三金兄の落語会に年季中から見学しに行ってました。

 

既に20年前には

三金兄は島之内教会でゴスペルと一緒に落語会をやっていました。

 

天性寺寄席(三金兄の勉強会)や、ラクゴレンジャーにも

見学しに行ってました。

 

落語会の準備完了から開場までの間、

三金兄はネタをくる(稽古する)のですが、

私にネタのノートを渡して「セリフが抜けてないかチェックしてくれ」と言い、

私をモニターにしていっつも落語の稽古をしていました。

これを我々は「儀式」と呼んでいました。

(たぶん、島之内協会のゴスペルとのイベントの時から、

 ラクゴレンジャーが終わるぐらいまでは儀式をしていた気がします。)

 

 

天性寺寄席で落語をさせてもらった時に、番組は

 

「看板のピン」笑福亭たま

「蛇含草」桂三金

「矢橋船」笑福亭福笑

仲入

「高津の富」桂三金

 

でした。この時に、三金兄が

 

「気ぃつかへんかったけど、今日のネタ全部ついてるな」

 

と言いはりました。

※「ネタがつく」とは、番組内の演目同士で、内容や趣向が同じことを言います。同じ趣向や内容が

 あるとお客様は飽きるので、基本は避けます。

 例えば、酔っ払いのネタは1番組に1席しかしない。

 「教えてもらって、それを全く同じ形でやって失敗する話」も1番組に1席。

 恋愛ものばっかりしない・・・とか。 

 

落語ファンの皆様、「看板のピン」「蛇含草」「矢橋船」「高津の富」の4席は、基本何も

ネタがつく事はないです。でも三金兄は「ある部分が“ついてる”」ことに気づいたのです。

 

たま「ええ?どこがついてます?」

 

三金兄「いや、これオチがな、

 

“パァーッと開けたら、中までピンやった”

“シューッと開けたら、餅がジンベ着てた”

“シューッと抜いたら、竹光でした”

“シューッと布団めくったら、雪駄履いて寝てた”  やろ」

 

全員「それはええでしょう!(爆)」

 

 

モノマネも上手で先輩だけでなく、我々後輩のモノマネもよく見ました。

由瓶兄や笑丸さんのモノマネをして、僕らがメッチャ笑ってたら

 

三金兄「由瓶と笑丸が売れたら、俺も売れんねけどな」

 

と言うてました。

 

 

「ひむがし寄席」の思い出はブログに書けないので

落語会で言います(笑)

 

 

三金兄と三弥兄と私で勉強会をした事もあります。

(名前は谷六でやったので、真田山寄席やったと思います…)

 

年季明けてすぐぐらいに、

三金兄から三弥兄と3人で一緒に落語会をしよういう話が出て、

私は一旦断りました。というのも、

私は福笑から「仲良くしない事が、仲良くする方法や」という話を聞いていたからです。

 

たま「お兄さん、一緒に会をしたら仲が悪くなるかもしれないので、

   一緒にしない方がええと思います。せっかく今お兄さんと仲良く出来てるのに

   ええ関係やなくなるのが怖いんです」

三金兄「ほな何か一緒にやって、関係が悪くなりそうな事あるんか?問題とか」

たま「いや、今は思い浮かばないんですけど…。関係が悪くなるのが嫌なんです」

三金兄「ホナ、いっぺんやってみたらええやん。アカンようになったらスグやめたらええねんから」

 

と言って、スグ仲が悪くなりました(笑)

というか、私が一方的に怒っていたのですが。

3人の会なので、3人がトリを取るので1セットなので(3ヶ月やりきるまで終わらないので)

その期間、ずっと私は三金兄の悪口を言うていたと思います。

それでも許してくれました。だから一緒におれました。

お兄さんのおかげでええ関係でおれました。

ええ関係にしてくれたのはお兄さんでした。ありがとうございます。

 

※チラシは三弥兄が担当して下さって、

 1回目の3人の勉強会のチラシは地図が書いてなく(グーグルなどが無い時代)、

 お客がたどり着けないと私が言い、

 2回目のチラシは、三弥兄が何かの画像をコピーして地図が真っ黒けで

 全く読めない地図でした。3回目は私が手書きしたような・・・忘れました。

※1回目はお囃子はカセットテープでやりました。

 私が「これからは生のお囃子をすべきです」と提案したら、

 三金兄が仲良しの三味線弾きの美人の素人さんを連れてきました。

 嫌な予感がしたのですが・・・(笑)、

 誰かが落語をしてる間は、ずっと眠る人で、

 オチで私が太鼓を「ドンドン!」と叩いたら、

 そっから目が覚めて三味線を持って弾き出す・・・そのため毎回出囃子が遅れる事態になってました。

※私が新品の太鼓セットを買って、その会で初めて太鼓を使うことになり、

 会場へ運ぶ途中、車のトランクの蓋で長バチを折って、一度も使えず、半泣きになってました。

 (これは誰が悪い訳でもなく、私が悪いだけです)

今思えば、笑える事でしたし、大したことでもないのですが、

その当時の私は、余裕がなかったので、色んなことに怒ってました。

(あ、今も余裕ないけど)

 

三金兄は「(笑福亭)たまに、また怒られた」と言うて笑ってくれてたみたいです(三金兄のお母さん談・その他関係者談)

 

※三弥兄は「お前、〇〇〇についてはどう思うねん!」と、

 体育会系の上からの先輩然とした喋り方ですが、毎回「質問」形式でしかなく、

 全然怒られたりしませんでした。三弥兄も話もよく聞いてくれる優しい人でした。

 

三金兄「福笑師匠は心の師匠やから。お前はその弟子やから。

     俺が福笑師匠とこへ入門してたら、お前は俺の弟弟子やったかもわからんねんなぁ」

 

と、よく考えると当り前な台詞ですが、入門当初は、そんな言葉を何度か言うてくれました。

 

六代文枝一門(当時三枝一門)の三金兄の後輩は

三幸さんが入門するまでは、三ノ助兄と三弥兄なので、全員私より先輩でした。

 

私より後輩の三枝一門(六代文枝一門)が現れ出して、

 

「やっぱりホンマもんの後輩は、何か関係性がちゃうなぁ」

 

とも思いました。

 

三金兄とその弟弟子の人らは、いっつもアホな事を言うてワイワイ騒いでいました。

修学旅行で騒ぎまくる学生のようにずっと元気でした。

なんとなく、私が思い描く「芸能人のやり取り」のようでした。

※あまりに、ノリツッコミとか、ボケたりするので(まさに四六時中で)

 面倒になる時があり、「あの三枝一門のノリ」と揶揄する時もありました(笑)

 ↑

 今思うと、三金兄は凄い体力やったなと思います。

それでも、そんな兄弟弟子の関係は、羨ましいなとも思いました。

 

私が「できちゃったらくご!」のメンバーになった頃ぐらいから、

ちょっとまた違う感じになった気はします。

「弟っぽい存在」ではなく「後輩の噺家(噺家仲間?)」みたいなか感じでしょうか・・・。

 

つづく