芸能人の落語が面白いのはなぜか?

 

→簡潔に言うと、答えは「落語が、そもそも面白いから」だ。

 

 

しかし、もっとこの問題をより深く考えてみる。

(※ここで言う芸能人は、落語家でない芸能人である)

 

 

一般的に

 

「芸能人の落語を見た一般のお客さんは、“この人、凄いなぁ”(落語家としても凄いレベルだろう)」

 

と思う。一方、売れてない落語家の落語家は「どうせ面白くない」という偏見に満ち溢れており、

 

また実際、そんな事態になりやすいのも含めて、私見を述べる。

 

大局的な話からしていく(あくまで私見というか今のところの傾向分析)

 

 

●メディアのお笑いと落語の違い(R1で落語家が勝てない理由その1)

 

私は

 

落語は「マラソン」みたいなものだと思う。

テレビのお笑いネタは「短距離走(100m走)」だと思う。

 

マラソンは、距離が長いので、色んな技術を使い、自分の短所を補える何かを使える。

芸能人でもマラソンをした場合、練習によってタイムをずいぶん縮められる。

猫ひろしさんは、カンボジア代表にまでなった。

 

しかし、芸能人で本気で短距離走に挑む人は少ない。

それは世界レベルに達するのが、極端に難しいからだ。

 

芸能人が落語に簡単に手を出し、

R1にはなかなか手を出さないのとよく似ている(笑)

 

マラソンは、誰でも「タイム更新の結果」が出て、

能力のある人は「トップレベルに挑める結果」まで出る。

 

落語は、マラソンと一緒で「誰でも出来る芸能」で「誰でも伸びしろを伸ばせる芸能」でもある。

テレビのお笑いは、「能力のある人が、一定期間、必死で頑張って作ったネタの勝負」だと思う。

 

 

だから、笑福亭羽光さんが、どっかの記事で、

 

「落語家は、もっと時間があったら勝てるとか言いますけど、

 R1に出てる人は短い時間でストーリー展開もしてる人も多いし、

 落語家が、R1で勝てない言うのは、単なる言い訳です」

 

みたいな事を語っていたが、これは誠にすがすがしい。本当にその通りだと思う。

 

 

きっと短距離の能力のある落語家が、R1に出たらちゃんと勝てるんやないかと思うが、

でも、短距離の能力のある落語家は、あまり落語で芽が出てない人だと思う・・・これは傾向分析です。

 

例えて言うと、

高橋尚子選手みたいなマラソン選手が、100m走の大会にあまり出ないのと一緒で、

「餅は餅屋」やないが、

 

短距離走者は、どっかで100m走に行くと決めた人がチャレンジし、

「あ!俺は短距離走は難しいんや」と思った人はチャレンジしない。

 

そもそも「マラソン選手志望」で、「100m走競技」に行く事自体が少ないと思う。

そういう意味で「マラソン選手志望」の人の中で短距離の素質のある人間は少ない。

だから、R1で勝てるような短距離の才能を持つ落語家はあまりいないんだろう。

(そもそも短距離の能力のある人は、長距離の能力が求められる落語家を選択しない傾向にあるので、
 出現率は物凄い低くなるのは当たり前だ…)

 

ある意味、落語家は「プロのマラソン選手」なので、

プロのマラソン選手として結果が出れば出るほど、

短距離走で成果を出すのは難しい。

 

 

ちょいちょい

「もっとお前ら、テレビで売れるように頑張れ」みたいな発言をする人がいるが、

 

本当にトンチンカンである。それは高度経済成長期の考えだろう。

ピン芸人が落語家しかいなかった時代の考え方である。

 

 それこそ、明石家さんま師匠や桂小枝師匠(二人は同期)を最後に、

 「お笑い芸人」としてテレビに出現した落語家はほぼいない。

 (※吉弥師は、違う出現の仕方=ドラマからの出現である)

 

 

※たまに芸能人の落語家の師匠で、

 

「芸能人でない師匠を持つ落語家」に、上記の発言をして

 

「芸能人になること」を勧めて来る時がある(笑)

 

・・・いやいや、「誰の弟子か」見たら、そんなんわかりますがな(笑)

 そこ目指して無いですよっ・・・。今は、多様化の時代ですよ。

 もちろん「芸能人になること」は素晴らしい事だと思うし、

 落語界にとって、落語の宣伝にもなるので本当に良いと思う。

 でも、それは自分の弟子に言えばええだけだと思う。

 

どっかのチェーン店の飲食店の社長が、個人経営の喫茶店に入って、

「チェーン展開せないかんで!」というのと一緒だ・・・。

 

その個人経営の店主は、

「チェーン展開したいタイプ」かもしれないし、

「気にいらん客にはコーヒーを提供したくない人」かもしれないし、

「単に惰性でやってるだけだが、幸せ」かもしれない。

 

最初から「(お笑いとして)テレビに出たい」がメインなら

普通は「NSCに行ってるやろ」としか言いようがない(笑)

 

NSCとか、人力舎とか、東京の芸能関係の養成所は

「お笑いのコロシアム」だと思う。普通に考えれば、

そこで勝てる人間でないと、メディアで活躍できないだろう。

 

我々は、そういう「お笑い競技」から考えれば

 

「ぬるま湯」

 

としか言いようがない(笑)

 

だから落語家が、R1で勝つのは至難の業だ。

 

・・・・でも、落語家の修業や生活は大変で、決して「落語家が不真面目」という訳でもない。

   そこの理由も考えてみたい。

 

 

●落語家の修業・生活スタイル((R1で落語家が勝てない理由その2)

 

メディアでの生存戦略では、昔から(?)

 

①テレビに出現するキッカケ=ネタ・グラビア・話題など

②テレビに出続ける能力=メディアでのタレント力・トークスキルなど

 

が求められると言われる。

 

まずR1で勝つと言う事は、「ネタ作り」=「メディア的なお笑い作品」が求められる。

これについては、落語家は不向きだ。

前述のように「短距離のお笑い」を作るのが苦手だからだ。

 

しかし、落語家の中には、「テレビに出続ける能力を持つ人間」は結構いる。

オーソドックスなスタイルでは、

 

 「ほとんどの人がそのジャンルに詳しくないのを良いことに

 立川談志師匠のように、とにかく自信を持って偉そうに言う」

 (そのジャンル自体の精度が凄いので、一般人が見たらまず納得する分野でなら、より成立する)

 

というのが定番である。

(本人の実力はある場合も無い場合も様々だろう・・・というか、落語の実力は、

生で見たお客が個人個人で決めるので、何がどうとか言うものではない。)

 

しかし、これもとにかく「メディアが認めた人」でないとダメだ。

本が売れるとか、ドラマに出るとか、寄席で人気とか(←これがまだ落語家としては、落語と地続きだが)の

バックグラウンドを持ち、風体が

 

「本格派(古典の王道)」

 

を若い時から漂わせる感じがないとダメだろう。

 

 

念のため言うが、私は決して

 

「テレビに出てる落語家で古典の王道スタイルでエラそうな人が面白くない」

 

とかは言うていない。←はい、ここ注目!!  言うてないから!

 

 

私が言いたいのは、例えば、

 

『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)の鑑定士が「いい仕事してますねぇ~」と言うが、

この鑑定士の鑑定眼がどれぐらいの力量か

 

を理解できない事の方が多い・・・ということだ。

 

「その筋の凄い人」とテレビで言われたら、「そうなんだぁ~」としか言えないし、

どっちか言えば「凄そう感」があるかどうかの方がテレビでは問われる。

 

そして、

意外に「ええっ!なんか大丈夫?」みたいなことも起こりうるし、

各業界ではよく起こるということだ。

 

 

それはともかく、

 

「①メディアに出るキッカケ(ネタ作り)」を落語家がサボってるのか?

 

という問題である。

ある意味、サボってると言えるし、サボらざるを得ないともいえる。

 

我々落語家は、あくまで「商売」である。

 

メディ進出を目論むお笑い芸人は「ネタ作り」はするが、「テレビを運営」「テレビ局の経営」はしない。

 

しかし、落語家は、「落語会」を経営・運営するのである。

 

落語家の修業は、「ネタの稽古」だけでなく、

 

・先輩の着物を畳む、先輩の着付を手伝う。

・先輩の名前や関係者の名前を全員覚える。

・落語会の挨拶&ルールを覚える

 (自分の出番前に、他の出演者に「お先に勉強させて頂きます」と言い、

  終われば「お先に勉強させて頂きました」と言う・・・などは、実はタイムテーブルの進行具合を

  全員に伝える役割があり、本当によく出来ている。)

・太鼓などの鳴り物を覚える。

・誰と誰が仲が悪いかなどを把握していく

・落語会の費用はどれぐらいかかるのかなどを理解する

 

など、、、実は「落語会」が上手く運営されるための基礎知識を学ぶことの方が

大半である。そっちの方が重要かもしれない(笑)

 

今までのブログに書いて来たが、

単体としてのネタの習得は、YOUTUBEで十分可能だったりするからだ。

 

しかし、この「落語会運営能力の体得」が、落語のネタとも結構絡むから、

私個人にとっては、「修業が必要」だ。

(前のブログに書いたように、「落語会運営能力の体得」が不要と思えば、

修業は不要だし、その体得される能力が十分小さいと思う人にも修業は不要だと思う)

 

この「落語家業を営む能力」を学ぶのに結構時間がかかり、

「落語家を続けなければ落語家でない」という絶対的条件があるので、

 

R1の短距離走に打ち込むだけのネタ作り

 

に勤しめないという「言い訳」もある(笑)

 

あくまで言い訳だが・・・、

私は「能力のある人がひらめき」でR1で勝つことはあると思う。

「能力のない人がR1で勝つには、相当な努力が必要」だと思う。

 

マラソンランナー(長距離走者)が、短距離走に挑むのなら、

相当な努力が必要だろう。

 

それなら、上記の「落語家の修業をしながら」は無理だと思う。

 

なんとなく、50歳ぐらいの「落語の修業をしなくて良くなったオッサン」が

相当努力を積んでR1で勝つことはありうるかもしれない・・・と思ったが、

そんな相当な努力が出来るオッサンなら、

それまでに落語の世界で芽が出てる気もするので、それも難しいとも思う。

 

まあ、世の中、何があるかわからない。

 

 

●芸能人の落語が面白いのはなぜか?(その1)

 

それは今まで沢山、書いて来たように、

落語が自体が面白いということだ。

 

そこそこ能力のある人がやれば、かなり面白い。

 

そして、落語会は、芸術ではなく、あくまで「芸能」=「商売」だ。

 

芸能は、お客様が入って「成立」する。

芸術は、誰も見なくても成立する。

 

木梨憲武さんが個展をしたら、沢山お客が来て、沢山感動を与えたそうです。

工藤静香さんは二科展にしょっちゅう入選して、工藤静香さんの絵を買う人も多いそうです。

 

・・・ここでも念のため言うが、私は決して

「木梨憲武さんや工藤静香さんの作品はどうなんだ?」

とかは言うていない。←はい、ここ注目!!  言うてないから!

 

悪意のある「読み手」がいるから言うておきます!!

 

私が言いたいのは

 

「そのジャンルを好きな人でないと、よくわからない」

(「木梨憲武さんや工藤静香さんの作品は、一般人が見ても結局どうなんかわからない」)

 

ということだ。つまり、

 

美大の学生の絵を見て、「おお!凄い!」と思った場合、

その学生の絵がどれぐらい凄いかはわからない・・・事が大半だということである。

(逆に、物凄い才能であったとしてもわからないということを言いたいのだ)

 

個展の開催やコンクールへの出品は自由だし、

お客の大半が高評価なら、そもそもOKというか、大成功だ。

そこから物凄い興味をもって、お二人の絵を見て「やっぱり凄かった!」

と確かめていく人も出て来るだろう。

 

でも、我々一般人は、全てのジャンルに興味を持ち、

全てのジャンルに「奥深い鑑識眼」を持つことはできない。

またそのジャンルでテレビに出てる人のライブの活動も理解できない。

 

※昔、鶴瓶師匠はテレビやライブで「持ちネタは3つしかない」とか言うていたので、

それを真に受ける人もいたが、昔から鶴瓶師匠はそのへんの落語家より高座数が多かった・・・。

(そういうことを利用したギャグで言うてはった・・・)

 

私がここで言うてるのは、 

「落語好きになって他の落語家も沢山見た上で、その落語家をどんな感じで好きになるかに至る」
までは時間がかかるし、ハードルが高い

 という事を述べてるのです。
そしてそのハードルを越えた人は、その人達を「どんな芸か」とかでは評価せず、
結局、「好き・嫌い」になってしまうんですけど・・・鑑識眼を持つと言う事はそういう事だとも思う。

つまり、自分がよく知ってるジャンル(興味を持ってるジャンル)以外については、

我々はほぼわからないと思う。

 

でも、少なくとも「芸能人」は、芸能界で暮らしてる「その分野の一流のセンスを持つ人」なので、

その人が

 

「落語」という「世間が認知していない面白い芸能」

 

をやれば、当然、それなりの結果が出る。

 

そして、生粋の落語家ではないだけに、

 

「生粋の落語家ではたどり着けない何か」を

 

表現できることも多いと思う。これが芸能人が面白い理由の1つだ。

 

私の主張のこういうとこを強調して覚えて欲しい!

 

 

●芸能人の落語が面白いのはなぜか?(最大の理由)

 

芸能人の落語が面白い最大の理由は、

 

落語家が今まで培ってきた「現代落語の最高の技術」を丸パクりできる

 

からだ(笑)

 

 

子供の時、不思議だったことがある。

 

「スター新春かくし芸大会」で、芸能人が物凄い曲芸を披露し、成功させるのだが、

その時のナレーションで

 

「この曲芸が出来るは、世界でただ1人●●●●(外国人の名前)さんだけです。

 ●●●●さんはこれを習得するのに7年かかったそうですが、〇〇〇〇(芸能人の名前)さんは、

 それを4か月で習得したそうです!」

 

みたいなのがあった・・・。毎回、「ええ???どういうこと???」と思っていた。

そんなに〇〇〇〇は凄いのか、、、ええ?世界で1人しか出来ない芸をやれる上に、

世界一の人より短期間でマスターできるのか?と思っていた。

 

こういう事だ。「その技術を生み出すには結構時間がかかる」が、

その技術が生まれてしまえば、その技術を会得するには、

生み出すよりは短時間で会得可能だということである。

 

落語家は、全員で「まだ見ぬ技術」を生み出す作業をしている。

そして、後発隊(後輩たち)は、その技術を既存のものとして

先輩たちより短い期間で技術を会得していく。

ただし、その際、「まだ見ぬ技術を生み出す方法」を含めた稽古となる。

 

芸能人が落語をする場合、

「まだ見ぬ技術を生み出す方法」を学ぶ時間をショートカットして、

いきなり「最先端」をやることになるので効率的だ。

(この「まだ見ぬ技術を生み出す方法を学ぶ」ことが、

 修業の醍醐味だと思う)

 

 

ただし、スターかくし芸大会と同様、

「最先端を丸パクり」であったとしても、

普通の人間では、その習得は不可能だ。

しかも、そんな短期間に・・・そんなことは人並み外れた人しか出来ない。

 

そこには芸能人の「芸能に携わる者の凄まじい能力」が秘められている。

 

だからこそ、「スター!」なのだと思う。

 

 

一周まわって、私が言いたいのは、

 

「スターは何をやっても、凄い」

 

と言う事だ。←皆さん、ここを覚えといて下さい!!

 

芸能人の落語が面白いのは、

 

「スターは何をやっても凄いから、落語をやっても面白い」

 

のだ。←はい、ここ重要!!

 

・・・とにかく誰にも怒られない事を祈るばかりだ。

 

※このブログを芸能人に紹介しようとするのは止めてほしい。

芸能人は「短時間で処理する人」だから、

このブログの一部を誰かに伝えようとした時点で、絶対に誤解を生む。

このブログは「全部を論理的に読める人」のみに読んでほしい。

 

私は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアのように演説をしているのだが、

ビンラディン扱いされる。

 

「愛と正義と正直を旨に・・・」と先日、演芸ライターの広瀬和生さんに言うと、

 

「ヒトラーとか独裁者も皆、同じようなことを言いますよ」

 

と言われた。私のブログは、読みたい人だけが、そっと隠れて楽しむものであってほしい。

まあ、こんな長文でしか書けない私はR1などで、絶対勝てる訳がないなぁ。

 

I  have a dream ・・・・