日常生活で、いちいち「その意味は?」なんて考えてられない | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 自己実現や自己啓発なんかを謳うセミナーやワークショップ。さらには「自分のこころと対話しよう」なんていう講座とか。でもって、たいていのところが「意味探し」をおこなっている。「これが起きたのは、自分にとって、どんな意味があるのか?」「置かれている境遇の意味は?」といった具合に……
 このこと自体にボクは、とやかくいうつもりはない。それはそれで自分探しに向けたアプローチ法だろうから……ね。まあ、煎じ詰めれば、人生で起こるすべてのことが、なんらかの意味があるのだろう。それを追求するのは、ある意味、素敵なことだ。

 でもね。そのことが、かえってストレスになり、自分をラビリンス(迷宮)に追い込んでしまったならば、それこそ本末転倒である。

 いつもの引用――

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 またひとは、どんなことにも「意味」を探そうとする。そして、ひとたび無意味だと判断すると、そのまた意味(?)を徹底追求をしたがる。

 ……中略……

 でもね。あなたの毎日を考えてみてごらん。
 そんなにやることなすこと……すべてに意味があるなんてことのほうが、あり得ないと分かる。たしかに厳密にいうなら――例えば、朝起きてトイレにいくことにだって「体内の老廃物を廃棄する」という意味があるともいえる。しかし、そんなことは考えてはいない筈だ。単なる日常作業だ。
 だから、こんな原始的なことに属する行動をみんな排除すれば――日常で、さほど意味のあることは、やってはいない。ところが、毎日を振り返って「意味」を発見できないと、けっこう落ち込んだりしてしまうのだ。

 まあ、それだけだったら、まだマシなんだけど、そっから「自分はダメ人間」なんて考えるようになると深刻だ。これはマズイ。まさしく意味もなく(笑)あせってしまったり、下手をすると鬱状態に陥ってしまうことだってある。これこそ無意味(大笑)だ。

 ちょっと、この「いち日」を振り返ってみようか。
 そう、いま本書を読んでいる時点から遡っての二十四時間である。すると、その三分の一弱は眠っているし、三分の一強は(お休みでなければ)生活のために労働をしているだろう。残りから――メシを喰っていたり、お風呂に入っていたり、テレビを観ていたり、トイレに籠もっていたり……の時間を差し引いて、そこに意味を求めてみればいい。たいして意味なんて「ない」ことに気づく。
 そうなんだ。人生の大半は(機能主義からいうならば)大した意味を持っていない時間を過ごしているのである。なのに意味を見つけようと躍起になるからしんどいわけ。
 でもって、済んだこと(過去)にまで意味を与えようとするから大変になるのだ。

 ……中略……

 もちろんボクは、このあなたの能力を軽んじるものじゃないよ。それはそれで素敵なことではある。だけどボクは、あなたの能力や機能と「あなたの価値とは、まったくの別物」だといいたいわけ。

 なのに世間は、この能力の不足を……いや、それによって達成できなかったことをあげつらう。犯してしまった失敗を指摘する。そして、まずは「反省」を求める。ところが困ったことに――この反省点というのは、たいてい問題点ということだ。すると反省させられたあなたは、それを自分自身の価値と等号で結んでしまう。つまり自分に問題があると錯覚するのである。

 なんでまた、こんなことになるのかというと――あなたは世間に押しつけられた習性によって「過去を追い」「未来を願う」状態にあるからだ。

 ……中略……

 あなたは「いま」現在に存在するだけで「過去」にも「未来」にもいないんだ。だから意味も「いま」にしかない。いま在ること……それが、あなたの存在意義、つまり意味そのものなんだ。ほかに意味を求めるから自家撞着を起こす。過去を後悔をしてしまい、未来を恐怖することになる。あなたは自ら困った状態を引き起こしてしまう。

 だからね「反省も後悔も必要ない」ことだと識ろう。

 ……中略……

 だから、また失敗をしたなら「あっ、やっちゃった!」と、その時(つまり「その時」とは、その時の「いま」)に思えばいい。それは新しい失敗なんだ。前の失敗とは関係ない。それに少々失敗したところで生命まで奪われることは、いまの日本ではないに等しいだろう。
 万が一、生命を失うことになったら、それがあなたの寿命だ。それこそ「あとは野となれ山となれ」で、あの世に高飛びである(笑)。

 もっといおうか――。
 世間の勝手に毒されて下手に意味づけのクセができると、なにごとにも意味を見出そうと躍起になる。
 それを世の中では「夢を描く」だとか「希望を持つ」と表現する。きれいないいかただよね。それで、ひとはコロリと同意してしまう。でもって、つぎは「理想像」や「サクセスイメージ(成功像)」などをいろいろと提示してくれる。
 あたかも永遠につづく未来があるかの如く……にね。

 だから、その像はたいてい似たり寄ったりだ。大金持ち、業界のトップ、辣腕経営者、天才発明家、高名な(ノーベル賞を取るような)学者、ビッグアーティスト、スーパーアスリート、敏腕プロデューサー、大作家、売れっ子講師……などなど。もしかしたら、あなたの夢や希望も、この中にあったかもね(失笑)。

 ……中略……

 だけど、よ~く見てほしい。
 いずれも先達がいるだろう。かならず、お手本が存在する。ということは世間の設定の範疇を超えない。世の中で考え得る範囲であり、それを度外視はできないということだ。そんな限定も、基本設定には含まれているわけ。意味だって、やっぱり限定(制約といったほうがいいかな)内に在る。
 しかしながら、いまのあなた(もちろんボクも)は、そうじゃない。まだ、夢も希望も実現に至っていない。そうだろ? まあ、でないと本書を読んでいないだろう。

 そこで、それが実現した自分をイメージしてみてくれ。きっと、とてもうれしいことだろう。やったーっ! である。でもね。そのこころの片隅を覗いてみると、そこではつぎの夢や希望が芽生えている。新しい欲望が湧き起こり、それは止まることはない。欲望の連鎖の途中ということだ。

 分かったかい。この世での意味を求めると希望が起こり、それは野望となり、欲望の連鎖を引き起こす。世間のあれもこれも欲しがる状態を呼ぶ。
 すなわち「希望を持つことは強欲を目覚めさせる」ということであり、そのはじまりは「世の中でいう意味を探す」ことにほかならない。
 なのに先に述べたよう、ひとの日常にとても意味のあることなんて、ほとんどない。ジレンマだ。するとこのことは、あなたに飢餓を感じさせる。焦燥感に苛まれることになってしまう。

 ちがういいかたをしよう……。
 世間なりの意味を求め希望を持つというのは、あなたは現在の自分を不満に思っていることと同義だ。

 ……中略……

 すると、あなたの中に「悪い」という感情がむくむくと起きてくる。あなたは悪人になってしまう。だれだって悪人は嫌いだから、あなたは自分を嫌うようになる。嫌いな自分と生きていくのはツライ。ツライから自暴自棄になったり、下手をすると自殺まで考えてしまう。最低の連鎖だ。

 この連鎖を断ち切るには、いちばんの根源をデリート(消去)するしかない。そう、きっぱりと「意味がないといけないという錯覚」を捨て去ろう。

 いくら希望(強欲)を持ったところで、いまのあなたが貧困なら貧乏人なんだし、売れないアーティストなら無名なのである。あなたがどう思おうと「あるがまま」以外のあなたは存在しない。あるがままに意味も無意味もないのだ。

 ……中略……

 いまのあなたは貧乏で無名で、きょうを生きるしかない。だったら、きょうの貧乏と無名を立派に存分に生きてやれ! 金持ちで有名人には楽しめない無名で貧乏を……ね。
 よしんば、あなたが癌に冒されてたとしても、立派な癌患者として生きればいい。それでいいんだ。大丈夫、まったく問題はない。そこに下手に意味を見出そうとするから問題が起こるのである。

 もちろんあなたが、あなたの個人設定の中で、いろんなプレイをすることを否定しているわけじゃないよ。つまり「将来、こうなる」といった人生観を持つことに反対しているわけじゃない。それは楽しいことだし、よろこばしいことだ。
 でも、いまはそうじゃない。あなたの人生ゲームで、いまあなたがいるダンジョン(面)でのあなたの役柄をしっかりと演じきろうということだ。将来はトップアーティストを目指していたとしても、いまスーパーマーケットのレジ係なら、最高のレジ係を……かつては大企業の部長職だったとしても、いまガードマンなら、最高のガードマンを演じきるんだよ。
 未来も過去も関係ない。あるのは現在だけ。そこに意味もへったくれもない。ただひたすら現在の役柄に「なりきる」のだ。
 以上、それだけである。

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 そうなんだ。
 いちいち「意味探し」なんてするから、あなたは落ち込むハメになる。そんなのは求道者や宗教者、修行者にまかせておいて、いまのステージを最高に演じきるんだ。
 そうすれば、あなたは「いま中」に輝けるわけ。