江戸落語と上方落語の違いは色々ある。

 

おそらく、あまり誰も言及していない「違い」を喋る。

(というか、最近、「理由を発見」した気になったので言う)

 

基本知識として、寄席や落語会には

「一番太鼓」と「二番太鼓」がある。

 

・一番太鼓=開場(お客様の入場開始時刻)に鳴らし、お客様が沢山来るように

        大太鼓を 「どんどん、どんとこい」というリズムで打つ。(お客様がドンドン来るように)

 

・二番太鼓=開演の合図で、締太鼓と大太鼓で打つのだが、

        締太鼓は「おたふくこいこい」というリズムで打つ。(お客様に福が来るように)

 

そして、このあと、前座さんが上がる(江戸では「前座のあがり」、上方では「石段」という曲になる)

 

別に、ここで今さら「江戸の太鼓の打ち方が上方と違う」とか、「前座の出囃子の曲が違う」とか、

わかりきった事は言わない。

 

 

ここでお伝えしたいのは、

 

二番太鼓が終わってから、前座の出囃子が始まるまでの「間」

 

である・・・。

 

 

東京はメチャクチャ「長い」・・・。

 

 

ある意味、「二番太鼓」と「前座のあがり」は別物である・・・。

 

 

東京で私がよく見かける風景だと、

 

例えば7時に前座さんが高座に上がるとするなら、

6:55に二番太鼓を打ちだし、6:57か6:58に終わる・・・。

 

そして、改めた形で「7:00」か「6:59:30」に出囃子を鳴らし、前座さんが高座に上がる。

 

・・・はじめ、これが行われた時は私は意味がわからなかった・・・。

  というのも、上方だと、

 

7時に前座さんが高座に上がるとするなら、

6:57か6:58に二番太鼓を打ちだし、6:59:30~6:59:50に太鼓が終わる。

そしてすぐさま(7:00に?)出囃子が鳴り始める。

 

つまり、上方では「二番太鼓→石段(前座の出囃子)」はセットになっている。

 

どっちがええ悪いではなく、そういう「文化の違い」であり、

また「運営における効果の違い」とも言えるし、

それは「お客の気質(性格)」と関係していると思う。

 

現代人の感覚とは別にして・・・、

少なくとも伝統的な落語会の意識として、上方・江戸に共通しているのは、

 

「前座の出囃子」が鳴ってる時は、「開演している」とみなす

 

という事である。

※私の感覚では、

 

「二番太鼓」が鳴った時に「開演や!」とお客が思うのでは?

 

と思うが・・・、前座の出囃子をもって「開演に突入」というのが伝統芸能・落語の世界のルールのようである。

 

 

これを踏まえて、

 

東京は「二番太鼓の後、かなりの間」があり、

上方は「二番太鼓が終わればスグに出囃子(間がない)」である。

 

あくまで私見だが、

 

どうやら、東京は、

 

二番太鼓は「開演しますよ!」という「予告の合図」である。(ホンマに劇場やホールの開演5分前のベルに近い)

 

上方は

 

「もう、始まるで!」

 

である・・・。いやいや、こう書くと、「予告」と何が違うのかわかりにくいが、

 

つまり、、、、「ホンマに始まるで!」

 

の合図である・・・。一緒やな・・・。

 

 

正確に言うと、

 

東京は「ちょっと前に予告をしている」であり、

 

上方は「ある意味、もう始まってる」のである・・・。

 

 

ちなみに、休憩=仲入が終わった時も江戸と上方では違う。

 

・東京の仲入風景

休憩が始まって、ある程度すると、前座さんがロビーに行き、

「もう始まりますよ」みたいな感じで客席に誘導する。

もっと言うと、前座に言われなくても、お客が「そろそろ始まるな」と思って、

ほとんどのお客が客席に着席する。

そして、舞台袖に前座さんが戻り、「客席が落ち着いた」ことを知らせ、

出囃子とともに落語家が登場する。

 

・上方の仲入風景

休憩が始まって、ある程度すると、前座さん(あるいはスタッフ)が

トイレに入ってる人が終了してるかをチェックする。

トイレ利用者がいなくなった時点で(あるいは最後のトイレ利用者がトイレに入るのを見たぐらいで)、

舞台袖にその連絡が入り、「仲入が終わる合図」の太鼓(仲入明けの砂切)を打つ。

この間に、ロビーをウロウロしているお客さんが

客席に戻り、着席し出す。

お客が着席したのを見計らい、「仲入明けの砂切」を終える。

そして出囃子とともに落語家が登場する。

 

ここからわかるのは、「関西の観客の性質」である。。。

 

休憩時間は、お客の時間(好きにしていい時間)なので、

客席に座っていたくないお客=ロビーをウロウロしたい人が続出する。

 

とりあえず、「好きにする時間」だから、好きにするのだろう・・・。

 

「座る」=「落語を見る」=ルール化されているので、

「好きにする」=「ルールでない事をする」ことになる・・・。なんじゃそら(笑)

 

何となく、大阪で東京方式をしたらトラブルのもとだ。

前座さんが、そういう関西のお客に

 

「もうすぐ始まりますので、客席にお戻り下さい」

 

と言うと、

 

「いやいや、ワシはもうちょっとしてから戻る!ワシのタイミングでな!」

 

という、困った気持ちが発生していまうのだ。

(よく考えると、しょうもない反骨精神だが・・・、それが人間、、、というか本当に人間らしい)

 

1つ間違えると、おかしなオッサンが前座さんに

「何でお前に命令されなアカンねん」問題が発生してしまう・・・。

 

そこで、上方では

 

「はじまるでぇー!!」

 

の太鼓=砂切が存在する。

 

これが東京のような「いきなり出囃子」だと関西の人は、

 

「始まんねやったら、先に言えや!」

 

と言い出す人が現れる・・・。つまり、大阪では

 

口で言うと「お前に言われたない!」のオッサンが発生し、

黙ったままだと「何で言わへんねん!」のオッサンが発生する・・・・。

 

そういう意味では、「はじまるでぇー!」の太鼓はよく出来ている。

 

どっちのオッサンも納得であり、“太鼓が鳴ってる間に”

 

「自分の好きなタイミングで=自由に」(?)

 

着席する事ができる。「休憩を最大限、自由に使えた」気になる。

 

 

東京=江戸は「首都」であり、それ以外は田舎である。だから、

「出囃子」が始まる前に着席していないのは、

 

「都会のルール(だいたいのタイミング)を知らない」=「田舎者(野暮)」

 

になる。だから、田舎者でない証をしめすためなのか、あるいは郷に入っては郷に従えなのか、

皆が着席する。

(大阪人の方が、資本主義的であり、合理主義?なのかもしれない)

 

 

●この「仲入」の様子から見える

「東京の落語会のお客」と「上方落語会のお客」の性格の違いを踏まえると、

「二番太鼓→前座の出囃子」の違いもよくわかる。

 

つまり、東京だと「二番太鼓」=「開演の予告」は親切に感じる。

 

「あぁ、もうすぐ始まるんやな」という風にお客が思う。

 

そして、「間」があったとしても、

 

初めての人は「ええ?まだはじまらないの?・・・(しばらくして出囃子)へぇー寄席ってこうなんだぁ~」

となり、

何度か来た人は「寄席と言うのは、こういうもんなのさ」となる。

 

 

しかし、これを大阪でやると、初めての人であろうが、「間」があると、

 

「おいおい、まだ始まれへんのに、着席してもうたがな!

この2分間、何したらええねん!始まってへんねから自由時間ちゃうんか!

(俺の自由にできる)時間がもったいないやないか!」

 

と思ってしまうのだ・・・

(もちろん2分で何ができると言うのでもないのだが、たとえ2分でもお客のものだ(笑))

 

だから「はじまるでぇ~!」の合図をしたなら、終わった途端、

 

「はじめんかい!」

 

という状況になる。だから上方落語では、二番の直後に前座の出囃子がスグに始まるのだ。

 

東京の落語会と大阪の落語会のどちらも行ってみて下さい。

 

そんな細かな違いもあるんです・・・。

 

ただ、

 

「東京は二番と前座の出囃子の間に、少し間があり、上方はあまり間がない」は事実ですが、

 

それの理由や効果については、あくまで私の想像というか私見です。