海の日、らしい。

その海の日とやらのお陰で連休となり、僕は昨夜から「鬼滅の刃」を調子に乗って読み返し、休みの日にもかかわらず寝坊をし予定を縮小せざるを得ない体たらくで、朝食代わりの森永のムーンライトクッキーを食べながら今日の予定を考えていた。嘘八百を書いていた血圧手帳も面倒臭いが故についぞ付けるのを止め、何と言う自堕落かと思うも、血圧も平均値より少し高い程度に収まっており、その気はなくてもしっかり薬が効いているのだろうと感心する。

そんな腐った中年を尻目に、フレッシュな学生共はそろそろ夏休みに入るらしく、青春や恋愛を謳歌するのに適した期間になるようだ。

過去にどうしようもないほど宿題を溜めた経験がある方は多いだろう。僕も家族に泣きつき手伝って貰ったことがあるが、祖父が書いてくれた日記は「けふは」で始まっていたり、父も母も中々宿題に掛かってくれず、手伝って貰っているにもかかわらず腹が立つ自己中心的な思考になり、これは誰にとっても得な話にならないと悟ったのは11の頃か。「今日できることは明日やる」でいいやと思っているものの、優越感や安心感等を得られるように段取りを組んで話を進めて行くのはある程度世間を学んだ者なら当たり前の話なのだろう。


掃除、洗濯等をこなしながら、暑さで飯を喰うことすら躊躇するので、これは親父も無理をしているのではないかと思い、実家の手伝いをしに向かう。エンドウ豆を植える段取りをしていた父は、流石に辛くて午前中くらいしか仕事をしていないそうだ。それは安心だと話をしていると「3時頃」から仕事をしているそうで、一般的な8時間労働を午前中で終わらせている様子の働き者だ。百姓のお陰で癌治療も心臓の手術もそれら術後の回復も尋常ではない速度だったと医者は言う。僕も治療中の身として、ファッショナブルな服で畑を手伝い、「午前中」で仕事を終えて一息ついた。穫れたスイカを1個隣に持って行くと2個になって返ってきたのも田舎ならではだろう。

盆の御参りの話をしている最中で、親父は眼鏡を作りたいし、オムライスも食いたいとの情報を手に入れた。頭の帳面にサッと書き込み、今度の休みに行こうかと申し合わせた。親孝行といえば大層だが、そんな好機はゴロゴロ転がっているのだろう。親父より1日でも長生きするのが最低限かつ最高の孝行だと思っており、それも叶いそうな予感がする。

生きることは死ぬより辛いかもしれない。生き馬の目を抜くこの世の中、ある意味戦国時代かと思えるものの、中々死なぬようにできている人や世間は強く優しく儚いもので、悪態をつくくらいで丁度良いのかもしれない。