あの時の自分に今日の事を話してあげたいと思った日。 | 小堺翔太オフィシャルブログ『ショウタパドック』Powered by Ameba

あの時の自分に今日の事を話してあげたいと思った日。

大学4年の時、就活はしていたものの、やっぱり“しゃべる仕事”への想いが捨てきれず、アナウンサーの学校に通った。いわゆるバリバリにアナウンサーの試験を受ける人向けの授業ではなかったけれど、それでも基礎の発声や原稿の読み方などをみっちりと指導していただいた。

 

「コサカイ君、ラジオNIKKEIさんが募集をしているよ」

学校の先生から声をかけていただいたのはいつだったか…すぐさま書類を用意して、課題の作文を書き上げて履歴書と一緒に送りエントリー。作文にはルーベンスメモリーという馬の事を書いたと思う。

 

しばらくして家に電話が来た。

『小堺翔太さんですか、局まで音声テストと面接に来ていただけますか?』

毎週聞いている、佐藤泉アナウンサーの声だった。

それだけで全身の毛穴が開いたような気がしたのを今でも覚えている。

 

はっきり言って、音声テストはいいデキではなかった。

原稿もギリギリ…いや一か所、読み間違えたかも。

緊張して質疑応答で素っ頓狂な事を言った記憶がある。

弊社のラジオは聞いたことがありますか?と聞かれて「しゃべってしゃべって」の名前を出し、その場にいた小塚歩アナウンサーに笑われてしまった。エレベーターホールの所には渡辺和昭アナウンサーがいて「お疲れ様でした」と一言。エレベーターの扉がしまった途端に全身の力が抜けた。と同時に「あぁ…もうここに来ることはないのだろうなぁ…」という諦めが。当時のラジオNIKKEIの局から渋谷駅までトボトボと歩いて帰った。ある程度覚悟のこととはいえ、やはりご縁はなく試験は終了した。

 

 

先週放送の「アタック!地方競馬」のゲストに佐藤泉アナウンサーがいらっしゃった。ラジオNIKKEIを退職され、現在はフリーのアナウンサーとして佐賀競馬場で実況を担当されている。

 

MCとして佐藤さんにお話を伺いながら、なんとも言えない気持ちになった。もちろん長年にわたり実況をされてきた佐藤さんの思い出の名馬や実況エピソードを伺える喜びもあるけれど、こうして競馬の番組でご一緒する事ができたのが本当に光栄でならなかった。短い時間だったけれど、とても尊い時間だった。

ちなみにこの日、ゲストで出ていただいた坂田博昭さんは、ラジオNIKKEIのレースアナウンサー講座の卒業生。つまり坂田さんにとって佐藤さんは先生。番組のエンディングでもお話したけれど「二人ともちょっと不思議な感覚」だったわけです(笑)

 

(スタジオにて佐藤泉さん。赤見千尋さん(真ん中)坂田博昭さん(左))

 

佐藤さんから入社試験の面接でこんな質問があった。

『競馬の仕事がしたいということですけれど、もし我々が採用をしなかった場合はどうされますか…?』

「……それでも、何かしらの形でかかわる事が出来ればと思っております!」

あの時はそう答えるのが精いっぱいだった。

ご一緒できて、本当に嬉しかった。

 

この日の帰り道は、ちょっとだけ気持ちが湧いた。