仏法談義13――宿業消滅ノウハウ | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 4月8日の花祭り――つまり、お釈迦さまの誕生日が過ぎて約1ヶ月。
 今年は仏歴2558年。仏歴は仏滅紀元といって、お釈迦さまの亡くなった年からカウントするので、ガウタマさんが35歳で悟って、80歳の入滅から計算すると、悟りを基準に仏法誕生2603年ということになる。
 だからいまは、ちょうど、お釈迦さまが布教の本格化をスタートしたころから、2600年くらいになるのかな? まあ、仏法が知られはじめてから、切りのいいあたりだ。

 そこで……ちょいと振り返ると、仏法誕生2600年という記念すべき年には……仏法の最終開花国ともいえる日本を東日本大震災という未曾有の国難が襲った。さらに対応の稚拙さと情報隠しによって、人災(福島原発の事故など)も露呈した。
 そして、いまだに被災者は苦しみの淵にある。復興税なんて負担を国民に押しつけながら政治家や官僚は自己利益を追求しまくりで、その善意が被災者の届いていないという。

 なぜだ?

 たしかに地震学やプレート・テクニクス論、マントル対流説……などなどからの解説もあるだろう。だけど、それはあくまでハードウェア論だ。
 法整備の遅れや為政者の怠慢だって所詮、テクニック論に過ぎない。

 仏法には因果応報とか因縁生起(縁起)という考えかたがある。カルマの法則ともいわれ、最近はスピリチュアル世界で軽々しく使われたりしている(哀)。
 だけど仏法のそれは、もっと精緻で妙なるロジックの背景がある。話が長くなるので詳細は述べないが――簡単にいうなら、
「この世で起こることはすべてが、まるで絨毯の縦糸と横糸のように精妙に関係し、かつ集中と消散のダイナミズムに満ちている」
 ということ。

 このカルマ……宿業(しゅくごう)ともいう。ほれ「あのひとは業(ごう)が深い」なんていうだろ? こういうと急にヘビーになる。なんか、いきなり「あのひとは罪深いひと」みたいなニュアンスになってしまう。すると「あいつは悪いヤツ」と短絡的に関連づけられてしまうから問題だ。
 むしろ宿業の「宿」から、人生の「宿題」とライトに解釈しておこう。

 そこでだ。
 なぜ、仏法の最終開花国ともいえる日本をこれほどの国難が襲ったのだろう? そして、まだまだ解決とはほど遠い状況にあるのは、なぜだろう?

 仏教界をはじめとする宗教界の腐敗堕落。政治家や官僚の保身主義に拝金主義。ひとびとの利己主義つまりエゴイズム……。
 いろんな意見があるだろう。それはそれでかまわない。

 じゃあ、それはだれの責任だ?

 ほかならぬ、あなたの責任なのである。なぜなら、あなたの世界のできごとだから。そして同時にボクの世界でも起こっているから、ボクの責任でもある。つまり、ボクたちの連帯責任なのだ。

 やっぱし、責任は取らないといけない。
 その方法とは「あやまる」ことと「ゆるす」ことだ。自分であやまり、自分でゆるすんだ。そうすれば、すべてを自分のことと受け入れることができる。
 この「ゆるす」は「許す」でなく「赦す」である。一切の前提条件なしにスパーッと、ただ赦してしまおう。全面開放だ。まずは、この認識が大切。

 それから――どうして日本なのか? ということ。

 それは仏教の最終開花国だから……民度の高さから選ばれたわけ。
 これほどの災害に遭いながら日本人は、秩序ある行動で、相互扶助の精神を発揮した。仏法の「慈悲」を実践したのである。
「慈」とは「他者の幸福を望む」こと、「悲」とは「他者の不幸を除く」ことだ。

 すなわち「日本人は業が深い」のである。言い換えるなら、大きな使命を負っているのだ。天は解けない宿題は、絶対に出さない。小学生に大学の問題は出さないんだ。

 これほどの大問題がやってきたのは、ボクたち日本人に「世界の範となれ」というメッセージだ。さあ、いまこそ本物のプライド――矜恃(きょうじ)を持とう。
「矜」とは「あはれ」の精神。つまり「他者への思いやり」すなわち「慈悲のこころ」だ。「恃」とは「たのみとすること」すなわちアイデンティティのこと。

 日本人こそが「宿業転じて、世界の祝福者となる」機会を与えられし民なのでである!