NHKの『歴史秘話・ヒストリア』 | 松陰のブログ

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NHKの『歴史秘話・ヒストリア』




「敵に塩を送る」の語源は、越後の上杉謙信が宿命のライバルである甲斐の武田信玄に塩を送って助けたという話からだというのは有名です。甲斐は内陸部で海に接していないため、常に塩不足の問題を抱えていました。相模の北条氏康と駿河の今川義元と甲相駿三国同盟を結んでいたため、太平洋側には進出できず、塩を求めて日本海側を目指して侵攻したと言われています。そのため、上杉謙信と武田信玄が戦うことになったのです。そういう状況下、甲相駿三国同盟を破ったことにより塩不足になった甲斐の国を越後の上杉謙信が塩を送って助けたので「敵に塩を送る」という言葉が生まれました。

 上杉謙信VS武田信玄と言えば、川中島の戦い。しかし、この川中島の戦いがやらせの戦いだという噂もあります。当時、上杉謙信も武田信玄も国内の有力武将が好き勝手をし、国を纏めるのに非常に苦労していました。上杉謙信は一度、国主を放棄したことすらあります。まあ、軍神と言われた上杉謙信の力がなくては戦国時代において越後が生き残れないので、配下の武将が迎えに行き、再度、国主に返り咲きましたけど。上杉謙信も武田信玄も国内を統制する問題を抱えていたのは確かなようです。組織の人間を纏める最も有効な手段は組織内に共通の敵を作ることです。東西冷戦時、西側諸国は共産主義国家を敵視することで団結しましたし、逆に、共産主義国家も資本主義国家を敵視する形で団結しました。徳川家康は武断派の福島正則や加藤清正を味方につけるため、文治派の石田三成を共通の敵にして、組織を纏め、関ヶ原の戦いで勝ち、天下を取りました。組織を纏めるのに、作為的に共通の敵を作り、団結させるのは古くから行なわれている常套手段です。上杉謙信も武田信玄も国内を統一するという共通の課題があり、それぞれが国内の共通の敵となり、互いに国内を纏める道具になったというものです。そのため、わざと川中島で戦ったという噂です。

 しかし、川中島の戦いでは山本勘助、武田信繁などの有能な武将が戦死しています。やらせの戦いならば、そのような国にとって重要な武将が死ぬはずありません。なぜか?有能な武将が戦死したのは、ほとんど第四次川中島の戦いであり、この第四次川中島の戦いだけ、織田信長の陰謀により、本気で戦わざるをえなくなった誤算の戦いだったというものです。上杉謙信側に柿崎景家らの織田信長側のスパイではないと思われる武将がいて、その武将が本気で戦うように扇動したという噂です。川中島の戦いは有名ですが、実際、第四次川中島の戦い以外はほとんど激しい戦いをしていません。第五次川中島の戦いなどは、睨みあいだけで終わっていますからね。この話はあくまでも噂です。余談ですが、上杉家を引き継いだ上杉謙信の養子・上杉景勝の正室の菊姫は武田信玄の娘です。