初日のソールドアウト | 小心記

初日のソールドアウト

水曜日。

朝からずっと、ずっと、ずっと、練習を続ける。

英語のセリフがだいぶ脳内に定着してきた。何度も何度も何度も繰り返し練習する。

 

タミーの家には庭があり、そこに大きなホットタブがある。24時間いつでも適温に設定されている、ジャグジーつきのお風呂だ。

 

海外ツアーではシャワーしかないことが多く、湯船につかれるのは滅多にないこと。

クロアチアでもブルガリアでもシャワーのみだったので、この家のホットタブをずっと楽しみにしてきた。

すでに何度も使わせてもらっているが、今日もホットタブにつかりながらひたすらセリフを繰り返す。カナダはみんな寒い寒い冬に慣れているためか、どこもエアコンがガンガンに効いていて、寒がりの私はいつもパーカーを着て腹巻までしている。

とにかく身体を冷やさないように。

 

開演は19:30、劇場に入れるのが19:00。

心配のあまり15時くらいからソワソワしっぱなし。

緊張で食欲はないが、あまりに空腹だとまた貧血を起こしかねない。

あ!そうだ!

沙織ちゃんがお餞別にくれたお茶漬けがあるじゃないか。冷蔵庫にある先日の冷やごはんで、お茶漬け。

 

ありがとう沙織ちゃん。ジャスミン米のお茶漬けもなかなかよかった。

 

17:30には出発して、バスに乗って劇場へ。

車内でセリフを繰り返していたら、どうやら乗り過ごしたらしく、なおかつwifiがないせいかスマホのマップアプリがずっと同じ地点で止まっていたようだ。

降りたバス停からかなりの距離を歩いて戻り、なんとか無事に劇場にたどり着く。

早く出発しといてほんとうによかった…。

 

途中で見たかわいいお店にもちゃんと私のポスターが!ありがとう、ポスターマン!

 

屋根に牛。乳製品のお店らしい。

 

私の劇場。

 

この建物には4つのフリンジベニューが入っており、オフィシャルとBYOVが混在している。たくさんのボランティアスタッフが受付などの業務をしてくれており、笑顔で迎えてくれた。

 

しばらくロビーで待っていたが、プログラムを見ると今日は私のショーがうちの劇場の最初の演目だった。ひょっとしてと思い、ストレージルームに入ると、テクのキースにちょうど会えた。早いけどもう入ってセッティングしていいよ、と。

やったーー!!!助かる!!!

 

舞台のセッティングをし、ビデオカメラを設置し、地下の楽屋で着替える。

緊張で死にそうになるが、キースが笑って「大丈夫だろ、もう君は何百回も舞台をやってきたんだから!」と励ましてくれる。キースにとって今年のフリンジの最初の公演が私の初日だそうだ。

 

開場してすぐに、キースが戻ってきてこう言った。

 

「いいニュースだ。ソールドアウトだよ!!こんなの見たことないよ!初日にソールドアウトだよ!!!」

 

私はちょうど鼻をかんでいたが、驚きと感激で言葉を失った。

17年間、フリンジツアーを回って来たが、初日ソールドアウトなんて初めてのことだ。

そしてウィニペグでのソールドアウトも初めてのことだ。

2010年の私のウィニペグでの集客はそりゃもう少なく、他のアーティストがじゃんじゃんソールドアウトを出す中で、自分だけがいつもガラガラの客席に苦しんでいた。

どんな時もたくさんのアーティスト仲間が応援し、一緒に宣伝してくれたが、私の作品はいつも売れるのが難しかった。スターたちに囲まれて、いつも不甲斐ない思いを抱えてきた。

 

ずっとずっと、こつこつと地道にやってきて、ようやく。

 

タミーが私に内緒でわざわざチケットを買って、キーラとデジャとラケルを連れて4人で駆けつけてくれた。あとで聞いたところによると、ロビーには行列ができており、15人ほどは入れかったという。ビレット(アーティストのホームステイを受け入れている家族)は無料で観劇できるのにもかかわらず、タミーは「だってあなたをサポートしたいからさ!」と有料で観劇してくれたのだ。

 

本番。

とにかく落ち着いて、丁寧にやろうと心に決める。

時折セリフが絡まってうまく言えないところもあったが、お客さんは要所要所でとてもよく笑ってくれた。大きなミスはなく、おおむねうまく行ったと言える。

 

カーテンコールではテクのキースとビレットのタミー家族に感謝を伝え、友人のジョアンナのショーを宣伝する。

 

終演後にはたくさんのお客さんが舞台上の人形たちを観に集まっていた。

日本人の方もいらして、日本語で話しかけてくださった。

 

キースが片付けながら、「君、すごく面白かったよ。」と言ってくれた。

そして慌ただしく次のカンパニーが準備を始める。

「君のショーについて、いい噂をいっぱい聞いてるよ。ぜひどこかで観たいと思ってる。」

 

ロビーに出ると、次のショーを待つお客さんたちが笑顔で「素晴らしいショーだった!」と声をかけてくれた。

 

私はまたバス停で20分ほど待つあいだ、台本を広げてセリフの確認をした。

今日はまだ完璧とは言えなかったけれど、明日はもっと良くなるようにがんばろう。

 

初日公演の後、バスを降りて家に向かう21:30くらいの景色。

 

帰宅するとキーラが驚いて、「すごくいいショーだった!てっきりフリンジのバーで友達とお祝いするだろうと思ってた!待っていて車で一緒に帰ればよかったね…。」と。

ラケルも降りてきて、「あなたのショー、好きだった。」と笑った。

デジャも来て、「めっちゃくちゃよかったよ!!みんなめっちゃ笑ってたよね!」と太鼓判を押してくれた。

 

タミーがすごく遅くに帰ってきて、聞けば私が「もしあれば…」とリクエストした味噌を探して3軒もスーパーを回ってくれたらしい。そんな…!ごめんねごめんね…!

そして私の初日とソールドアウトを一緒に喜んでくれた。

 

「15人くらい入れなくてさ、みんな『次のショーはいつ?!』って慌ててたよ。きっと口コミが広がって、この後も観客が増えるよ。私はあなたが『ピラティス』って言ったときに、椅子の上で飛び上がったよ!ちゃんとバッチリ言えてた。」

 

キーラが料理したブロッコリーとチーズでビールをいただいた。

 

私がアドバイスを求めると、タミーやデジャが「赤ずきんちゃん」の発音を詳しく教えてくれた。

深夜にはデジャが自分の住む離れのガレージを見せてくれた。電飾が張りめぐらされたクラブのような部屋で、とてもかっこよかった。

 

ひとりでツアーを回り始めてから14年間、さまざまな辛いことがあったが、辛いことというのは何とか自分で乗り越えることができるものだ。そして逆境の時ほど人は集まってくる。たとえば小心記のアクセス数も苦難の時ほど多くて、人々も気にしてくれる。さほど親しくない人でさえ、逆境の時には声をかけてくれたりもする。

だがしかし、うれしいことがあった時に一緒に喜んでくれる人というのは、実はそう多くはない。あの人、うまく行ってるようだからほっといてもいいだろう、と思うのだろうか。

 

うれしいことがあった時に、自分のことのように一緒に喜んでくれる人がいる。

たびたびひとりぼっちだった経験のある私にとって、それが何よりも幸せなことだった。

 

明日の前売り状況はまだまだ良くなく、油断はできない。

今日もしかしたら劇評家もいたかもしれない。劇評もどう出るか、非常に不安だ。

そして例年の私のように集客の少ないアーティストもたくさんいるであろう中、妬みなどもあり得る。小心者の心配は尽きることがない。

 

でも!

いったんは大喜びしようと思う。

フリンジの神様が見ていてくれたのだ。

そして空にいる母とばあちゃんが。

 

私、初日にソールドアウトを出したんだ!

生まれて初めてのことだよ!!!

 

おめでとう!小心ズ!

ありがとう、たくさんの力をくれる友達たち、家族、これまで出会った大事な人たち!

 

ますます精進します。

 

 

ヤノミ