阪田庄助、11歳になりました。 | 阪田庄助

阪田庄助

2011年11月13日生まれ。
トイプードル(シルバー)の男の子。
家族が好き、散歩が好きな、寝るのが好きな気ままな息子です。

先日うちの奥さんから送られてきたスクリーンショット。

 

普段からランニングやウォーキングをされている方には大した数字ではないと思いますが、かつてのうちの奥さんを思い出すとびっくりするくらいの歩行距離です。

もちろんこれは庄助の散歩に起因する距離です。

 

 

庄助を迎えるまでのうちの奥さん。

週になんどか徒歩5分圏内のスーパーに行くくらいで、日によっては一日一歩も家から出ないこともある人でした。

休日に外出しても階段ではなくエレベータ、エスカレーターを使いたがる、15分も歩くと「疲れた」という、歩いていると疲れたからすぐにお茶して休もう「喫茶店はどこ?」という ・・・ あのころとは別人になったようです。

 

庄助の散歩はボクが行っても奧さんが行っても少なくとも1時間。

実際のところ最近は1時間で帰ることは滅多にはありません。

特に秋冬は散歩の時間が長く休日などは3時間をこえることもあります。

(庄助は暑いのが苦手なので夏季は1時間程度が多いかな)

 

「この子と一生で何キロ歩くのだろう?」と笑いながら言っていたことがありました。

いつまでも一緒に歩きたいと切に思います。

 

今日、11月13日は庄助の誕生日でした。

7ヵ月でわが家にきたこの子は11歳になりました。

 

 

昨夜からは庄助と一緒にゆったりと過ごせました。

 

雨予報もあったので今日はお昼くらいからお散歩。

船橋市在住ですが隣の市の習志野市に住所表示が変わるところまで歩いたのですが、義母と義弟が来宅したと連絡があり慌てて帰宅した次第。

 

 

↑写真は義弟に甘える庄助。

親戚中に可愛がってもらい幸せなことです。

義母はしみじみと「あなたは皆に可愛がってもらって幸せね」と。

ボクもそう思います。

 

 

この子を迎えたのは2011年6月15日。

一緒に暮らすようになり10年5か月になります。

 

この10年5か月、ボクは出張や旅行で家を空けたことがありますが奥さんは一日たりとも離れたことがありません。

24時間ずっと一緒にいることもしょっちゅうあります。

まさにずっと一緒にいる関係でもあり、そしてその緊密度は年々更新されているようです。

 

(11/11にトリミングをしてきた庄助)

 

 

10歳に近づいたころからかしら。

奥さんが庄助を見て「年をとらなければいいのに」ということを言い出した時期があります。

「もう年をとらなくていいからいまのままでずっといて欲しい」と。

 

 

ペットを家族に持つということは”いつかわからないけど、いつかは来る悲しい日”を覚悟して暮らすということです。

子犬のころはそのようなことは遠い将来のような気がしていましたが10年以上ともに暮らす中で、仲良くしてきたワンコを見送るということが少しずつ増えてきました。

 

いつかはこの子を見送らなくてはいけない。

普段は考えないようにもしていますが、一緒に暮らす以上このことは必定です。

 

 

うちの奥さんがどうなってしまうか?

それを考えるといまから頭をかかえます。

とてもではないがまともではいられないはずです。

一般的なペットロスではすまないはずです。

 

本人はいまから「庄助がいなくなったらあらゆる気力がなくなって衰弱死すると思う」と言います。

ペットを家族に持ったことのない方には大袈裟に聞こえるかもしれないけど、ボクは真面目にそれを心配しています。

(ペットを家族に持つ人の中にはわかる人も少なくないのではと思います)

 

そこまで行くとペットを家族に持つことが幸せなのかともいわれそうですが、そこまで愛情を注げる対象を持てるというのは本当に幸せなことだと実感をこめて思います。

 

 

昨年、ボクは大病をしました。

正直に言うと人生が変わるくらいの出来事でありました。

1年前のいまごろは自分の人生がどうなるのだろうと不安な日々でした。

普通に仕事ができるのだろうか?という前に、普通に歩けるようになるのだろうか?というところからのスタートでした。

いまとなっては遠い昔のような気もするのだけど、当時抱えた不安は思い出したくありません。

まだまだリハビリの途中ではあるけど、なんとかかんとか歩けるようにもなり、6月から社会復帰しています。

 

 

この約1年半、ボクを支えたのは「庄助だけは食べさせていかねば」という思いでした。

この子だけはボクが食べさせていかねばならないのですから。

 

わが家の子として、父親のつもりで接してきたのだけど、もしかするとこの一年はこの子に助けられた、支えられたことも少なくなかったです。

 

(今年の誕生日に買ってきた玩具)

 

 

気がついたら人生の相棒みたいな存在になりました。

この子の命尽きるまで愛したいと思います。