ここ最近「アドバイスはしてはいけない」と本当に思う。
もちろん、その禁を犯してしてしまうこともしょっちゅうだ。
まだまだ私はアップデートが出来ていない。
理論は分かっても実践がまだまだ伴っていない。本当に私は未熟だ。
すべきことは、アドバイスではなく、応援や賞賛だけだ。
これが今の落語界のスタンダードだと思う。
以下、自分の背筋が凍った話です・・・。
先日、ツイッターで、とある人が
誰かに商売のアドバイス的提言をしていた。
(この「とある人」は、私は会ったことないが、名前は知ってる程度の人)
そのアドバイスは非常に緻密で、真に的確で、「理に適った」内容だった。
商売を考えるなら、当然「そうすべき」というか、
もう「普通それしかない」という論理的手法&作戦を提案していた。
しかし、現代社会において「普通そうするわな」という作戦は
「そこそこな量の手法」であり、
それを論理的に説明すると、説明部分が膨大になる。
いわば端的に「こうすれば良い!」という5~6個の作戦を箇条書きに書きたいだけなのだが、
相手がわかっていないので=相手に納得してもらうためには
膨大な論理的説明文×5~6個
が必要になる。
しかし、その説明文が理解できるような人間なら、
「普通そうするわな」という作戦に事前にたどり着いてるだろうし、
百歩譲っても「80%ぐらい」は到達している。
でも相手は到達していないのだ・・・。
つまり、相手は「論理立てて考えを練らない人間」である。
ということは、相手はその説明文を見てもチンプンカンプンだろうし、
そんなものを見ても実行などしない。
相手の行動は今まで通りのままだ。
この「論理で絶対に考えを練らない相手」に向かって
「非情に緻密で、真に的確で、理に適ったアドバイス」をすることは、
全くもって無意味なので、その行為は、本当に「理に適っていない」と思う。
「理に適ったアドバイスほど、理に適っていない」のだ。
そのツイートを見て、
「うあ~、俺がやってたこと(やってること)って、これやよね…」
と背筋がゾッとした。
きっとそのアドバイスは、相手には「謎のお経」にしか聞こえない。
相手が求めていないアドバイスは「謎のお経」でしかなく、
それよりは「頑張ってるな!」「凄いな!」「応援してます!」の方が、
きっと相手のプラスになる。
理詰めで考える作戦は、「自分が自分の行動を決める時」だけで良い。
理詰めで考える人にとって、理詰めで考える人間のアドバイスなど、基本は不要だ。
なぜなら、理詰めなので、アドバイスなどなくても、ほぼ「そうなるわな」という作戦に行きつく。
全く「理のない」作戦をしている人は、理詰めでないから、そういう作戦をするのであり、
その人に「理」を説いても無駄だ。最初から「理が通じない」のだから。
でも、世の中、「理」など無くても「運」や「縁」で上手くいったりする。
つまり、「理など、わからなくても上手くやっていける」人も沢山いる。
→わからなくて上手く行く人にとっては「理屈なんか無くても上手く行った」になるし、
わからなくてダメになる人は、そのアドバイスをしても意味がわからないから、
結局やらないので無用になる。ただただ「アイツうるさい、何か言うとるな」にしかならない。
結局、
「理が分かってる人」には、アドバイスなど言う必要がないので、アドバイスは不要。
「理がわからない人」には、言うても通じないのでアドバイスは不要。
・・・ということである。
別にこの文章は「とある人」に向かったアドバイス的提言ではないです(笑)
自分への戒めであり、自分が今後そうしていくべきという指針の表明です。
まあ、今の人たちは、そこら「感覚」でちゃんとやってるんでしょうけど。
「わかる時」というのは、「自分のタイミング」で良くて、
アドバイスされたタイミングやないんでしょうしね。
これでいいのだ!(バカボンのパパになるね)