何かを測るには、「尺度」が必要だ。

 

「落語家の価値」を測る基準は、いろいろだ。

 

・収入

・テレビの露出度

・日本国民における認知度or世界での認知度(市場調査の必要あり)

・年間入場者数

・笑わした時のお客の声(最大の音量なのか、一定時間にどの程度の音量を超えた回数なのか…など)

 

など、結局「何らかの数字」に変換しないと比較できない。

 

 

私はずいぶん前に「エンゲイ係数(=演芸係数)」というのを発案した。

 

ただ、これは2つの意味を作った。意味は以下の2つである。

 

①お客にとってのエンゲイ係数=お客様個人が、自分の所得に占めるその芸人に使った金額の割合

 (一定期間におけるその芸人を見るための入場料÷所得。遠方なら交通費も含む、その芸人を見るためにかかる費用÷所得)

②落語家にとってのエンゲイ係数=入場者全員の①のエンゲイ係数の平均値

 

この考えを使えば、

 

「お客様の熱意の平均値」

 

が測れると思った。。。

 

 

「その落語家への公演に年1回しか行かないお客」を多数持つ噺家と

「1年に何十回も通うお客」をそれなりの数持つ噺家とを

 

比べれば、「その噺家をより見たいと思ってるファンの濃さ」(その噺家をより見たいという気持ちの度合)を

測れる気がした。

 

もちろん来場者の所得の違いがあったりはするので、一概には言えない。

「この所得層には●●師匠が人気」とか、そういう傾向もあるかもしれない。

(私見だが、富裕層は人情噺を好む=普段笑い過ぎて、たまには泣きたいのかもしれない。

私は普段、嫌な事ばっかりなので、笑いたいけど・・・)

 

しかし、落語会の中に

リピーターが多くなればなるほど、エンゲイ係数は高まる傾向にある。

 

もちろん、人間はそれぞれ重要視することは違う。

「お金」が最もわかりやすいけど、「お金が絶対的」なら、

少なくとも私はこの商売は選んでいない。

 

でも、「お金やない!」だけに、

 

「落語家として自分の価値を測る客観的指標」が

 

あった方がわかりやすいと思った。そこで考えたのが「エンゲイ係数」だ。

(エンゲル係数やエンジェル係数に続く、良いネーミングだと思った)

 

 

これを考えた時ぐらいは、まだ自信があった。

もっと言えば、若ければ若いだけ自信があったのかもしれない・・・。

 

芸歴を積み、より多くのお客さんに見てもらえるように落語会運営を努力するにつれ、

自分の落語会の入場者数が増えていった・・・。

 

すると、自分のエンゲイ係数が下がって行ってるように思う・・・・。

 

 

昔は自分の落語会で20~30人のお客さんが来ていて、

同日に鶴瓶師匠の1000人のお客さんの会があった場合、

 

「この20~30人のお客さんは、今日、鶴瓶師匠の会があるにも関わらず、

 私の会を選んだのだ!」

 

という誇りを持てた。もちろん、

 

「おいおい、鶴瓶師匠の会に入れなかったから、そっち行っただけやろ!」

 

というツッコミも考えられるが、そもそも

 

「鶴瓶師匠の会に入れなかったので、‟仕方なしに”」という理由で私の会には来ない。

 

そう思う人は、私の会にも来ずに家で寝てるだろう・・・。

 

またその当時の20~30人は物凄い好事家の集まりだった。

(他の落語家もお客の名前が言えるような、色んな落語会の常連の人が多かった)

 

 

当時は、「もっとお客さんをもっと来てもらいたい」と思っていたし、

 

「他の落語家の所得と、面白さは関係ない(比例形でない)」と思いながらも、

 

「自分の落語が面白くなること」と、「自分の入場者数が増える事」

 

は相関関係にあると思っていた。

 

しかし、あの当時より入場者数は増えた。顧客名簿の数は10倍だ。

 

今は、私の落語会より集客数の低い落語会が山ほどある。

 

そして、私の会と同日開催の会で、

 

「私の会より少ない人数が集う」という現象があちこちで発生している。

 

 

つまり、この少ない人数で集っている他の落語会のお客さんは、

 

「私の落語会があるのを十分知ってるにも関わらず、私の会を選ばずに、そっちの会に行く!」

 

と決めた非常に熱心な落語ファンである。

 

・・・おいおい!熱心さで負けてるやないか!「私を見たいという気持ち」よりも

  もっと熱い気持ちで他の落語家に通うお客が沢山いるというのを

  このごろ目の当たりに感じる・・・。

 

お客様がこの10年で増えたが、

そのぶん「笑福亭たまの落語会はお客が多いから見に行こう」という人が

一定数含まれ出す。

「どれどれ、どんなもんじゃ?」みたいなお客も増えて来る。

そういうお客さんには、「落語そのものが面白い」ので、

何とかなるのかもしれない。でも、「それは自分の落語の正当な評価か」と言われれば疑問だ。

(また、この「どれどれ?」がいないと、商売としては成立しないし、

新規客がいないと、落語会は右肩下がりになる)

 

昔の方が、そんなにお客が入ってなかったけど、

何か「得も言われぬ自信」があった・・・。

(ただ、メチャクチャ貧乏で、ええ歳して漫画喫茶で再度働き出した時には

「もうダメだ」とも思ったけど(笑))

 

キャリアを積むと、商売の知恵をつける事もできたり、なんじゃかんじゃで

昔よりはお客が増える。

 

そうなると、「自分の落語が本当に面白いのか」を確かめる指標が

物凄い難しくなる。

 

私ごときで、そう思うのなら、

 

世間の売れっ子(集客力のある人達)は

自分の面白さにもっと懐疑的になるのかもしれない。

 

いや、もっと集客力が出たら、それを克服する何かをまた見つけられるのかもしれないけど・・・。

 

テレビに出る事を目標とする人は、テレビに出る事で=現状で目標達成度を測れる。

お金が欲しい人は、より稼ぐことで=現状で目標達成度を測れる。

 

我々落語家=ライブ芸人の価値は、やはり客観的指標で測るのは難しいようだ。

 

 

私が昔、うちの師匠の「刻うどん」を見て、

 

「こんな面白いものがあるのか!」

 

と思った感動を(息苦しくなるぐらい笑った現象を)お客に届けたいというのが、私の目標だ。

 

それは決して測ることはできない。

 

昔は「エンゲイ係数」を論じていた時は、お客が少ないだけに(少ないのに?)

どっか自信があった。

 

「今日来たお客は俺の芸を、“いろいろ見た上で”見ようと思って来てくれてる!」

 

という自負である。

 

今は、「もっと熱烈な落語会が他にもあるだろう」という疑念はぬぐえない。

もちろん、お越し下さったお客様に向かって、ちゃんとしないといけないのは当たり前だ。

 

しかし、今は「目標に向かって進んでいる」気持ちはあるというのに、

エンゲイ係数では何とも評価しきれない自分がいる。

(もちろん、エンゲイ係数の評価で「オモシロくないようになった」とも

 考えようと思えば考えられる・・・嫌やけど)

 

お越し頂くお客様に「ありがとうございます」という感謝しかなく、

「自分の芸はどうなんだろう???」という客観的評価はわからないまま、

頑張るしかない状況である。

 

 

今や、どれぐらいその目標に近づいていってるのか、よくわからないが、

 

内なる心に耳を傾け、「かつて感動した自分が自分を客観視」し(ものすごい主観)、

 

頑張るしかと思う。

 

・・・ひたすら論理的に、傾向と分析を駆使し、「根性」を出すだけだ。

 

 

わかりきったことだが、結局、

 

落語家の価値は、お客さん1人1人の心でしか決められないようだ。