しょうです
「あるのにないもの」
「ないのにあるもの」
あるモノが、目に見えていたら、そこにありますよね
目の前になければ、「〇〇に置いてある」とか「〇〇に持っていったので、今、そこにはない」とわかりますよね。
しかし、そこに「忘れる」といういうことが加わると・・・
さて、どうでしょうか・・
どこにあるのか、探しますよね
その「忘れる」が強く作用すると・・
そもそも、それが存在すらのかさえ怪しいものです。
誰かの「〇〇にあったよ」とか「さっきまでそこにあったよ」とかアドバイスがあれば「あ、そうだったね~」と気づきやヒントになります
そのアドバイスがなければまた違った状況になるでしょう。
知識や情報も、誰かが「〇〇だったよ~」とか「〇〇だって~」と口にしたときに自分でも「それは、どうなのか」とほんの少し考えてみるのもいいですね。
自分の中の興味があるかないかで変わってくるかとは思いますが・・。
けれど、ほんの少しだけでも「それは何?」と情報を探してみると面白いと思いますよ。
これまで「ない」とされていたものが「ある」かもしれません。
これまで「ある」とされていたものが「ない」かもしれません。
うちの母がよくモノをどこに置いてきたのかわからなくなるので「さっきまでそこにあったよ」とか
「ここにはないから自分の部屋じゃない?」
と、声をかけて自分で探してもらうようにしています。
自分で(いつもの動線上にあるであろう場所を)探すように誘導します。
自分で探すことで、記憶を呼び覚ますことにも繋がるかなと思っています。
自分で探して「あった~」と笑顔で報告してくれます
「認知」・・大事ですよね。
見えない
知らない
わからない
なんなら、隠されると・・・ね。
今、私たちは何を見えないように隠されているのでしょうね。
今、起こっていることはなんでかな?と少し違う視点を持ってみませんか?
偶然とは必然である。
ということにも敏感になってみませんか?
私たちの認知機能を鍛えてみませんか?
最後まで読んでいただいてありがとうございます。