地球一周 Sambiのたび。 -3ページ目

最後はここへ、宮城 石巻・女川


(文章は控え目にしますので、写真を見ながら各自考えてみてください)


ところ変わって石巻。


車中で寝袋にくるまって迎えた朝。海辺に出ると、





日の出がお出迎え。


きれーだーー、


などと感嘆するのも束の間、目の前には















震災の爪痕があちこちに。


ここは石巻の中心部、目の前は海。


石巻市は死者3,175人、行方不明717人と震災での人的被害が最も大きかった街。


津波による家屋の全壊が20,005棟、半壊4,014棟、一部破損9,297棟。ライフラインが全て停止し、都市としての機能が全て失われたのだそう。









震災から約2年。


津波に街を飲みこまれた場所はいまどうなっていると思いますか??


お恥ずかしながら被災地の現状を全然知らなかったわたし。なんとなく

「2年も経つし、ある程度は建物も建ったりして復興のきざしが見えるのかなぁ」

なんて想っていたのですが・・・。






こちら日和山から見た街の様子。


・・・。


なにもねぇ・・・。









こちら、震災前の川周辺。





いま。





ひどすぎる。



街に降りれば破壊された学校があり、








家々が並んでいた場所に残るのは基礎だけ。




そこに置かれた子供用の自転車がいろいろ語りかけてきます。









また海辺を走り、












次に訪れたのは、仮設の商店街。















銀行や様々な業種の店が30-40軒並んでいます。









そして女川町。





更地の中にポツンポツンといくつか被災したビルが残る。










これらは全て津波のチカラによって横倒しにされたもの。


言葉もない。


高台より。





ほんと・・・なにもない。








ここは駅だった場所。










線路もない。途中、復旧作業をしている部分もあったけれど、女川のあたりはまだまだ。










仮設住宅を訪れる。










高台の運動場内にある、野球用の球場内に仮設があった。
(フェンスやスタンド、ベンチが見える)











震災直後と比べたら瓦礫やクルマは撤去され、土地も更地になって確実に前進しているのだろう。


けれど、震災前の暮らしからは程遠く、想像していた

「2年後の被災地」

の姿とは全くかけ離れたものだった。


それでも立ち上がり、前を見て生きている様には、本当に心を打たれる。





ああ・・・。


続く。


最後はここへ、福島 南相馬


2011年3月11日、その時おれはフィリピンの山の中にいました。


インターネットなんてないところだったので、地震と津波のことを知ったのはその日の夜遅く。

「日本が大変なことになってる」

とだけ聞かされて不安な一夜を過ごし、


12日の新聞を見ると津波に飲み込まれた凄惨な街・・・。






当時から

「最後は東北を訪れなければ終われない」

と思っており、今般ようやく訪問することが出来ました。






まずは日没後の福島県の南相馬市へ。


ご存じの通り、福島第一原発事故の影響で避難区域に指定されている同市ですが、その指定を受けているのは一部のエリアだけらしく、


市役所などのある街の中心には灯りがともってクルマが行き交い、人々の普段と変わりない生活の様子が見られました。


しかし街の中心部から南下すると、街がだんだんと暗くなり、


ある場所から突如真っ暗なゴーストタウンに。


そこには家も、商店も、食堂も、ガソリンスタンドも、クルマ屋さんもあるのに、全ての建物の門扉は堅く閉じられ、夜だというのに灯りのひとつも見られない異常な光景。


平日の17時半頃、普通ならばそろそろ帰宅の時間だというのに、街を南北に走る大動脈の国道6号線を走るクルマはゼロ。


建物がないところが暗いのならともかく、家やお店が並んでいるのに真っ暗。


怖い。







関西国際空港に降り立って近畿・東海・関東・新潟と来たけれど、もはや地震の影響はどこにも見られず(節電中のポスターくらいでしょうか)、


まるでナニゴトもなかったかのような日々を過ごしてきましたが、


もうあれから600日以上経つというのに、未だ16万人もの人が原発事故のため県内外で避難生活をおくっているとのこと。


16万人・・・。


しかも家に帰れる見通しは全然立たないわけで、


今もこれからも、自分に一切責任のない原発事故のために避難生活を余儀なくさせられている人たちのことを、


真っ暗なゴーストタウンを眺めながら考えたら、


とにかく申し訳ない


その想いだけでした。


あれこれワーストスリー#3 「乗り物」


今日はね、ベストじゃなくてワーストですww


1年10か月廻って最もしんどかった移動ランキーーング。


【第3位】

ミャンマーのバス バガン~インレー


ここは道がデコボコだった上に、席と席の感覚が狭スギル。


ひざが前の席にぶつかるとかいうレベルではなく、常に前席に突き刺さってる状態。つらい。


時間にしたらほんの11時間くらいだったんだけど、身動きが取れない空間で、隣の子は峠道にゲロゲロ・・・。


あーしんどかった!!

















【第2位】

ケニアのバス 「伝説のモヤレクラシック」

これも説明不要かな?


エチオピア⇔ケニアの国境モヤレから、ケニアの首都ナイロビまでのバス。


所要24時間とのことで乗り込んだものの、タイヤやトランスミッションのトラブルにより動いたり停まったり、走ったり修理したりを繰り返し、一晩、また一晩と経ち・・・。


結局ナイロビに着いたのは予定時刻から24時間以上経過した2日後の昼前。


今となってはいい想い出だけど、2度目はないね。
















【第1位】

中国 ウルムチ~カシュガルの「無座」

ここも乗車時間は27時間程度なのでそれほどでもないだけれど、


夏休みということもあって指定席が取れませんで・・・

「無座(空いてる席に座っていい切符≒自由席)」

にした結果、昼も夜もソコの席の乗客が来るたびに起こされ、どかされるわけです。

(日本の電車のように「自由席車両」はなく、すべて指定席。だから、その席を予約している人が乗り込んで来たら席を移動しなくれはならない)


しかも深夜1時だろうが3時だろうが車両の電気は消されず、誰かが持ち込んだCDラジカセで音楽を流し、唄え踊れの大騒ぎが延々繰り返される始末。


あーいま思い返してもほんとしんどかった。


けど、これがあったから他のどんな移動も

「あれに比べればチョロっ!」

って思えたんだなー。










こんなしょぼい席のくせいに指定席で、あちこち移動させられるのが苦痛、そして屈辱。



さすがにこれは出来ませんでした。









あと何がしんどいって、準備不足のせいだけど3食連続これだったのがほんとにツライ。














ほんと・・・これよりしんどい移動はなかったわ。


「繁忙期 切符の予約は お早目に」



あれこれベストスリー#2 「食」


2回目の今日は食事にしまーす。


【第3位】

中国 各種中華料理

滞在が長かった分、いろいろなものを試すことが出来たのもあるが、


種類が豊富で値段は安く、うまいものが溢れている中国。


大好きだった料理を挙げれば両手じゃおさまらないほどだけど、その中でもこの刀削麺と









セルタの優しいレストランの炒め物はほんと最高だったなぁ。













【第2位】

ヨルダン モロヘイヤスープ他

中東だとトルコ料理やレバノン料理が有名だけれど、びっくりするほどうまかったヨルダンフード。


特にこのモロヘイヤスープがもう忘れられない程絶品で・・・。






毎日のように通いました。またいきてーーーー
















【第1位】

エチオピア ティブス

牛肉をにんにくとチリで炒めただけのほんとシンプルな料理ながら、これがやみつきになるおいしさ・・・。


肉とパン(インジェラ)というのがエチオピア人の国民食で、とにかく何処でも食べられ、どこでもウマイ。





やべっ・・・写真見ただけでよだれが・・・。



あれこれベストスリー#1 「街並み」


今日からいろいろなジャンルのベストスリー(時にファイブ?)をまとめていきます!


懐かしいのもあるだろうね、お楽しみに☆☆






初回の今日は街並み編。


それでは早速行きましょー!!


【第3位】

中国 上海

ずっと行きたかった憧れのまち、上海。


「中国」という国が持つイメージとは裏腹に、とても先進的でしゃれた街でした。


特に夜景が美しい。


















【第2位】

中国 色達(セルタ)

あまり考えずに選んだら中国が続いちゃいましたが、笑


四川省の西部、チベット族自治州にあるセルタという街は居住者の9割がお坊さんという変わった街。


高台に登れば無数の僧坊を見渡すことが出来る。




















【第1位】

メキシコ グアナフアト

説明は不要でしょう。


世界一美しかった街。