三金兄とは、私の芸歴ぶん21年のお付き合いです。
私が福笑に入門してすぐ
「創作落語の会」(心斎橋のMキューブ:ミヤコ楽器)に
ついて行った時にご挨拶させてもらいました。
三金兄は、うちの師匠のことを
心の師匠と言うてくださり、その弟子と言うんで
私も大変お世話になりました。
(三金兄は関大の落研で、学生落語のコンクールの審査員を福笑が
してたので、三金兄は素人時代から福笑と知り合いでした)
お兄さんと誕生日が1月6日で一緒やったんで、
誕生日二人会もさせてもらったこともあります。
三金兄のお食事会で知り合った女性と付き合った事もありました。
その人と別れるまで黙ってました。
別れたことを言うと、
三金兄「いっぱい色んな人から話は聞いてたけど、
お前が言うて来るまで俺は何も言わへんかってん」
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いつも空気を読んでTPOをわきまえ、
アドバイスをもらうだけでなく、
黙って見守ることもしてくれました。
三金兄には、仕事のことで、
いっぱい正面切って、本気で文句を言うたこともありました。
後輩として無礼だったこともありました。
それでも許してくれました。本当に懐が深い人でした。
たまにケチくさいことをするので
たま「お兄さんは、懐深いから凄い。これでケチやなかったら、
いずれ上方落語協会の会長なれますよ」
三金兄「よし、ほなデブネタだけやなしに、ケチネタも作るわ」
たま「いやケチを治してください」
とか言うてから、私に何かをおごってくれるたびに、
三金兄「これでケチって思われへんな」
と言うて遊んでました。無礼なやりとりですが、許してくれてました。
芸人は自分だけの爆笑ネタを持つべきという話になり、
三金兄「俺の十八番ちゅうか、"桂三金、ここにあり!"って言うネタは何やと思う?」
たま「"もしも文福師匠がチリトテチンの竹だったら"のモノマネちゃいますか」
三金兄「ギャペッ!」
とか会話しました。
喜楽館を建設するかの委員会で、私が色んな事をいっぱい抱え込んでた時も、
三金兄は廊下で会うなり、
「うちの師匠がすまんなぁ〜」
と言うてきてくれて、めっちゃ笑いました。
そこには文枝師匠への愛情と、
優しさが詰まっていました。
つづく