あっという間の10年でした | 有坂翔太オフィシャルブログ「Shota Arisaka Official Blog」powered by アメブロ
普通の誕生日前日だと思ったんですが今日で二十代最後でしたT^T

結構寂しい。

ぶっちゃけ今『気持ちは二十歳』の意味がわかるwww

全く成長出来てないし。

人に気を使うようになったくらいかな。

僕の二十代は…

二十歳になった瞬間、アルバイト先でビールで乾杯して、本当は不味くて飲めなかったけどウマイと言っちゃった事。

友達がパチンコで勝って、一緒にイリオモテヤマネコを見に行こうと勢いで行って、結局二週間沖縄をさまよい、見つからず、宿にも泊まらずジャングルで遭難しかけ、種子島でハブVSマングースの闘いを見て、ふと我に返っ事。

料理の修業が厳しくて、アザだらけ。体重が50kgになったこと。

作った料理をシェフに、そのままありがとうと食べずにゴミ箱に捨てられた事。T^T

料理人なのに食べる物が無くてお金もなくて、BARで働いてた友人にランチ食べさせてもらった事。

1ヶ月我慢して食べたマックの照り焼きで涙があふれた事。

修業のお店を辞める時、レジの横にあったシャンパンをシェフが握ったので覚悟したら『お前が有名なったら飲め』と渡され、いつもの僕の予想した結末と違った事。

そのシャンパンを今でも飲まずに持ってる事。

大阪から中野区に上京して、知り合いもツテもなく半年引きこもりになった事。

引きこもりの間、mixiで料理をUPしてたら何故か料理本出しませんかとスカウトされ、たまには引きこもってみるもんだと思った事。

本を見てスーパーニュースから連絡が来て料理王子特集をしてもらえた事。

TVを見たと銀座で初の料理教室がスタート。全く思い通りの料理が出来なくて、2時間くらい終わるのが遅くなった事。

その後男性料理研究家ブームが起きて、フジテレビから連絡が来てハンサムキッチンが始まった事。

始めて小学校からの念願だった親とお店の焼肉屋さんにいって、ホットプレートの加工牛のサイコロ焼肉から脱却した事。

全国をお仕事で回れるようになった事。

初海外にいけた事。

岡山県の農産物PR大使『フルーツ桃太郎』に就任した事。

母校の勝間田高校に帰って料理の授業が出来た事。

ちょっと振り返ったら二十代、忘れられない思い出が沢山ありました。笑



でも、まだまだ叶えられてない夢が沢山ありますσ(^_^;)

自分のオリジナル食品を作って、コンビニやスーパーで並んで親が買う事。

食品・調理器具・飲食等、食のエキスパートの会社を作ること。

親に広めの家とスポーツカーをプレゼントする事。

世界に日本食の素晴らしさを伝えること…

陶芸家になる事。

まだまだ出来てないT^T
眠れない日々は続きそうです。


最近、人生は選択の繰り返しだと言われた。
YesかNOの2つの選択を常に選らんでる。

僕の場合、20代1番のターニングポイントはやっぱり本を出した事だったかな。

いきなり知らない人から連絡来て、料理本だしませんかと。

親には絶対ハンコ押すなと言われたんだけど、編集者の逸村さんの情熱に負けましたσ(^_^;)

親はNOで僕はYesだったのかも。

でもこれが料理家有坂の始まりなんでこの選択が良かったのだと今は思っていますし

逸村さんには本当に感謝です。

僕は運が良い人間なんだなと時々思います。

でも、運なんていつ無くなるか分からないから努力&学ぶ精神はこれからも必要なんだと思うし、新しい事もどんどん挑戦して、失敗繰り返してそこでもまた沢山の友達とか作りたい。


次、39歳の5月30日にまた振り返ってみたいと思います。
もう、おっさんやろなwww

結論、29歳は、なんらハタチとかわらないです!爆


という事なんで三十代も変わらず夢に向かって頑張ります(^^)
皆様これからも応援よろしくお願いします。

最後にお母さん産んでくれてありがとう。