私の師匠・笑福亭福笑(70歳)は、M1を見ないし、今年も見ていない。
にもかかわらず、今日の打ち上げにて、音楽の話題から
師匠「あの、凄い奴いてるがな! ほれ、ギター弾いてる奴で、
マキ、マキ・・・マキがつくねん。皆知ってる奴や」
たま「牧伸二ですか」
師匠「違う!牧伸二やない。あの・・・ギター持って、作曲とかしよる!」
たま「ほな牧伸二やないですよね~。牧伸二は作曲とかのイメージやないですもんね・・・」
師匠「ほれ、こんな感じでギター弾く!(胸の位置でギターを弾く格好)」
たま「それ、牧伸二と違うんですか」
師匠「違う言うてるやろ!・・・あのーほれ!う~ん、、、、マキが付かへんかわからん」
たま「ほな牧伸二やないですね。マキが付かないんですから・・・」
師匠「あのー、ギター持ってる!お笑いで、皆が知ってる!」
たま「ほな牧伸二になりますけど・・・」
師匠「違う言うてるやろ!あの長淵とかの歌を作りよんねん!」
たま「エエーッ!ほな絶対、牧伸二ちがいますやん。牧伸二が長淵剛の曲なんか作る訳ないですもんね・・・」
師匠「ほれ、あのマキが付く!」
たま「ええっ!やっぱりマキが付くんですか? ・・・あっ!ほなもう、マイク真木と違うんですか」
師匠「マイク真木やない!KANとかの曲もやりよるねん!」
たま「ほな違いますね…。マイク真木は“バラが咲いた”ですしね…。KANの曲とか作りませんよね…。
真木蔵人でもないですよね・・・」
師匠「違う!真木蔵人でもない!ほれあの、ヒゲずらのちょっとハゲた!」
たま「それはマイク真木と違うんですか・・・」
師匠「違う言うてるやろ!お笑いや!」
たま「お笑い、、、ほな牧伸二・・・」
師匠「違う!メチャクチャ才能あるやつや!(胸でギターを弾く格好)」
三味線の師匠(まなみ姉)「ひょっとしてそれ、ウクレレじゃないの?」
たま「ほな牧伸二ですやん!」
師匠「牧伸二と違う言うてるやろ!」
たま「ほな、、、笑丸やないですよね・・・」
師匠「違うわ!ギターや言うてるやろ、、、あの・・・、あぁ!マキタスポーツや!」
全員「おお~、マキタスポーツね!」
繁昌亭スタッフ(中西さん)「阿弥陀池みたいですね」
・・・ええー??? 心の中で「ミルクボーイ」の方が近い気はしたが・・・。
しかし、落語家たるもの、ここは「阿弥陀池」というのも納得。と言うか、阿弥陀池と思うべきかもしれない。
そんな日常の1コマでした。
師匠はM1を見ていないのになぜミルクボーイの漫才みたいになるのだろうと思った。。。。
よく考えると、このように「忘れてる言葉を皆が当てようとする」というのはよくある風景だ。
しかし、「ミルクボーイ」で見た人は、その事態に直面した時に、
(「言葉を忘れた相手」は普通に忘れてるだけやのに、)
ミルクボーイの相方みたいになろうとしてしまうのかもしれない・・・。
これで師匠が
「そういうたら、ミルクボーイおもしろかったなぁ」
とか言うたら、「見てはったん!」ってなるけど。。。「伝説演芸会!デスパレードの会」、お疲れ様でした。