NHKの『歴史秘話・ヒストリア』 | 松陰のブログ

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NHKの『歴史秘話・ヒストリア』

 

幼少期に祖母から平家の家系だと教えてもらいました。「那須与一が何たらかんたら」と祖母が私に話してくれたのを覚えています。当時、那須与一は源平合戦には参加していたものの、那須与一は源氏であり、なぜ私の家の平家の家系と関係があるのか分かりませんでした。最近、那須与一を調べているうちに、当時、祖母が私に伝えたかったことが分かりました。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す、奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し・・・。これは『平家物語』の冒頭の文です。平家というと武士のくせに貴族の真似をして軟弱化し、源氏に滅亡させられる極悪非道の一門のように描かれることが多いです。歴史好きの私も幼少期、源氏の方が格好いいと思ったこともありました。しかし、最近は平家の家系に誇りをもつようになっています。『平家物語』等によって、あまり良いイメージのない平家ですが、多大に滅亡後に意図的に悪いイメージをつけられたところがあります。源義経同様、平家も後白河上皇に利用された悲劇の一門でもあります。戦い方も平家は筋を通していました。壇ノ浦の戦いでは、当時の武士のしきたりでは船の水手・梶取(漕ぎ手)は狙わないのが常識でした。それをなりふり構わない源義経が船の水手・梶取(漕ぎ手)に対して矢を射ることを命じたのです。源氏は源平合戦でかなり汚い手を使っています。平家は確かに甘かったのかも知れませんが、汚い手段を使えない一門でもあったのです。平家は政権時、福原遷都をします。福原とは現在の神戸で、港町・神戸の基礎を作ったのも平家です。また、厳島神社の社殿を造営したのも平清盛で、現在の日本の文化に多大に貢献しています。年末にNHKで紅白歌合戦が行なわれますが、この紅白の戦いは源平合戦から来ています。白旗の源氏と赤旗の平家の戦いが現在の紅白歌合戦に繋がっています。

織田信長は平家だったと言われています。織田信長が「平信長」と署名した書類も現存しているそうです。徳川家康は源氏だったと言われています。徳川家康が「源家康」と署名した書類も現存しているそうです。徳川家康は源氏の家系だから征夷大将軍になれました。征夷大将軍は将軍として幕府を開ける官職です。そして武士の棟梁をも意味します。源頼朝も足利尊氏も徳川家康も源氏の家系で征夷大将軍に就き、幕府を開きました。一方、豊臣秀吉が征夷大将軍になれなかったのは、織田信長に仕えていた時に秀吉は信長にゴマをすって、家系が平家と関係があると話したからだという噂もありました。平家も桓武天皇の血筋をひく由緒正しい家柄。平家の家系を誇りにしていきたいと思います。