江戸落語と上方落語では、「前座さん」という言葉の意味が違う。
●江戸では、「前座」というのは、階級を表す。
●上方では、「前座」というのは、その日の番組の最初に出る人間を指す。
まず「そのへんで手に入れられる情報」を先に言うと、
江戸では、下記の階級制度がある。
①前座:毎日寄席に詰め、何かにつけ、師匠に許可を得る必要がある。
高座へは羽織を着てはいけない。楽屋で用事をする(着物を畳み、お茶を入れるなど)
②二つ目:高座に羽織を着てよい。楽屋の用事をしなくて良い。仕事は自分で取って良い。
③真打:完全な1人前。
※前座・二つ目の間に、師匠が死ぬと、別の師匠の門下に移らなければならない。
(1人前でないから。育ての親が必要という方式)
※落語協会や落語芸術協会では、二つ目や真打への昇進は、「協会の認定」のようである(たぶん)。
大阪では、階級制度はなく、「身分制度(?)」はある。
①年季中:師匠に入門し、仕事を取るには、師匠の許可が必要。
②年季明けた人:師匠が「自分で仕事を自由に取る事」を許可した人。
※羽織を着るかどうかは個人の判断。
(前座=一番最初に出る時は羽織を着ない事が多い。
「お客様や興行主に、前座も一人前という雰囲気を出したい時は前座も羽織を着る)
※楽屋の用事は、楽屋の後輩がする(芸歴は関係なし。芸歴20~30年でも先輩の着物を畳むし、お茶も出す)
※師匠が年季中に死んでも、その弟子はその師匠の門下のまま(系図はそのまま。生みの親を明示する方式)
※年季明け認定は、各自の師匠が行い、師匠が破門にすれば芸歴に関わらず、廃業。
(ある意味、一生「一人前」にならないとも言えるし、年季明けで「一人前」とも言える)
雰囲気としては、
上方の年季中の人=江戸の前座さん
上方の前座で出る人=江戸の二つ目
(もちろん東京の前座&二つ目&若手真打クラスまでが前座で出る)、
という感じである。
★ここからが本題である。
①東京の寄席や落語会では、ちょいちょい
前座さんが開演の前に高座に上がって落語を喋る。
②東京の前座さんは、チラシやパンフの出演者に名前が無かったりする。
一方、大阪は、前座は開演前に出る事はなく、
出演者として、チラシやパンフに名前が載る。
これは文化風土やお客さん目線の違いだと思う。
東京は「都会であり、田舎の人が都会のルールを学ぶ」という場である。
まず、「開演前に前座が出て、チラシやパンフに名前が無かった」場合でも、
初めてのお客さんは、
「へぇー、これが寄席のルールなんだ・・・」と感心し、
落語通は
「そうだよ、知らないの?寄席ってそうなんだよ。覚えておきなよ」
みたいな感じだろう。
もし、大阪で開演前に前座が出ようものなら、
「先言えや!書いとかんかぃ!それやったら早よ来たんや!責任者出てこい!」
となるだろう・・・。関西人は「初心者から好事家まで、公平公正なルールをひいておけ」という
市場原理を大事にするから、このクレームが出る。
また東京で、
開演前に前座が出て、パンフやチラシに名前が無いのは、
「前座は料金に入ってない」(お金を取る芸ではない)
ということである・・・。これを大阪で言うたら、
「そんな金を取られへん奴を出すな!」
と言われてしまう・・・。ツッコミ文化だから仕方がない気がする。
(東京の「ボケっぱなし文化」ではない。←「粗忽長屋」とか「松曳き」など…)
パンフやチラシに名前が無くて突然出て来る落語家は、大阪では、
開演前の前座ではなく、「番組の途中か番組の最後の笑福亭鶴瓶師匠」である(笑)
・・・これは「料金に入っていない」が、その店からのサービスだ。
(だから、お客はかまわないというか喜ぶ)
関西は、市場原理なのか、お客が「資本主義のシステム重視」の人だからなのか、
チラシやパンフに出演者は基本は全員載せる。
上方落語家が行くところでは、
初心者に「伝統的なルールだからだ・・・」は通用しない。
(※ある意味、東京の人の地方公演もそうなのかもしれない。
まあ大阪も一地方ですから・・・)