今回の九州北部豪雨について、政府や地方自治体の災害対策本部について色々な意見をみているのですが私も色々調べました。

まず災害対策本部の役割について、私たちはわかりにくい部分が非常に多いです。

また、自称インテリな方達は無知なまま政治家を批判しています。これはかなり残念な事です。

なぜならば、当たり前の事ですが、災害対策本部がある事により、自然災害(地震や豪雨や噴火など)の発生を食い止める事が出来るわけではないでしょう。

対策本部が設置されようが設置されまいが自然現象は発生するときは発生するのはごく当たり前の事です。

 

よって、非常災害対策本部については原則自然現象によって発生する災害への対応組織であります。

そして通常は災害が実際に発生した際の対応にあたるのが災害対策本部の役割の柱です。

※ただし場合によっては被害が発生しないよう災害発生の恐れがある場合に事前の対策を講じる事も災害対策本部の役割でもあります。

 

ここで注意しなければいけない点については、なんでもかんでも災害対策本部を立ち上げればいいというわけではない事です。

そして、首相や本部長である、国務大臣や知事、市長が事前にできる事はかなり限られています。

事前に被害を予測することは困難でありますし、被害の発生を食い止める措置を短時間で講じる事も困難です。

無論これらは絶対に事前にやっておかなければならないという事もあります。

 

首相などが災害・被害発生前に酒宴に参加をしていた事で、その事を単純に批判しても、今後の災害対策が進歩するわけではなく、ただただ感情的な批判だけで終わってしまいます。

批判するのならば、行動基準をしっかりと検証したうえで首相などが行動基準に沿わず、怠慢な行動をとっていたのか?

それとも行動基準そのものが不適切であったのかをあぶり出し批判すべきであると思います。

批判から生まれるものは何もありません。

個人的に話はそれますが、東日本大震災を教訓とできなかった部分に関して非常に残念で仕方がありません。

これから先は今回の災害と共に教訓としていなければ何ら無意味となってしまいます。

私たちは多くを学んだのではなかったのでしょうか…

今まで大丈夫だったから・まだ大丈夫そんな安易な気持ちは今後は持たないよう今回も学びました。

これらを教訓に国も自治体も、そして我々も意識や危機感を更に持たなければいけません。

 

今回の赤坂亭問題につきましては、SNSに写真をアップした事は失態でした。

既に謝罪はなされていますが、西村内閣官房副長官などが酒宴の写真をアップした事が世間からの批判を呼び起こしているのは間違いないでしょう。

私もこの点につきましては非常に憤りを感じています。

朝日新聞の世論調査においても安倍政権の今般の災害対応を評価しないという数字のほうが、評価するという数字を上回っています。

 

まず私自身安倍政権を擁護するつもりは全くありませんが、これは写真をSNSにアップした事が失態なのであり、実際の災害対応が失態であったかどうかは行動基準から検証しなければならないと思いました。

写真のアップについては、そもそも政治家は自己アピールが強すぎます。

(そういう方々でなければ政治の世界ではやっていけないのでしょうが…)

自分のアピールに対する世間の反応を感覚的に察知できない人が多いのではないでしょうか。

今回だけに限らずです。

だいたい、政治家が同じ政党の身内の政治家同士でお酒を飲んでいる写真を世間に発信しても何のメリットがあるのでしょう?

むしろマイナスではないかと思ってます。

 

政治家は世間のあらゆる領域において政治的、道義的な責任を負う立場であります。

世間に不幸があるときには、それに対して一定の政治的、道義的責任を感じ、その不幸を解消していく事が政治家の職務の一つでもあります。

地方の政治家であれば、自分が所属するその地方の不幸に、政治的、道義的責任を感じる事で許されるでしょうが、国会議員ともなれば日本全国の不幸に、当然政治的、道義的責任を感じる必要が出てくるわけです。

そして、日本全国を見渡せば常に不幸が存在し、発生しています。

 

こんな現代社会において政治家が身内の者とお酒を飲んで楽しんでいる様子を世間に発信する事に何の意味があるのでしょう?

おそらく、西村氏らは安倍氏との懇親会を開いているという距離の近さをアピールしたかったのでしょうが、それは永田町の感覚でしょう。

 

※過去に安倍氏が大阪のあべのハルカスへ視察に行った際に大阪選出の中山議員や太田議員やその他多くの議員が首相を取り囲んでいました。

特段何か役割があるわけではなく、彼らが来ても何の役にも立たないのにとにかく安倍さんの後ろや周辺にくっついている。

しかも必ずテレビ画面に映るよう、テレビカメラを意識して。

と以前橋下徹氏が発言をしていました。

 

永田町の世界では首相との距離の近さが重要なのかもしれません。

 

長くなってしまいましたが、今回の大豪雨災害が発生した後に、遡って赤坂自民亭の開催を感情的に批判するのではなく、総理大臣や災害対策本部の役割をきちんと分析したうえで、首相や政府の対応、そして地方自治体の対応に不備があったのかどうかを検証し、不備があるならばそれを見直す議論をすべきではないでしょうか。

組織は全て行動基準(ルール)に則って動くわけであり、結局のところ行動基準の検証、見直しが重要になってくるわけです。

感情的に批判したところで、問題点の改善には何一つ繋がらず、何の役にも立ちません。

 

また、形だけの災害対策本部は百害あって一利なしです。

大規模災害が発生すると、必ず総理大臣や各大臣、知事・市長、個人個人の対応の仕方が常に批判の対象になっています。

しかしながら、大規模災害の対応を個人個人が担えるわけがありません。

これは行政組織が組織としてしっかり対応するものであります。

 

総理や知事などが強烈なリーダーシップを発揮した場合にメディア等では、現場を尊重しろ、現場に介入するな、現場に任せろなどと批判をしています。

悲しいことに毎回毎回。

にもかかわらず、大規模災害になるとありとあらゆる事について総理や知事などに責任という言葉をつきつけています。

口は出すな。しかし、責任は全て負え。という感じです。

そうです。口を出せないのなら責任は負えません。

 

日本政府の組織も、地方自治体の組織もそこそこ大きな組織であります。

だから津城は担当者や担当部署ごとに懸念事項にあたって対応しています。

なんでもかんでもトップが対応しているわけではないでしょう。

これは会社なんかでも同じです。

社長がなんでもかんでも全てにおいて仕事をしていますか?

これは組織として当たり前の事です。

 

異常気象時、災害時も同じく、通常は担当部署が対応します。

しかし担当部署ごとでは対応しきれない大規模災害が発生した場合には部署ごとの壁をなくし、部署間で情報共有を行い、部署ごとではぶつかる法制度上や予算上の壁をトップの力で乗り越えていくために、災害対策本部が必要となるわけです。

組織が円滑に動くためには、権限と責任の役割分担と指揮命令系統が最重要です。

これは組織対組織の関係ではもちろん、ひとつの組織内の部署対部署の関係でも同様です。

 

災害対策本部というものが立ち上がったときには、その権限と責任、役割はなんなのか?

指揮命令系統は通常の場合とどう変わるのか?

これらの行動基準が重要であり、更に言えば、ではそのような災害対策本部はどのようなときに立ち上げるべきなのか?

といった行動基準においての設置基準も重要となるわけです。

常に災害対策本部を立ち上げればいいというわけではないのです。

なんとなくの感覚だと、とにかくすぐに災害対策本部を立ち上げればいいと感じてしまいますよね…

 

何度も言っているように災害対策本部の設置基準や行動基準が重要であり、ゆえに災害対策本部は気象庁の気象分析や震度分析等、河川管理者の河川状況の分析などに基づいてどのレベル以上になれば設置されるかが細かく定められています。

それぞれの体制が立ち上がると行動基準に基づいて職員が動員され、業務の優先順位も変わってきます。

当然ですが災害対策本部が立ち上がれば役所の行動の仕方が通常の場合と比べ大きく変わります。

ゆえになんでもかんでも災害対策本部を立ち上げればいいという問題ではないのです。

 

また、日本政府と地方自治体の役割分担についても行動基準(ルール)が存在しています。

大規模災害発生の際に住民に被害が生じないよう、予め避難誘導をするのは地方辞退である市町村の役割です。

避難勧告、避難指示を使います。

地域の具体的な状況は市町村長が最も把握しているからです。(把握しているべきであるともいえます)

東京の政府・非常災害対策本部が地方の津々浦々の情報を集め、住民に避難勧告や避難指示を出す事などナンセンスであり、不可能です。

そんな東京への情報の集約ルールを作れば各地方辞退は非常災害対策本部への報告作業に明け暮れるのは目に見えます。

 

被害を事前に予測し、住民の避難誘導をする事は地方の責任です。

そして、国の責任は原則発生した被害への対応の部分となってきます。

財源を用意し、復旧作業を促し、法律の例外を措置し、各省庁への調整や裁定し、民間企業が動きやすい環境を作る事が国の非常災害対策本部の基本的な役割といえるでしょう。

 

今批判を受けている赤坂自民亭が開かれていた段階で首相は何をすべきだったというのであろうか?

こうすべきだったというものがあり、それを怠ったのであれば当然批判を受けなければならないが、5日の段階では気象庁や河川管理者は河川の決壊やダムの急激な放流を予測できなかったのか?

仮に予測が出来たとして、そこから決壊を防いだりダム容量を拡大したり、河川の護岸設備をする事は不可能となりますが…

そうなると、住民避難誘導した残っておらず、これは繰り返しとなりますが、各地方自治体である市町村の責任です。

 

一部誤解が見受けられていますが、自衛隊がいつでも出動出来るように体制を整えておくのは、政府が非常災害対策本部を設置するかどうかは関係していません。

自衛隊は行動基準を基にスタンバイしています。

 

5日の段階で政府の災害対策本部が設置された所で雨は止みません。

河川の決壊やダムの急激な放流を止める事もできません。

被害が発生する前でも情報収集が必要だと言ってみても、ではどのような情報を収集し、それを何に活用するのか?

5日の段階で出来た事は住民の避難誘導でしかないのは前述の通りですが、もしも今回避難誘導に失敗したというのならば、それは間違いなく地方自治体の責任です。

 

一方で地方は常に地方分権という事を叫んでます。

地方で決められる事は地方に任せろと。

そうであれば地方は責任も負わなければならないわけで、地方分権とは地方が権限も責任も負う事です。

今回の被害の全ての責任を国や日本政府に負わせるのであれば、地方分権なんて止めた方がいいと思います。

 

国や日本政府に責任を負わせる以上は権限も国に全て渡し、地方は国の手足になればいい。

そのような中央集権体制にひずみが生じているという事で地方分権が叫ばれたはずです。

住民に最も近い市町村という基礎自治体が住民への個別具体的なサービスや安全の提供に権限と責任を持つ。

ゆえに基礎自治体に権限と財源と人材を委譲していく。

これが地方分権であって、そうであれば地方が責任もしっかりと負わなければいけません。

 

被害の大きかった地域の住民避難誘導に問題があったのであれば、それは当該地方自治体の責任です。

岡山県倉敷市真備町地区の河川決壊においては、河川管理者である岡山県が法廷の河川整備計画も作らずに維持管理を放ったらかしにしていた可能性も指摘されています。

広島県福山市駅家町では山の中腹にあるため池が決壊してしまいましたが、福山市は周囲に危険を周知させる防災重点ため池に指定していなかった事も指摘されてます。

 

そして、今回の住民避難誘導の行動基準で最も問題な箇所はダムの急激な放流で肱川が氾濫した愛媛県の災害対応である。

ダムの管理者である国は行動基準に基づいて放流や住民への告知をしており問題はないとしていますが、ここには大きな問題があります。

それは愛媛県ないし西予市において、このダム放流に関してダム管理者を交えた災害対策本部の決定がなされていない事です。

 

このように、一部のSNSアップを感情的な批判をするだけでは政府や自治体組織の災害対応メカニズムの問題点に気付かずに次の災害にも同じ過ちを犯すリスクが残り、課題解決へはつながらないのです。

この課題に気付く事こそが、問題解決能力であると考えてます。

 

長くなりましたが、個人的な知見であり、安倍政権を擁護する気はありませんが今回の件についてはあまりにも理不尽ではないかと思い、ここに書かせていただきました。

 

 

改めまして、皆様の安全と被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げると共に、被災された皆様の生活が1日も早く平穏に復することをお祈り申し上げます。