魔法についての理解 | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 だれだって魔法使いにあこがれる時がある。彼(彼女)を振り向かせたい。仕事をうまくやりたい。素敵なひとになりたい。いい人間関係をつくりたい……動機はさまざまだけど、こんな時「魔法がつかえたらなあ……」と思う。
 でも、たいていのひとは、そこで考えが停止してしまう。本気で「魔法使いになってやろう!」と決意するひとはほとんどいない。結局「あ~あ、魔法使いなんて、おとぎの世界の話だよねえ……わたしには関係ない」と、現実世界の哀しい自分をはかなむのだ。
 そのくせ、星占いに四柱錐命、ジプシー占い、トランプ占い、タロットカード、八卦見、血液型運勢診断、夢判断、おみくじにおまじない、最近ではインターネットや携帯電話の占いサイト……と一所懸命なのは、なんでなんだろう?
 占いなんて信じないってひとでも、あなたの運勢といわれると、ついつい気になって見てしまう。雑誌テレビ、ネットサイトの運勢コーナーなんて、けっこうハマってるひとが多い。いいことが書いてあると「そうか、よしよし」とほくそ笑み、悪いことが書いてあると「悪いことは信じない主義」と言いながら、こころの中では気にしてる。
 気になるから、こっそりと「おまじない」で打ち消したりして気休めをする。この「まじない」を漢字で書くと「呪い」となり、読みかたを変えると「のろい」だ。そう、まさしく呪術のことなのである。
 こんな風に、だれもが日常的にちっちゃな魔法を使っているのだ。だったら、本気で魔法使いになって、人生を変革してみないか?


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 これはボクの著書『魔法の言霊Ⅱ(東方出版刊)』の冒頭部分だ。このキャッチ(掴み)が効いたのか……おかげでボクの「魔法の言霊」は、かなりのファンを獲得した。


 そこで、あなたにも訊こう――魔法使いになってみないかい?
 まあ、もともと、その気があったり興味があるから、ここを読んでいるんだよね。その意味でいえば、愚問かも知れない。


 ところがである。
 魔法というと、たいていのひとは「おとぎ話」や「むかし話」「漫画」「フィクション」なんかを思い浮かべ、現実世界と切り離してしまう。簡単にいえば「あり得ないこと」と封印するわけ。
 たまに「それでも……もしかしたら」と思うひとは、超能力セミナーやヤバイ系のカルト宗教に走って中毒になり、破綻することすらあるみたいだ。だから余計に「魔法なんてない」としておいたほうが安全だという思いがはたらく。


 それでボクは「魔法の言霊」を書いた。
 まあ、この「言霊」という存在自体が「魔法のこもった言葉」なので「魔法の言霊」は「魔法の魔法の言葉」となって意味が重複しているのだけど……そこは、ボクが敢えてやってる表現なので、ご容赦あれ。


 しかし、ボクのいう「魔法」は、あくまで(神秘学や精神世界からの援用はあるものの)科学なのである。今回は、そのお話をしよう。またもや著書『魔法の言霊』から引用する。


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 古代人の生活活動は概念的というより、いつも具体的であった。それは現代のように文明が進み、日々の暮らしが保証されている状況ではなく、自然のちょっとした働き――颱風、洪水、旱魃、疫病、等々……が、そのまま生命を左右することに直結していたから。当然のことながら言葉そのものも、抽象的ではなく具体的であり、即物的な存在であった。
 言霊も声音を媒介として、吉凶両面の呪力となって機能する。つまり言霊は純粋な科学であり、いいことも悪いことも引き起こす力を有するのである。

 代表的なものに「呪文(じゅもん)」や「呪詞(じゅし)」がある。
 呪文というと、むかしテレビアニメなどで聞いた「エロイムエッサイム」とか「エコエコアザラク」「マハリクマハリタヤンバラヤンヤヤン」なんてことが思い出されるかも知れない。呪詞では陰陽師の安倍晴明が式神(しきがみ=本来は魔物なんだけど、陰陽師の霊威によってコントロールされて働く)を使役する時に発する祝詞(のりと)が思い浮かぶかも知れない。
 実はその通りなのだ。ただ、その呪文が正しいかどうかは別として。呪文・呪詞はノロイ――呪詛(じゅそ)とか、マジナイ――呪禁(じゅきん)の文句のことで、それはいいことにも悪いことにも使われる。

 ただ呪文・呪詞をおこなう呪術者は魔法使いでないといけない。ここでいう魔法使いとは、霊能の潜在力を開花させた「物知り」であるということ。英語の「マジック」の語源もギリシャ語の「マギア」で、「マギ」は知者・賢者を、「マギア」は巫者(ふしゃ)・妖術者を意味する。

 そして呪術者=魔法使いが呪文を唱えることで、ある事柄を引き起こすことができると考えられていた。その事柄はいいこと――吉言・吉事である白呪術(白魔術)と、相手の不幸を願う悪いこと――凶言・凶事である黒呪術(黒魔術)である。


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 また、この魔法を使う代表格といえば「魔女」である。この魔女についてもボクの著書『聖魔女待望論(ごめん、まだ既刊は携帯読書向けだけなんだ。もし出版したいところがあったら紹介してね)』から、その部分を引用しよう。


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 ……前略……魔女の才能を発揮した例として、与謝野晶子の話をしたよね。ところが男性社会において、堂々と魔女の才能を発揮すると、けっこう迫害される。だから、魔女の歴史は、ある意味、女性迫害の歴史ともいえる。
 中世ヨーロッパなんかでは魔女狩りというのがおこなわれた。魔女裁判にかけられ、火あぶりで処刑された。権力と結びついたキリスト教主義者とキリスト教を民衆支配の手段として利用した為政者が手に手を取って、女性の才能を弾圧をしたわけだ。とりわけジプシーやスラブの女性がターゲットとされたようだ。
 ところが後年、調べてみると、ぬれぎぬであった。いや、ぬれぎぬどころか、彼女たちは才能を生かして村人などのためにがんばっていたのだ。でも、彼女たちががんばると権力者は困る。

 たとえば、彼女たちの工夫によって、農作物の収穫がアップしたとしよう。当然のことながら、富を蓄えることができる。すると権力者にとっては、将来の脅威となりかねない。その時に原始的な宗教儀礼がおこなわれる。こちらはキリスト教信仰の妨げになる。いずれにしても支配構造を堅持強化するためには排除しないといけない。それで魔女狩りと相成ったわけである。いってしまえば、男性社会の暴力だ。


 せっかくだから、ちょっとだけ詳しく説明しよう。
 このキリスト教による弾圧と魔女との対決が多かった地域のひとつにスラブ地方がある。いまでいうなら、西ロシアとかウクライナあたりになるのだろう。
 当時の農村の暮らしでは、農耕はいうにおよばず、結婚、誕生、病気、天候、葬礼……など、あらゆる生活のシーンにおいて、原始的な宗教儀礼がおこなわれた。そして、その大役を担ったのが魔女であった。聖なる魔女たちは、詩的な霊感を持ち、秀抜な知恵や予知能力を駆使して、ひとびとの生活を支援していた。そう、第二章で書いた――沖縄戦で「北上しろ」とのお告げで、ひとびとを救った神女といっしょだ。

 だって「霊力」を開発しているわけだから、ひとびとの暮らしを「はぐくむ」ことで、その素敵な役割をはたしていた。ロシア語で魔女を表す「ведьма(ヴェヂマ)」は、ヴェドやヴェシチを語源としていて、予見力を持ち、自然からの情報を読みとり、神意を民衆に伝える役目の意味だという。つまり「霊力」を使って、ひとびとを幸福に導く存在がヴェヂマ=魔女だったわけだ。
 中には、その力を悪用した性悪もいたかもしれないけど、ほとんどの魔女は、ひとびとの尊敬を集めていた。近世になって、ぬれぎぬを晴らすことに尽力したN・M・ガリコフスキーは、呪文や薬草で病気を治す魔法治療師(ズナーハリカ)と、邪悪なパワーを借りて呪いをかけたり民衆を惑わす悪い呪術師(コルドウーニヤ)は完全に区別している。

 魔女たちは、草木の効能を使った医者であり、子どもたちの名付け親であり、家庭争議の調停者であり、呪文を唱えて悪疫や自然災害を退散させるエクソシストであった。そう、ひとびとの幸福を「はぐくむ」支援者だったのである。
 でも、その活動のベースが自然崇拝であり、いろいろな精霊との対話や呪文という神秘的な要素を持っていたため、絶対神を冠する連中からしたら、そこが格好の攻撃材料となってしまった。だから、悪いこと――例えば飢饉や疫病があると彼女たちのセイにされ、魔女狩りに遭った

 このことは反対に考えると、もともとの原始社会に連なる農村社会において、魔女がいかに崇拝の対象になっていたかの証左でもある。体系化された宗教哲学をバックボーンに持つ神々の侵略がはじまるまでは、魔女こそが、その卓越した「霊力」を駆使して、農村社会を「はぐくむ」主役だったといっていいんじゃないか――とボクは思う。


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 分かったかな?
 もともと「魔法」ってのは、ひとびとの暮らしとともにあった。それを使って、社会を豊かにするためのものだった。だから魔法使いは知恵者であり、敬愛される存在だったのだよ。極論すれば、いまは枝分かれしてしまった哲学も自然科学も政治学も……み~んな魔法(魔術・錬金術)という揺籃から生まれてきたわけ。だから科学といっていい。


 そして科学それ自体に善悪や良否はない。あくまで使い手に依存する。だから、これから「魔法の言霊」を使う時には、くれぐれも「こころの位置取り」に注意を払ってほしいわけである。