党内統治のルールとして、異論の併存を認めないルールである民主集中制を採用している日本共産党が、このルールを日本政府の統治ルールとしては使わないと一生懸命に説明しているが、それは説得力のある説明であるとはとても思えない。
そもそも日本共産党は、党内における異論の存在に、価値を見出していないのである。より突っ込んで言うと、異論を唱えるものは排除して、それが何故いけないのか、理由が理解できない人たちなのである。
そういう自分と意見の違う人たちの存在を受け入れられない人たちが政権を獲得するとどうなるかは、想像に難くない。意見が根本的に異なる野党の存在を本当に認めるのか。いや、認める理由を見出すことができるのだろうか。無理だと思う。
事実、民主集中制を統治ルールとする共産党が政権を獲得した国で、実質的に複数政党制が認められていた国があっただろうか。皆無でしょう。
異なる意見の存在を認めるかどうかを、党内と党外でそのように器用に使い分けることは無理であり、無理なことは続かないものである。
時代遅れと言う勿れ、賢人の名言の意味を、今一度日本共産党の人たちにも噛み締めてもらいたい。異論を排除して成り立つ民主主義などありません。
>「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利はあくまで擁護する」というフランスの哲学者ヴォルテールの言葉や、「我々と同じ意見をいう自由ではなく、我々が忌み嫌う意見に自由を認めることが、何より重要なのである」というアメリカ最高裁判事ホームズの言葉は、健全な民主主義にとって重要なのは、少数者や反対者の表現の自由であるということを端的に言い表している。