六代文枝師匠がつねづね

 

「繁昌亭からスターを!」

 

と言って、13年経った・・・もう無理だろう。

 

 

※その後、喜楽館を建てる時も、「喜楽館を建てて、スターを!」と言う話が出たので、

 

 当時、「繁昌亭ができて10年経ったのにスター出て来てませんでしたやん!」と

 

 一応ツッコんでおいた(笑)

 

 

もちろん、この13年の間にスターは生まれた。

月亭方正さんと、桂三度さんだ。

つまり、繁昌亭からスターを生まずに、スターを落語家にした方が手っ取り早い。

(私は以前から、この理論を提唱しており、ドンドン芸能人が落語家に

転身してほしい)

 

それはおいといて本題である。

 

「上方落語家はなぜメディアに出られないのか」

 

である。鶴瓶師匠とかの例があるので、そういう話は後述するが、

ここでは落語会で人気者になっても、なかなかメディアに出れない理由を述べる。

 

別に有名人が若手の芽を摘むから・・・とかそういう話ではない(笑)

 

まずその前に

 

「東京では落語会の実力者やその周辺がそれなりにメディアにも評価される理由」

 

を考えてみよう。

 

 

●東京の落語界事情

まず、大きな世界が3つある(以下)。

 

①落語会・・・目当ての落語家を目指して行くのがメイン

②寄席(新宿末廣亭、浅草演芸場、池袋演芸場、鈴本演芸場)・・・初心者から落語通までいくが、何も知らない人がまず辿り着きやすい

③メディア(テレビ・雑誌など)・・・落語を見た事が無い人が大多数

 

この3つの世界の動きは以下である。

 

・落語家として実力が増えると、①のお客が増加する。

 

・東京の寄席②のお客様の総数= 「何の情報もわからず来る人(A)」+「目当ての落語家を目指して来る人(B)」<前提>

 ①で人気者をトリ=メインにするor①の人気者を優遇して出演させることで、

 Bの人数が増えるので、寄席のオーナーは①の人気者を優遇する。

 また、①の人気者は、自分では獲得できないAのお客様と出会うチャンスが増え、芸を見せる事で

 さらに①のお客が増える。(win-winの関係になる)

 

・メディアの人は落語界事情を知らないので、

 「落語をやってるところ=寄席で誰が人気か」を業界人に聞く。

 ②の世界の人気者がメディアに出演しやすい。

 

上記を理解すれば、

 

「①の人気者→②の人気者→③メディアに出演」

 

という流れがわかる。ある意味、落語家としての研鑽がメディア出演に辿り着きやすい。

 

 

逆に、①②を経ずにいきなり③のメディアの人気者になった噺家は違う問題が発生する。

 

②寄席の「B(目当ての落語家を目指して来る人)」=「落語ファン(B1)+その人を一度見てみたい人(B2)」

 

なので、もしメディアで人気があったとしても、落語が下手くそだった場合、

「B2」は増えるが、「B1」が減るので、「メディア人気」と「落語通から見放されてる度合」の天秤関係が

出て来る。もちろん、東京は人口が多いのでB1の減少をB2の増加で何とかまかなえる事が多い。

 

しかし、③の人気は「B2」への集客アプローチがメインで、「B1」の属性を持つお客とは関係がないので、

メディアの人気者であっても下手くそなら、東京中心部での集客はもう少し露骨に影響が出る(=お客が少なくなる)

 

またお客が集まらないのに、ギャラは高額になるので、そういう人の落語会は東京中心部では

開催されない事が多い・・・ホンマか?すいません・・・ここは想像です。

 

【結論1】東京はある程度、落語の研鑽は、タイムラグはあるものの、

 メディア出演とは「地続き」である。

 

 

●大阪の落語界事情

まず、大きな世界が2つある(上記で言えば②の寄席が無い)

①落語会・・・目当ての落語家を目指して行くのがメイン
③メディア(テレビ・雑誌など)・・・落語を見た事が無い人が大多数

・・・①と③の間には何の接点もない(笑)

 

どんだけ落語会で実力があろうと、大阪の町では「知らん人」である。

①の世界の中では「オモシロい人」「下手な人」などの評価はある。

しかし、③からしたら、テレビに出ていない人は全員「知らない人」である。

 

③のメディア業界の人が、一般人(落語を知らない人)に落語関係を紹介する場合、

「メディア内で知ってる落語家を探す」ことが大半。

(寄席の人気者自体が存在しないので、メディア関係者が

 寄席の業界人に聞く事は無い)


メディアに出てる人が更にメディアに出るだけになっていく。

 

つまり、「メディアに出るためには、落語の研鑽よりも、先にメディアに出る事が先」という図式になる。

 

少なくとも私が入門してから現在まで、見て来た多くの噺家の動向は大きく分けて3つ:以下である。

(将来的には時代が変わって、もちろん異なる状況は生まれるかもしれない)

 

A:メディア出演を最初から念頭に置かず、落語会で生きていく者

B:メディア出演だけを意識する者(・・・一番わかりやすい例:鶴瓶師匠、さんま師匠)

C:メディア出演を物凄く意識しながら、「落語会でもそれなりに俺はやるよ」的な人

 

・・・これの具体例を挙げてみたいが、物凄い問題だから列挙できない。

(またCを選択した人がどうなっていくかも書きたいが、控えておく)

 

おそらく上方落語四天王の直系世代=昔は、そもそも全員Cの要素だったと思う。

時代とともにライブとメディアの住み分けが出て来たので、多くの噺家が

AかBを主戦場にしていったと思う。

 

私が入った時には多くの先輩が「A」か「B」に住み分け終わってる状況だった。

だから、最初から「Cを選ぶのは逆に危険」=時代遅れと私は思っていた。

→我々は最初からAかBを選ぶ方が良いと私は認識していた。

 

もちろん、今は私よりも新しい時代なので、

「いやいや、C!」も正解かもしれない。それはその噺家個人が決めることだから、

私は知らない。

 

【結論2】大阪は落語の研鑽とメディア出演は「地続きでない」ので、

上方落語家はメディアには出られない。

 

 

●おそらく想定される反論:「寄席=繁昌亭があるやないか?」

※まず先に言うておくが、

「東京の寄席=オーナーの私営、繁昌亭=協会運営だから違う!」

とか、そういう安直な話では無い!

そう言うほうが納得する人もおるけど、私なりの真実・分析を書いて置く。

 

・東京の寄席=昼・夜が寄席形式(10日ごとで番組が変更)。

・大阪の繁昌亭=昼は寄席形式(1週間ごとで番組が変更)、夜は毎日日替わりの独演会=落語会。

 

 

①東京の寄席は、

 

「誰がトリであるかによって集客数が違う事が露骨に判明」

 

する。集客数により、全員のギャラが変わるので、

「誰が実力者か」が露骨に分かる。

 

「昼はある程度、誰でも入る見込みが立つ」が、

「夜は人気が無いと集客が絶対的に見込めない」という厳然たる事実がある。

 

→誰が人気かがわかる状況があるので、「昼夜含め、誰をトリにすれば良いか」、

 残酷的にわかる(笑)

・・・つまり、「寄席のトリ=人気者」として"見える化"されている

 

 

②大阪の繁昌亭は、まず「夜10日間を連続で集客できる噺家」が誰もいない。

(東京と大阪の人口の違いも大いにある)

→大阪は、夜を上方落語協会員への貸席としている=噺家個人の落語会。

 

昼席のお客の総数=「何も知らないお客(A)」+「出演者をめがけて来たお客(B)」だが、

 

Aの人数より、Bの人数が圧倒的に少ない。だから誰がトリを取っても

短期的には「お客の総数」には影響がない。

(団体のお客が少なく、Bの数が目立つ時期は勿論ある。Bの影響力を持つ噺家もいるが全体的に僅か)

 

→実際、以前は、集客責任が無いだけに「トリを取りたがる噺家」がわめきがちになったり、

 個人的主観で「もっと抜擢を!」とか言い出す人が多かった。

(あるいは独裁政権下では「えこ贔屓」が生まれやすくなるシステムでもある)

 

 

東京の寄席なら、集客力という客観評価か、「オーナーの主観」という客観評価があるが、

大阪の繁昌亭で「●●をもっと抜擢するべき!」は個人的主観でしかない。

 

 

もし大阪の繁昌亭で本当に「全員が目に見える」客観評価で抜擢するなら、

 

・理事全員の投票 or

・協会員全員の投票 or

・お客様の投票 or

・夜席の入場者数(年間の主催興行における総入場者数)

 

などで決定する必要がある。

 

これについての客観評価の「見える化」の導入については、

多くの先輩達が「誰かが傷つく!」「なんか嫌!」という理由で却下する。

 

その割に「そんなんせんでもわかるやろ」という自分の主観を

「客観」として押し通そうとする噺家が大半なので揉める(笑)

 

まあ、今は一定数の噺家が構成する番組編成委員会が、平等・公正の出番数を踏まえた上で(エクセル管理した上で)

色合いを決めているので不満は少ないはず・・・(見える化ではないが、客観的評価である)

 

・・・現状で文句を言うてる人は、

個人的主観と客観評価をゴッチャにしてるとしか思えない・・・。

 

 

話は戻るが、現在

「繁昌亭はある意味、"見える化"していない客観評価によりトリを選定」

しており、噺家それぞれの尊厳を守るために=誰も傷つかないようにするために

「人気者の見える化」は行っていない。

 

まあ、それをしたところで、

 

①落語会の人気者→②繁昌亭の人気者→③メディア出演

 

という流れは起こらないので、不要だろう。

 

大阪は

 

「落語会の人気・・・・かすかに影響・・・・>繁昌亭での人気」  (断絶)  「メディア出演」

 

だから無駄だ。

 

※ちなみに、先に③メディアで売れて、テレビの人気があったとしても、

落語ファンに人気が無い場合、


東京の落語界事情と同様に、

「メディア人気」と「落語通から見放されてる度合」の天秤関係が出て来る。

 

しかも大阪の落語世界は、お客様の総人口が少なく、落語ファンの構成比率が高いので、

メディアの人気者であっても落語ファンに人気が無い状況なら、

集客は露骨に影響が出る。(お客は少なくなる)
 

この「メディア人気があるのに、落語会ではお客が集まりにくい」という現実そのもが、

 

「落語界とメディア界との断絶」を示唆していると言えよう。