36時間の旅 | 小心記

36時間の旅

その後どうなったかと言いますとね。

 

ポーランドのワルシャワから小さい飛行機に乗って、クロアチアのザグレブ空港へ。ブルーベリージャムのパンとコーヒーが出されたので、むしゃむしゃ食べる。

寒い機内。寒い。

 

 

地球は丸いよね、と実感する瞬間。

 

 

ポーランド航空の機内誌。ちゃんと文化芸術のページが何ページにもわたってある。

そこに人形劇の公演の情報も!

日本の国内の航空会社の機内誌で、人形劇の公演情報を見たことがあるだろうか…。

私はない。

 

クロアチアの地が見えてきた!

なんかシマシマの畑がある。

 

2時間のフライトで、ザグレブ到着。ついにクロアチアの地に降り立った!!!

 

 

命の次に大事なヘンテコリッパと雁パックとミドルレッドもちゃんとすぐに出てきた!

荷物がちゃんと手元に戻る、たったそれだけがどんなに簡単じゃないことか。

これまでに何度もロストバゲッジに泣いてきた私にとって、些細なことの一つがひとつがものすごくありがたいことだ。

 

ちなみにこの雁パックという登山リュックは父から借りパクったもの。

もうかれこれ14年以上は旅を共にしている、御守りみたいな存在だ。

預け荷物でさえも勝手に開けられて中身を盗まれる可能性のある海外、大事なデジタル機器などは全てこの雁パックに入れて持ち歩いている。めちゃくちゃ重い。15kgは超えている。

 

よし!荷物もそろった!

ああ、もう少しだ。もう少しでシベニクに到着する。

…と思ったら、とんでもなかった!!!

 

まずザグレブの空港で、シャトルバスを見つけるのに一苦労。

荷物抱えてうろうろしまくって、ようやく人に尋ねてバス停を教えてもらった。

 

無事にピックアップできたヘンテコリッパとミドルレッドを、他の乗客の見よう見真似でバスに積み込み、列に並んで待っていると、何やら老婦人が運転手に向かって不機嫌にまくし立てている。どうやら荷物預けのスペースがいっぱいなのである。バスの反対側のスペースに入れろと運転手に言われている。(何語かわからないが、たぶんクロアチア語であろう。)

私もちょうどその反対側に荷物を入れた後だったので、「手伝いますよ」と老婦人の荷物を積む。婦人は少し驚いていたが、「ダンケ、ダンケシェン」と言った。

ドイツ語かな。

 

そして列に戻ってみたら、婦人はさっと先に乗り込み、私の目の前で運転手が「もう満員だから次の便に乗りな!」と言う。

いやいやいや!もう荷物も積んだし、ずっと列に並んで待っていたし!

すると他の乗客たちも「彼女はもう荷物を積んだんだよ!」「もう支払ってるんだから、乗せてやれ!」と加勢してくれた。

マジありがとう。まだ支払ってなかったけど…。

 

シャトルというから無料かと思ったら有料で、ややショック。でも今はどこでもクレジットカードが使えるので、そこは安心だ。現金は2万円くらいしか手元にない。115ユーロくらいだ。円安、エグい。

 

 

なんとか乗れて、空港からザグレブ市内のバスステーションまでおよそ30分ほど走る。

たまたま最前列だったが、運転手はしょっちゅうスマホで誰かと話している。明らかに私用っぽいし、おやつ食べたりレッドブル飲んだり、ラジオは好きな音量でかけているし、もう自家用車か!

こんなの日本のバスだったらきっとすぐに炎上だよね〜。

おおらかと言えばおおらかだけど、片手で運転しているのが不安なので、シートベルトはしっかり締める。

 

 

市内のバスステーションに到着。

あと少し、もう少しでシベニクに着く。

 

…と思ったら、とんでもなかった!!!

なんと、シベニク行きの次のバスは2時間後だというではないか!

2時間?!

そしてここからシベニクまで4時間ほどかかるという!

4時間?!!

 

カウンターで思わず叫ぶ私に、スタッフの女性たちの目は冷ややかであった。

 

今、午後2時。

そして出発は4時。

到着は8時。

 

嘘だろ〜〜〜〜…。

一気に疲れがどっと来る。

 

この時点で自宅を出発してから29時間が経っていた。

wifiを捕まえて、とにかくクロアチアのフェスティバル・プロデューサーであるイヴァナに連絡する。とにかくザグレブ市内までは来たこと、このあとバスでだいたい8時過ぎにシベニクに着くらしいこと、そして自宅を出てから29時間が経っていること。

 

するとイヴァナから来た返信はこうだった。

 

「Fck」(もはや訳す必要もないだろうが、ファックだ。一般的に日本語訳では「クソったれ」とされることが多い。)

 

「あなた、到着する頃には破壊されてるわね!あなた、丸2日間は眠るでしょうね」

 

思わず笑ってしまった。

遠く異国から来るアーティストに、きっと日本のプロデューサーは決して「ファック」というメッセージを送らないであろう。

もう、いいとか悪いとかではないのだ。正いとか間違ってるとかでもない。

個性の問題だ。

 

私はこのイヴァナという女性と、4年間にわたってやり取りしてきた。あいだにコロナ禍という空白を含み、二転三転し続け、たくさんの苦難を乗り越えて、このクロアチアに来られることになった。

 

ファック。

 

この心からの同情の表現と、テキトーさと、親密さに、なんだかもう笑ってしまった。

 

まあ、いっか〜。

長い人生を思えば、たったの6時間か〜。

 

 

お腹が空いたら無駄にへこむので、ベーカリーカフェで何か食べてみる。

パニーニみたいなやつだが、「温める?」と言われて温めてもらったにもかかわらず、中身は冷たかった。どっちやねん。

 

 

表のドアが開けっ放しなので、鳩が我がもの顔で店内にいて、ずっとパン屑を食べていた。君の自宅なのか?

 

鳩の自宅。

 

そしてバスに乗る前にトイレに行こうと思ったら、これまた大変なことに。

バスステーションのトイレの前には改札のようなものがあり、コインを入れないと入れないシステムになっていた。

私はコインを持っていなかったので、また見知らぬ人に両替をお願いしてみたり、壊れた両替機を試してみたり、しまいにようやく両替カウンターを見つけて小銭に替えてもらう。

 

トイレくらいするっと行かせてくれよおおおおおお!

こっちは50kg以上の荷物を持って移動しているんだよおおおおお!

 

さらなるバス。こんなに乗りたくないバスは人生になかった。


もう本当にぐったりしながらバスに乗る。

このバスが本当にシベニクに行くのか、3人以上に尋ねて確認した。中には英語を話さない人もいたし、ガセネタもあった。悪意はないだろうが、間違った情報も大いにあるのだ。油断ならない。ここで間違った町なんかに連れて行かれたら死ぬ。

 

クロアチアにはスモーカーが多い。あっちにもこっちにも灰皿があるし、どこでも老若男女がタバコを吸っている。バス停にも休憩所にも、スモーカーたちがいた。安心。

 

このバスの運転手もスマホ片手に私用長電話をしつつ、コーラやおやつを楽しみ、ラジオを大音量で流していた。自家用車なのか?

席は非常に狭く、隣には老婦人がおり、私の足は雁パックの上でキュウキュウに縮こまっていた。これで4時間半。

 

もう、疲れのあまり、心を無にしようと努力した。

美しい景色もあったし、牛や羊みたいのも見かけたが、もう身体が疲れすぎていて、心にあまり入って来ない感じだった。

こんなに長時間の旅は初めてだ。さすがにこの旅程は自分のミスだった。

ワルシャワあたりで一泊挟むのが妥当だろうし、ザグレブではなくスプリット到着にすべきだったかもしれない。でも仕方ない。予算や条件の中で、ベストを尽くして選んだのがこの旅程だったのだ。仕方ない。

 

もうとにかく無になっていた。

 

そしていくつかのバス停で何人かの乗客が降りていき、いよいよまもなくシベニクに到着かと思われた。

それまでずっと荒野のような道を走ったり、周りに牧場だの畑だのがあるばかりで、「クロアチアって世界で一番美しいとさえ言われているけど、本当なのか…?めちゃくちゃただの田舎なんじゃ…?」とぼんやり思っていた。

 

そして景色が急に変わり始める。

 

 

 

 

 

 

着いた。シベニクに。

8時半だった。

出発から36時間が経っていた。

 

近くにいた若い女性にwifiを教えてもらい、すぐにイヴァナに連絡する。

すると電話越しにこう言われた。

 

「よし、着いたのね。あなた、着いたのね、バスステーションに。誰か迎えに行かせるわ。そこで待ってて。」

 

「誰か」って、誰が来るねん。

名前も知らない、性別もわからない誰かが迎えに来るのを待つ。

背中に雁パックを背負い、ヘンテコリッパとミドルレッドのそばで、ゾンビみたいに疲れ果てた身体で待つ。

もう笑えてくる。

 

そして突然、若者に声をかけられる。

「君、フェスティバルの人?」

「君、日本から来たの?ほんとうに?トーキョー?」

「君、どんなパフォーマンスするの?」

それがフェス側が迎えに寄越した、高校生スタッフたちだった。

3人ばかりの男女が来てくれて、一緒に荷物を運んでくれた。

もう本当に力が残っていなくて、気の利いた受け答えなどほとんどできなかった。とにかくありがとう、と自己紹介して、笑顔だけを作る。

 

 

ほらもう、疲れすぎていてピントも合ってない。。

 

この上まだ歩かされるとはよ…。

 

これがフェスティバルのメイン会場の入り口。

右側が国立劇場。

 

そしてこれがイヴァナ、プロデューサーだ。

 

会えた。

ようやく。

 

「ヤノミー!」って名前を呼んで、ハグしてくれた。

もう少しで泣きそうだった。

でもさすがにここで泣くとイヴァナも引くだろうと思って我慢した。

 

 

近くをざっと案内してくれた。

 

 

 

 

疲れすぎて、ちょっと夢を見ているのかもしれない。

 

64年の歴史ある子どものためのフェスティバルは、夜に向かってにぎわいを増していた。

 

「今夜はどうする?」と言われたので、「寝る、もちろん寝る」と即答した。

 

宿泊先のアパートへ高校生たちが案内してくれた。

 

ついにたどり着いたベッド。

ベッドだ。

 

心配し、応援してくれている人たちみんな、ありがとう。

寝ます。

 

 

ヤノミ