お金がないと人格まで否定されるのが、世間の設定になっている | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 あなたは、お金がなくて困ったことはないだろうか? ボクにはある……というか、いまも足りなくて悪戦苦闘している。周りを見回しても、お金が余って大変という御仁はいない。みんな、お金を手に入れたくて、ある意味、人生すら献上しているのが実状だ。

 どうしてか?
 答えは簡単――この世が経済社会だからだ。ほかに理由はない。もっというなら、あなた(もちろん、ボクも)の選んだ人生というゲームの共通設定が、そうなっているわけ。

 引用――

―――――――――――――――――――――――――――――

 ボクたちが暮らす、この社会は(日本をはじめ、ほとんどの国や地域で)経済社会だ。

 ……中略……

 だから、たいていのひとは「豊かになりたい」「金持ちになりたい」と思う。

 ……中略……

 また(先に述べたよう)経済は、そのまま権力に直結しているからだ。
 まあ、あとさきは別にして、このふたつは切っても切り離せない。だから「金持ち争わず」なんて言葉がある。つまり、金持ちはトラブルをお金で解決できるので争わないっていうわけだ。同じように「地獄の沙汰も金次第」というのも……あるよね。

 それほど、この世は「金、かね、カネ」の社会なんだ。哀しいかな、お金を持っているほうが持っていないより有利にできている。なにかをするにしても、どこかにいくかにしても、いやいや病気になって治療してもらうにしても……その選択肢は、持っているほうが遙かに多い。
 残念ながら、これが現実である。

 なんでだ? それは「お金」という存在を考えてみる必要がある。

 ……中略……

 それじゃあ、ちょっと財布から紙幣を取り出してみよう。一万円札……いや(ボクも持ってることが少ないので――笑)千円札でいい。ゆっくり見てみると――
 大きさはタテ七・六×ヨコ十五センチほどで――表には日本銀行券千円と野口英世(ちょっと前は夏目漱石)の肖像が描かれ、裏にも数字やデザインが施され……

 まあ、透かしの入った青っぽい紙っぺらだ。

 これを紙という値打ちで考えるなら、それで購入できる商品の価値とは、とうてい釣り合わないことは一目瞭然だ。でも、それを同等の価値があると、みんなが認めている限り、やはり富の象徴となる。

 ……中略……

 ちなみに貨幣とは本来、エネルギーの表現体であることは思いのほか知られていない。
 なんのエネルギーか?
 というと「神さまのパワー」である。だから貨幣とか紙幣とか「幣」の字が充てられている。ほれ、神社なんかで、神さまのパワーの依り代として使われる御幣(みてぐら、ごへい)といっしょだ。つまり神さまのエネルギーを拝借して、使わせてもらっているわけ。だから、もともとは神さまが保証人だった。

 これの発行を為政者が司るようになった時、その保証として「金(きん)」置いた。だからむかしは「兌換(だかん)紙幣」といって、いつでもその価値に見合う金と交換できたので「お金」と呼ぶようになったといわれている。
 でも、いつまでも政府が、発行額に見合う金を用意できないので、やがて交換できない不換紙幣となったわけ。保証人が国家となったのだ。

 ……中略……

 だから先にも述べたように大国は自国の利益を拡大すべく――つまりは経済的な優位を築くために横暴も辞さない。ひどい時は戦争だって起こす。だって、この優位こそが、通貨を保証する基盤だから……ね。


■経済の正体を識る

 そこで、この「お金」によって優位に暮らせる経済社会について考えてみよう。

 さきにも述べたけど……遠いむかしに経済なんてなかった。
 というか、そんな概念すら存在しなかった。ボクたちの祖先は、きょうの糧を追い求めて、必死で毎日を暮らしていたのだ。そうだね。テレビなんかで観る「野生の動物」の暮らしに近いものである。
 やがて、ひとびとは暮らしやすいと思える土地に定住した。そこは、雨風がしのげて外敵から身を護りやすいところで、森の恵み(食べられる木の実や山芋など)が豊かだったり、近くの海や川で魚や貝などが豊富に採れたり、獲物が狩りやすい場所だった。
 いちど定住すると、より頑丈なおウチなどをつくったりして、そこでの安定的な食糧確保を図るようになる。そう、農耕だ。最初はイモなどを土に埋めて殖やしたりしていたが、そのうち畠なんかをつくっての耕作をはじめる。
 すると穀物などを貯蔵できるようになって、きょうや明日の糧の心配がなくなる。
 そう「富」の発生である。
 ところがこんどは、この富の安定的な収穫を望み、天候への祈りがはじまる。原始的な宗教の誕生だ。専門のリーダーが生まれる。また強奪から防御しないといけない事態も生じる。武力の誕生である。こちらもリーダーが生まれる。
 このように富と権力は、その誕生から不可避に結びついて生じてきた。

 ……中略……

 とりわけメインの産業が、かの産業革命によって農業から工業にシフトしたことは強烈だった。
 それまでの自然物とその加工品(手工芸)だけでなく、工業製品が生まれたからね……それも大量に。テレビに自動車、家電品、ファッション品、グロッサリー(ビン詰め・缶詰などの工場で生産された食品)から、最近のIT機器であるパソコンや携帯端末(携帯電話、スマートフォン、タブレット端末)に至るまでだ。
 すると、この大量の製品を売り捌かないといけないので、販売を支援する広告宣伝の代理業が生まれる。また飛行機や列車は一家に一台というわけにはいかないので、これを利用した旅行商品が発売され、これまた旅行代理店が販売する。
 生産業や販売業のほかにも飲食業だとか運送業、通信業にサービス業、出版業、金融業、不動産業、斡旋業、芸能業、相談業、アミューズメント業、賭博(日本では公営)業、風俗業、代行業……と、多種多様のビジネスが複雑に絡み合って、現代の経済社会はできあがっているのである。

 でもしかし、その基本型は「つくって売る」であり、ずっと同じだ。たしかに仕入を起こすとか、それに加工などの付加価値を与える、営業や非生産部門のコストを考慮するなどの作業は必要だ。けれど最後は自分ところの利益を乗せて売るわけだ。

 ……中略……

 結果、家の中はモノであふれることになる。すると整理に掃除が必要だ。だっておウチの容量には限りがあるからね。あなたは不要品のラベルを貼って捨てるのだ。そして捨てられたモノはゴミとなる。

 そうなんだ。経済とは「ゴミをつくる」ことにほかならない。

 ちょっと世間を見回してみよう。テレビやラジオをつければコマーシャルで「新車が出たよ」「いい化粧品ができたよ」「美味しいお菓子が……」「かっちょいい最新のファッションが……」「便利な携帯通信端末が……」と買え買えコールだ。
 街に出てみると――こちらも看板にポスターで広告三昧……電車の中吊り、バスのボディ、駅前のビジョン、はてはビルの壁面まで使って、やっぱ買え買えコールである。
 風景と呼ぶには、あまりにも醜悪な景色。これが経済社会という世界で、人生ゲームのダンジョン環境だ。
 あまりの買え買えコールに負けて、あなたが商品を買ったとしても、やがてそれはゴミとなる。だってつぎのコールが「そんな古くさいファッションではダサダサだよん。いまのトレンドはこれだぜ!」と仕掛けてくるからね。だから古いのはゴミにして、新作を購入しないと時代に取り残される。

 ……中略……

 いやいや、それだけじゃない。国内の「ゴミづくり」メンバーが足りないとなると、企業は国際化を目論む。海外進出というと聞こえはいいが、いってしまえば「国内で食いっぱぐれた」のである。だから「ゴミづくり」会員を世界に求めるのだ。

 そう、経済とは「ひたすら肥大しないと存続できない」ものなのである。

 だから先にも述べたように利権を巡って大国が横暴になるのだ。横暴でもなんでもやって、ぶん取った利権は強者仲間の大企業が引き受ける。どうやら経済社会は、アフリカ奥地の原住民にも、氷原を駆けるイヌイットにも、太平洋の島嶼民にも、インターネットショッピングをさせないと気が済まないらしい。
 そして、やがて地球の財を喰いつぶし、世界がゴミだらけになった時に経済は肥大することをやめるのだろうね……そう、人類の滅亡とともに(哀)。

 さらに欲深い経済は、モノを介在させないビジネスまでつくり出す。
 証券取引や先物取引、マージン取引といった経済ゲームだ。まさしく恐怖のマネーゲームである。なぜなら世界を経済危機という状況に陥れたリーマンショックだって、このマネーゲームの結果だ。回収リスクの高い低所得者層への債権を組み込んだ金融商品を売り出して、案の定、取りっぱぐれたわけである。
 また取引商品の中には各国通貨の変動に張るFXだとか「指数の変動」といった実体のない存在に張るオプション取引なんてのもある。これは、すごい! もう博奕(ばくち)としかいいようがない。

 分かったかい。経済の正体は「ゴミをつくりながら、ひたすらマーケット(賭場)の拡大を目指すギャンブル」なのである。

 ただしボクは、それが悪いとはいってない。ここをまちがえないでもらいたい。

 たしかに経済が発展したおかげで、ボクたちの暮らしは格段に便利になっている。
 江戸時代なら、なん日(健脚でも半月ぐらい)もかかった東京~大阪間も、新幹線に乗れば二時間半でいけるし、飛行機なら一時間を切る。お腹が空いたら、コンビニでレトルト食品を買ってきて、電子レンジでチンすれば、かなり本格的な食事ができる。

 子どものころ読んだSF小説で「テレパシー」というのがあった。遠く離れた友人や知人と、いつでもどこでも交信ができる超能力だ。それだって携帯電話という道具は必要なものの、いまや可能となっている。

 ……中略……

 ことほどさように経済は「便利」と「不便」を内在しつつも、人類に欲望がある限り、ひたすら肥大しつづける怪物なのだ。
 そんな怪物が権力と結びついて暴れ回っている――ちょうどゴジラとキングギドラが格闘しているような……そんな世界が経済社会であり、あなたの(そして、ボクの)人生ゲーム環境の基本設定のひとつなのである。

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 そうなんだ。
 この世の基本設定が経済社会である限り、そして、それが進む限り――お金を持っていることは、(偏ってはいるけれど)ある意味、正しいとされる。なぜなら、そのこと(お金持ち)自体が、パワーを持つからだ。それ(お金)を使うことによってエネルギーを分け与えられる(プチであっても)権力側ポジションにいるので認められるのである。
 だから、いくら人格者であろうが、お金がないと認められない。人格すら否定されてしまう――そんな世界が経済社会なのだよ。