日本ダービーを振り返る | 小堺翔太オフィシャルブログ『ショウタパドック』Powered by Ameba

日本ダービーを振り返る

日本ダービーの直線。

 

外からワグネリアン・福永祐一騎手が来ている。

競馬を見始めて25年ほど。

初めてじゃないかってくらい叫んだ。

 

 

★☆

 

きっかけはエイシンプレストンだった。

鞍上で弾ける笑顔のジョッキー。

プロフィールに誕生日12月9日とある。

 

同じ日だ!

 

1976年の12月9日生まれ。

自分、1986年の12月9日生まれ。

ちょうど10歳違い。

そうだったのか。

 

ケガを乗り越え復活した福永騎手を

本当に単純な理由で(笑)

応援するジョッキーに決めたのだった。

 

自厩舎でのGⅠ制覇。

その勝利の重みを知ることになるのは

もう少し後になってからだった。

 

 

初めて生観戦したクラシックは、

シーザリオが勝ったオークス。

パドックで目の前にしたシーザリオの美しいこと…

そして、テレビで見ていた笑顔を

今度は生で見る事になった。

 

だから

エピファネイアも好き。

ついでにサクラメガワンダーも

大学時代の友人には呆れられる程好きな馬で

やはりダービーで全力応援することになった。

しかし…。

 

 

競馬の仕事をさせていただくようになり、

ここ何年か高知競馬場の福永洋一記念のイベントで

出演の皆さんとともに

祐一騎手に直接お話を聞く機会に恵まれた。

 

正直、今でもとても緊張する仕事だ(笑)

 

今年もダービーのお話になった。

ワグネリアンの馬自身のこと、

皐月賞のこと、そしてダービーへの想い。

力強い宣言も出て、ファンからは声援が飛んだ。

 

★☆

 

 

想いが現実になろうとしている。

なぜか今までの事とか、

ふっと浮かんだりした。

でも目の前で叶いそうな想いに

とにかくありったけの声援を送った。

 

自然と拍手を送っていた。

 

 

勝利騎手インタビュー。

『今までにない気持ち』

『なんだかフワフワして』

という言葉が何度もこぼれた。

 

ウイニングランで涙を流していた福永騎手は、

帰ってくる時には笑顔がはじけていた。

でも目は赤くなっている。

これ以上ない高揚感に満ちた顔。

でも出てくる言葉と表情は、

ちょっと失礼かもしれないけれど、

初勝利した若手ジョッキーのように初々しく見えた。

 

ダービーって

人をこんな風にさせてしまう程、

物凄い栄誉だったんだ。

そして福永騎手にとって、

これほどまでに大きな存在だったんだ。

そう思ったら、まだ感動が湧いてきた。

 

何を成し遂げたわけでもない

自分までなんだか泣きそうになっている。

 

 

目黒記念まで終わった後の共同会見。

レースを振り返り、

関係者への感謝の言葉もあり、

福永家の悲願だったダービー制覇の想いを述べた後、

最後に祐一騎手が言った言葉が忘れられない。

 

『福永洋一の息子として誇れる仕事ができたと思います』

 

父と同じ仕事をする。

ましてや天才の息子、という注目度。

比べられてしまう存在の偉大さ。

ご自身で選んだ道とはいえ、

プレッシャーはいかほどだろう。

うまくいかなければ叩かれる。

父の顔に泥を塗るわけにいかない。

想像してもしつくせぬ苦悩もあったはずだ。

すべてを超えた先の「一家の悲願達成」。

これ以上の勲章があるだろうか。

 

素直に感動した。

同時に私の胸を深く突く

言葉の重みがそこにはあった。

 

そして

勝利した騎手にこう語らせる

ダービーの存在は

やはり深く、重く、そして尊いものなのだ、

と改めて感じた。

 

 

思い出してもいろんな感情が湧いてくる。

素晴らしいレースを見せてくれた

ワグネリアン&福永祐一騎手。

そして、関係者の皆さまに感謝。

 

本当におめでとうございました。

 

 

DSC_1340.JPG

パドックも人ごみの中でなんとか見て

レースの前後は興奮&感激しすぎて

実は日本ダービー関連の写真はこれしかない(笑)

レースの前、パドックへ入場していくワグネリアンの姿。