よく討論となるのが資本主義の本質とは何かという事です。

 

どんな物事にも必ず本質はあります。

その本質により構造が決まりその構造従い複雑に様々な現象が生まれます。

本質→構造→現象との順に上位が下位を拘束しているのです。

本質を理解する事が出来ればその物事が今後どのような変遷を辿るかさえある程度予測する事は出来るでしょう。

 

もし分析力を武器にしたいのであれば、現象に囚われずに構造を診る力。

要はそれらの構造から本質を見抜く力を養わなければなりません。

 

私たちが暮らしているこの社会は他の多くの先進国と同様に社会構造が資本主義に根差しています。

この資本主義社会の本質が何であるか、じっくり考えた事はあるでしょうか?

私はありません。笑

 

自分が当たり前に暮らしている社会の原理である資本主義の本質をシンプルに理解しておく事は大切な事であると実感しています。

 

さて、その資本主義の本質とは何でしょう?

私は資本主義の本質は人間の欲だと考えています。

人間の欲とは様々にありますが、例えば最も基本的なより便利で、より快適な暮らしがしたいという欲のベクトルは人類の歴史の中で決して逆行した事がありません。

 

馬から自動車へ。

固定電話から携帯電話へ。

アマゾンに代表されるEC革命やこれからのAIによる自動運転も。

これまでもこれからもずっとずっと私たちはもっと便利でもっと快適なモノとサービスを求め続けるんです。

私たち自身が私たち自身で求め、発明し、サービスを創っているのです。

そのベクトルに沿ったイノベーションが繁栄するのは必然なのです。

 

資本主義は人間の欲をエネルギーの源に変え、人々を競争させる事で社会を発展させる構造を持っています。

欲を人質にして人々を競争させる事で、人々に怠惰や停滞を許さずに生き残る為には常に進歩と努力を強いていく構造となっているわけです。

欲をエネルギーにする事でより多くの欲を満たすループ構造になっています。

非常に良くできていませんか?

勿論、欠陥も問題もあるので完璧には程遠いでしょうが、ほかにいくつもある失敗した社会構造なんかよりも、人間の本質を相対的により満たしやすい。

だから結果的に資本主義が最も発展してきたのではないかと考えてます。

 

資本主義とは欲を本質として競争が主な構造である事に違いはありません。

そこに人間は平等ではないという事を重ね合わせてしまうと、生きているこの社会がより明確に理解出来るようになってしまいます。

 

そもそも不平等である人間が競争しているこの社会自体がまさか不平等である訳がないという事は理解出来るでしょう。

誰かの為に都合よく作られている可能性を疑ってみるという事はまっとうな知性です。

この社会は個人を平等には扱いません。

その人が生み出す価値の違いにより扱いには残酷な格差があるわけです。

 

殺されない権利という意味においては、法的にすべての人の命を平等に扱うのは人権の基本概念ではありますが、人の命の価値が平等なのだと心の底から信じている人は居るのだろうか。

現実には人の命の価値は同じではなく厳然とした差があるのではないでしょうか。

今もどこかで新たな命は生まれ、またどこかでは誰かが亡くなっています。

 

概念的な話としては少しズレますが…。

誰かが亡くなり、その人の周囲が困る度合いは人によって雲泥の差があるでしょう。

社会的に死ぬ事を期待されている死刑囚のような命さえあります。

こうして現実を見てみると人の命の価値は社会にとっての有用性において歴然とした差があるのです。

これが悲しくも現状である事はほぼ間違いないと思います。

 

しかし、最低限のチャンスだけは公平に近づけるように社会システムは非常に良く出来ています。

先の基本的人権や教育を受ける権利や法の下の平等。

また、選挙権や参政権に生活程など。

どれもが最低ラインで設定されているのですが、競争して成功している人に比べて最低ラインがより多くの欲を満たしたならば資本主義社会は成り立たないからです。

つまりは競争のチャンスだけを公平に近づけておけば、競争の結果に対しては勝利者に報いて、敗者がとなった者が最低ラインまで落ちる事を良しとするのが資本主義社会なのです。

 

能力の差により経済格差が生まれる事を認め、平等の不公平などではなく頑張った人が報われる事を公平としています。

 

この資本主義社会においては大きく分けると二種類の人間しかいない事も事実です。

自分の24時間を使い稼ぐ人と、他人の24時間を使って稼ぐ人です。

私は何も資本主義そのものを批判するわけでも、こうなりたいと思うわけでもありません。

 

勿論、組織に加わらなければ成し遂げられないやりがいのある事業も世の中には沢山あるのも事実ですし、ただ私がいま思っている事は、資本家の世界がある事を知った上で自分を活かす機会にアンテナを張れる人間でありたいし、あってほしいという事です。

その結果において自分自身が幸せになる為の選択が資本家を目指す事でも組織に属してキャリアを終える事でも正直どちらでもかまわないと思ってます。

 

心地よくなってきた時こそ、環境を変える挑戦がキャリアの向上において極めて有効だとつくづく私は思います。