幻想を追う野郎どもと、夢=現実な聖魔女 | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 実をいえば――女性に夢やロマンはない……というか、女性という存在の中に夢やロマンは存在し得ないのだ。こういうと「おまえは女性を蔑視するのか!」とお怒りになるかも知れないが、とんでもない、最高の賛辞のつもりである。

 ある意味、夢とかロマンとかといったチャラい世界に執心できるのは、軟弱な野郎どもの専売特許なのだ。でもって「いかにも」といったいいわけと理論武装で、あたかもそれが正しいフリをして、世の中を混乱させているのが男性という存在。難儀な話だ。

 これに対して、地母神なんて言葉があるように――女性は、どっかと大地に根を下ろした現実主義者。いうなれば、人類のバックボーンだ。とこまでいっても、現実の世界に生きている。

 じゃあ、女性にとっての夢やロマンはないのか? というと――ないわけじゃないんだけど……これまでの概念とか、野郎どものそれとはまったくの別物。あくまで現実と直結しているわけ。
 このあたりについても、ボクの著書『聖魔女待望論』から引用してみよう。

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 女性は恋をすると、のぼせあがる。なのに恋愛中となると現実主義者となる。
 この両極端に振れる特質こそが、女性の素晴らしい能力である。右でも書いたように、女性は恋に夢を見るけど、その実、したたかで計算高い。
 日本語や英語では「夢」「dream」で「眠って見る夢」も「将来の夢」も、いっしょくただが、ロシア語には素敵な表現があるので借用させてもらおう。ロシア語では、眠って見る夢を「сон(ソーン)」といい、将来の夢を「мечта(ミチター)」という。完全に別物だ。
 もう、ご理解いただいたと思うが、乙女の見る夢はミチターなのである。それを単に「夢見る」なんて表現をしてしまうから、夢自体がホワンとした印象になってしまう。ちがうんだ。女性が見る夢は、野郎どものそれに比べて、はるかに現実的である。
 こういうと反論があるかも知れないね。女性だって遠い夢を見ることだってあるって――。う~ん、たしかに……それは認める。だけど、その夢というのは、むしろ幻想に近い。あくまで自分が勝手に想像した「おとぎの国の物語」といったほうがいい。その証拠に「あこがれの王子さま」は、こころの中だけにとどめて、現実の彼氏に生命を燃やす。
 これが男となると、いつまでも夢に執着して、おかしくなってしまっている連中も多い。恋愛ではないが、仕事なんかで、どう考えても変なことに固執して、身を滅ぼしてしまっている野郎のなんと多いことか。まあ、一生を賭けてしまうなら、それも幸福な人生といえなくもないんだけどね(笑)。でも、けっこうハタ迷惑なことも多いし……(大笑)。
 現実と連なる夢を見るってことが、男連中とちがって、女性の素敵なところだ。「はじめに」で書いたように、男は「つくる」か「こわす」しかできない。でも、女性は「はぐくむ」ことができるという能力差だ。言い換えるなら、現実に「はぐくむ」ことができないことは「ソーン」として置いといて、女性は「ミチター」を育成できる。

 夢という言葉が分かりにくいならビジョンといったらいいかも知れない。ただし、ここで、女性の獲得するビジョンっていうのは、一般的に語られるビジョンとはチトちがう。サクセスイメージでもない。う~ん、どういったらいいのかなあ……先に霊感によって答えを知ってるビジョンだ。
 よくビジネス・マニュアルなんかで「ビジョンを明確に……」だとか「未来決定マーケティング」なんて書かれているけど、それは現在をベースに未来のサクセスイメージを構築することだ。いってしまえば「現在」という土台がある。ちょうど現在というこちら岸から未来というあちら岸に橋を架ける感じだ。
 でも、恋愛パワーを発揮し、霊感を獲得した女性のそれは、土台がなくてもいい。現在という根拠が不要なんだ。橋を架ける道具立てなんて、どうでもいい。あちら岸をいきなり識ってしまってる。こころは先にジャンプインしている。だから、あとからでも、したたかに現実を積み重ね、どんなカタチであれ、橋を創り上げてしまう。
 これは男性にはできない。疑心暗鬼になりそうなこころの状態と戦い、一所懸命に苦労して向こう岸を目指すわけ。だって理論・理屈至上主義者だもん。
 だけど女性は戦わないし、苦労もしない。ここがスゴイ。だって苦労がないんだよ。なぜなら、いきなり答えを識っているから。だから過程は歓喜に属す。夢見る乙女は、ミチターに向かって、したたかに歓喜を持って突き進めるわけだ。

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 そう。聖なる魔女は、ハナから未来を識ってしまってる。だから、夢ではなく現実なんだ。現実なんだから、夢でもロマンでもない。チャラい野郎どもが、しがみついている根拠があやふやなホワンとした存在じゃないんだよ。