潮流は変わった――意識を変えろ! | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 じつをいうと……いまの世の中では、これまで「うまくいっていた方法」が、まったくといっていいほど機能しなくなってきている。それは――ビジネスのオケージョンにおいてはもちろんのこと、個人の生きかたを含めたすべてのステージにおいて……でだ。
 いうなら「失敗は成功のモト」どころか「成功は失敗のモト」「失敗は失敗のモト」といった具合に……いままでのように「失敗を反面教師にすること」も「うまくいった経験を生かすこと」も全然、役に立たない状況なのである。まさしく、ボクたちが暮らす世界の基本設定が変わってしまった感があるのだ。


 そして、まさしく「そう」なのである。もう既にパラダイムシフト(地平のでんぐり返り)が起こってしまっているのだ。

 あなたは「ノストラダムスの予言」だとか「マヤの予言」「ハルマゲドン」というのを聞いたことがあるだろう。そうだ。20世紀末から21世紀の初頭にかけて「とんでもないカタストロフィ(次元の大変革)がもたらされる」というものだ。
 しかし今世紀へのカウントダウンが終わっても、いまだに地球規模でのカタストロフィはもたらされていない……ように見える。そのため、ひとびとは相変わらず、昨日と同じようにきょうが来て、きょうと同じように明日が来ると思って暮らしているわけ。


 ところがである。
 じつはハルマゲドンはやって来て、既に終了しているのだ。ただし、それには「高次で」という修飾語がつく。そして高次で起こった大変革が、じわりじわりと現実世界(三次元)に反映されつつある段階が「いま」なのである。

 このことについてボクは、数年前に老舗の経営コンサルティング情報誌である月刊『企業診断』の連載コラムで提示した。ちょっと引用してみよう。


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 今世紀は「精神の時代」といわれる。それは旧世紀の「モノの時代」に対する猛省から起こったムーブメントと捉えるひともあるが、ボクはちがうと思っている。以前の連載にも書いたのだが……時代の潮流そのものの向きが変わってしまったということである。
 つまり、それは世界全体がパラダイムシフトを起こしているわけだ。いや、もうすでにパラダイムシフトが完了しつつあるのかも知れない。パラダイムシフトとは、地平のでんぐり返りのこと。旧来の価値観が消失し、まったく新しい価値観が生まれている。

 旧世紀は、意識を三次元化することで、さまざまなモノを生み出し、人間社会は経済を発展させてきた。そのおかげで、生活は便利になり、ひとびとは豊かになったと考えられている。そしてまだ、その経済的な拡大幻想はつづいていることも事実だ。

 しかしながら、そのために払った犠牲も厖大なものがある。地球環境の破壊を筆頭に――経済的格差の拡大、こころの荒廃、犯罪の凶悪化・無差別化、国際的な緊張……などなど、ある意味、多大なる借金を抱えてしまったわけである。
 ということは、現在の経済的繁栄――じつは、借金のうえで実現しているといっても過言ではないのかも知れない。まあ、簡単にいえば、飲み屋でツケを溜めているようなもの。飲んで歌って騒いでいる時は楽しいかも知れないが、請求書がまわってきた時には顔面蒼白になってしまう。その請求書が届いたのが今世紀といえるのだろう。

 ボクには「地球がブルッと身震いをして、地平を瞬時に入れ替えてしまったのじゃないか?」と思えるほど、それは鮮やかに静かに起こってしまったという印象だ。そう、ハルマゲドンが高次で起こり、それが現実世界に反映してきているのだろう。

 このことは、そのまま――潮流が入れ替わったことにほかならない。つまり、意識が三次元化するのじゃなくて、三次元の存在が意識化をはじめているのだ。そう、意識の具現化としての三次元の存在であったものが意識に還ろうとしている。だから今世紀は、この意識レベルだけで関係性を結ぶ時代なのだ。


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 また、ちがう号では――


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 いいかい。潮流が変わった時、その奔流はさまざまな垣根をこわしたのだよ。そのひとつに企業や宗教団体、ボランティア団体などといった垣根がある。極端な話――政治や経済、治安、道徳、宗教、文化などなどが、み~んなシャッフルされてしまったわけ。そして混ざり合った流れが意識化に向かっているのだ。

 このことをしっかりと認識することだ。つまり、これまで各々の役割分担で進められてきたことが、いっしょくたになってしまった。というか、物質の時代には分けておくほうが便利だったことが、その本質部分をあらわにしたということだ。


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 とも書いた。つまり、あまりにも鮮やかに静かに起こった大変革は、ある意味「潮流の逆転」ともいえる。これまで「思いを重くして物質化」していた手法が役に立たなくなってきたわけだ。さらに逆転が起こった時に――いままで便宜のために分けていたカテゴリーが失われたということである。


 ちょっと不謹慎かも知れないが……未曾有の大災害をもたらした東日本大震災やスマトラ沖地震の津波を思い浮かべてほしい。そう潮流が逆転する瞬間だ。もちろん、あくまで強烈に「あなたのイメージを支援」するためであり、他意はない。

 まずは津波がやってくる。これは従来のありかたを木っ端微塵に破壊した。物質偏重の生きかたが否定されたといっていい。やがて引き波となる。その時、破壊したさまざまな存在を分け隔てなく巻き込んでいったのだ。


 分かったかな。
 いま、旧来の方法がうまくいかないのは当然なのである。新しい時代には、あたらし方法が必要なのだ。そして新しい潮流は「いままでと反転」している。さらにそれは、なにもかもが「いっしょくた」の状況にあるんだ。

 このコンシャスネス(気づき)、すなわち意識を持たないといけないんだよ。