対応を唱えたカルナップ(184頁参照)、ホーリズムのクワイン(186頁参照)、パラダイム変革のクーン(190頁参照)が現代科学の発展に大きく寄与しました。

そして、現代において、言語は差異で成り立つことを唱えたソシュール(196頁参照)、支配に関して生の権力を訴えたフーコー(206頁参照)、脱構築のデリダ(208頁参照)、リゾームとノマドを主張したドュルーズ(201頁参照)などが活躍しました。