仏法談義16――本気で、欲深くあれ | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

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おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 先日、ふたりのひとから、同じ趣旨のことを散々いわれた。
 要約すると――
 おまえ、手柄を横取りされているぞ!
 おまえ、そんな報酬じゃ損だぞ!
 おまえ、相手が悪いのに、なに謝ってるんだ!
 ……というところになる。

 ボクが「まあ、ええやん」と答えると、彼らは、あきれ顔で、
「おまえが納得づくなら、もういわんけど……」
 と引き退がってくれたものの、まだ納得してないようす。きっと、ボクが我慢しているのだと、思っているんだろうなあ~(苦笑)

 ところが本当にボクは「まあ、ええやん」の世界なのである。もっといえば興味がない。本気で自分がかわいいのだ。

 まず、手柄は横取りできない。
 なぜなら、ボクは「それは自分の功績だ」と識っているし、少ない人数ながら、(いってくれてる)彼も認めてくれている。そしてなにより天が分かっているからね。
 だから、一見は横取りしたように見えても、そのひとは絶対に対価を支払わないといけない。そして結局、それはボクに環流する。これが仏法でいう因果律だ。

 明らかに少ない報酬なんてものもない。
 その時のボクにはふさわしい額なのである。よしんば、ボクを思って、いってくれるひとの言のように「少ない」のなら、これはラッキーである。なぜならボクは売り掛けを計上中なわけだからね。そして支払うべきひとは買い掛けが増えるだけ。
 言い換えるなら、払うべきひとの天の口座からラッキーが差し引かれ、ボクの口座のラッキーは積み立てられる。ただ、それだけのことだ。

 相手が悪いのに……もない。
 だって悪いと思っていないから、そんなことができるわけだ。じゃあ、分かっているほうが、平和の維持に務めるのは当然のことだろう。
 暴走ダンプが横断歩道に突っ込んできたら「ダンプよ、おまえが悪い」なんていってないで、とっとと避けたほうがいいに決まってる。それでダンプがガードレールを突き破って、崖から落下するのはしかたがない。そこまでの責任は取れない。
 仏法言葉でいうなら自業自得である。

 そうなのである。
 ボクはやっぱり、自分がかわいいのだ。ひとのことは、どっちゃでもいいのである。自分と自分の世界が最優先だ。まずは自分が平和でないとね。

 だってさあ……あと数十年以内にボクはこの世とオサラバだ。
 その時に「手柄を横取りしやがって」「安い報酬でこき使いやがって」「おまえが悪いのに……」な~んて「怒り」や「怨み」を抱いているほうが、絶対に損だと思わないか?
 そんな思いは執著(しゅうじゃく)となる、未練となる。
 未練を残して「うらめしや~」はかっこ悪いから、ええかっこしいのボクは絶対にイヤだ。怨霊なんて、かっこ悪すぎる。
 仏法の究極の目的は、この執著とのオサラバだ。だったら、いまのウチから練習しておかないと……ね。

 こんな話をすると、物知り顔の学者や宗教者が、「それは小欲と大欲のちがいで……」
「徳を積むということは……」なんてお説教を垂れてくれる。
 クソ喰らえだ。
 理論理屈なんて、それこそ、どーでもいい! もっとシンプルに考えよう。損なことは、やめたほうがいいだけのこと。ボクは効率化を目指す。

「じつにこの世では、
 恨みによって恨みが鎮まることは決してない。
 恨みは恨みを捨て去ることで鎮まる。
 これは永遠の真理である(ダンマパダ)」

 ボクはひとよりかなり欲深いのである。
 お金も名声も、いやいや肉体さえも、この世を去る時には置いていかないといけない。なのにボクを縛りつける執著の原因をわざわざ増やすなんて愚の骨頂である。