あなたは人生というゲームのダンジョンをクリアしていく中での――敵キャラと闘うための武器を知った。
ところが、これらの敵キャラを自在に使って、あなたを悩ませるボスキャラがいる。もう、あなたから見るなら悪魔といっていい。
そこで早速、著書『魔法の言霊』からの引用だ――
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大物隠れキャラ「悪魔」について
神さまにすら一項も設けてないのに、「悪魔」について、という項目をわざわざつくったのには、理由(わけ)がある。
あなたは、悪魔の正体を知っているだろうか? いろいろな答えがあるだろう――自分自身の弱いこころ、エゴのこと、悪い言霊(――いいねえ、分かってきたねえ)、不健全な考えかた……ぜんぶ正しいと思う。でも、ボクはこんな風に考えてる。人生ゲーム最大のボスキャラなんだけど、実は、その正体は神さまだと……
だって、せっかくの人生ゲームをプレイするのに、ザコキャラはっかりだと面白くない。その面その面に、最強のボスキャラがいないと……。このボスキャラが悪魔で、ゲームをむつかしく楽しくするために、神さまがつくってくれた神さまの分身で、あなたの(もちろん、ボクの)最高の遊び相手だと思うと納得できる。
分かりやすい例えをするなら、人生学校のスパルタ熱血先生だ。ふつうのサラリーマン教師だったら、あなたの勉強が遅々として進まないと「この子にばかり、かかわずらっていられない……」といって、途中で投げ出してしまうだろう。ところが熱血先生はちがう。あなたができるようになるまで、トコトンつき合ってくれる。同じ問題を根気よく、なんどもなんども出題しては添削してくれるだろう。
あなたにこんな経験はないだろうか? あるトラブルをうまい具合に回避できたのに、また、似たようなトラブルに巻き込まれたってこと。
例えば、会社でイヤな上司と衝突した。あなたは「こんなバカな上司と仕事ができるかあ!」と辞表を提出。ところが、つぎに入った会社でも、同じタイプの人間があなたの上司になってしまった。恋愛関係でもいっしょ――恋愛相手が「こんなひとだったなんて!」と失望して別れた。そしてつぎの恋。ところが、またもや同じようなひとだった……なんてこと。
これが悪魔のしわざだ。結局のところ、あなたはその課題をはたさず逃げただけのことだから、熱血先生は「おいおい、まだ済んでないよ」と、同じ問題を出す。問題というからには「問題」で、あなたの思うようにならないことばかり。だから、あなたからしてみれば、いつもいつも立ちはだかる悪魔の存在となる。
さらに悪魔は、ある意味、あなたのこころの反映として現れる。あなたのこころでの解決がない限り、いつまでも同じパターンで出現する。もし、そんな風に感じられることがあったり、気づいたりしたら、そいつが、その面のボスキャラだ。
でも悪魔は、ひと目で悪魔と分かる姿では決して現れない。これがコンピュータゲームの怪物とちがうところ。だから隠れキャラなのだ。もし魔物の姿で登場したら、まだまだ小悪魔でザコキャラだ。
――大物の悪魔ほど、ニコニコ笑顔でやってくる。
笑顔にだまされて、つき合っていると、やがて正体を顕わす。重要なのは、この時だ。先の例みたいに逃避してはいけない。逃げると、また、こっそりとニコニコしながらやってきて、あなたを悩ます存在となる。
せっかく、その面のボスキャラが登場してくれているのだから、しっかり遊んであげよう。だって、その時その面での最高の遊び相手なんだから……
この時、大切なこと――遊びかたは、あなた主導で決めること。悪魔の提案どおりの遊びかたをすると、先の例の二の舞になる。この悪魔、けっこう寂しがり屋で、いつまでも遊んでほしいみたい。つぎつぎと悪魔流の遊びかたを提案してくる。でも、そんなことにつき合っていたら、あなたは停滞してしまい、つぎの面に進めない。
悪魔は、いくらそそのかしても、悪魔流の遊びかたに乗ってくれないとなると、勝手に去っていく。これが必勝法だ。
もういちどいう。人生ゲームで、悪魔は神さまの分身としてプログラムされている素敵な遊び相手だ。ある意味、あなたを鍛えるスパルタ熱血先生だ。でも、隠れキャラなため、あなたに気づかれないよう忍び寄ってくる。
……後略……
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そうなんだ。あなたが悩んでいたのは、あなたのほうが悪魔の遊びかたにつき合っていたからなのさ。
ちゃう、ちゃう! あなたの人生というゲームの主人公は、あなただ。当然のこと、遊びかただって、ルールだって、あなたが決めればいい。でもって、しっかり遊んであげれば、あなたが勝つに決まっている。