大阪万博は「おとぎの国のままごと遊び」

 

今日、2024年4月21日、テレビが大阪万博のことを取り上げていました。

それを見ていて、怒りにも似た絶望感に襲われました。

 

1

大阪万博は即中止すべきです。

理由

大阪万博は「おとぎの国のままごと遊び」だからです。

何故そう感じたか。

大阪万博のリングを作ったのは、何のことかよくわからないけれど「未来解決に対し、150の国々の価値観、考え方が違う。それを円いリングで各国を取り囲むことによって対応する対策の一つ」だそうである。

 

私がトルストイの『戦争と平和』を読んだのは、二十歳前だったと思う。

既述の通り、その中の「ニコライ老侯爵とマリア」の関係に、怖さを覚えました。それは「生命の継続と非継続はこういうことなんだ」と感じ「生きる事の罪の深さ」=一方において「贖罪を背負う」と思ったからです。

つまり、他者との関係は「食うか食われるか」の関係だということです。

諸外国との関係も、当然例外ではなく、畢竟「犠牲の選択」で「折り合うしかない」ということ。

多分、中小企業にとっては「この選択が日常」だと思う。だから「戦争が日常の我々」にとって「これで十分。新たな戦争はいらない」となる。

 

何が言いたいのか。

現実が何もわかっていない。

もし、わかっていれば「350億のリング」が世界に何かの有効な現実をもたらすことなど「絶対あり得ない」と即決できたはずだ。

にもかかわらず、シャーシャーと宣言する「日本の大人」に「愕然」としたのです。

芸術家はそれでいいとしても、人の命を預かる為政者は「パン(=目の前の現実)」を全てにおいて優先してほしい。

 

結論

大阪万博は「おとぎの国のままごと遊び」。即中止を!(※後述1)

 

2

既述のごとく、私にとっての「美」は小学校3年生の頃、ふと、道端に転がっている丸い小石を見て「この石、なんでこんなに自然なんだろう。周りの草むらや道とちゃんと溶け合っている」と思った「小石」です。

 テレビに映し出された限りのパビリオンは、なるほど「目を引くもの」でした。でもそれは「私にとっての小石」ではありません。心にとどまるのは精々「数分」です。以後、私はだんだん疲れてきます。自然風景のような「自然さ」がないからです。

我々にとって、必要なのは「おふくろの味」であり、「身に合わないご馳走」ではありません。

 因みに、モリジアニのところで述べたように、創作物はその作家から逃れられません。

太陽の塔を見るたびに、私には「岡本太郎さんの顔」が浮かんでくるだけです。そっくりだからです。

 テレビで映し出された映像から、どんな「美」を心に刻み、どんな何を「未来解決」してくれるのか、さっぱりわかりません。

 

3

「税は本来福祉に使うもの」(※後述2)。

 企業と違って、税は「権力(=原価ゼロ)」、と言うよりは「罰則付き」で徴収できる。その意味では「反社会的勢力のみかじめ料」よりえげつないやり方が許される。

 そう考えると、普通は「福祉に使う」が、普通に出てくる「発想」だと思う。

「おとぎの国のままごと遊び」に税など使える訳がない。

何度も言うように「おとぎの国のままごと遊び」にでも平気で使えるのは、為政者が「順法なら総て免責」だからです。

 

4

 3億円事件は強烈な印象を与えた「騙しの事件」ですが、しかし、現状は「3億」どころか、「何十億、何百億」を騙し取るのが「日常茶飯事」です。それも、老若男女を問わず「普通の個人が被害者」です。そして、それは、年々増える傾向にあります。 関係者はその撲滅に一生懸命なのでしょうが、現状は「当局の働きが肌身に感じられず」、結局「各人で気を付けるしか仕方がない」という状況です。

 

 その個人ですが、大学無料ではなく「生涯義務教育課程」を設けてもらわないと「時代についていけません」。しかし、それがないので、現段階での我々としては「一切無視」するしか対応策がありません。

ところが、Society 5.0か何だか知らないけれど、役所で「マイナンバーカードありません」と言うと「書類を発行できません」(←健康保険証のことではありません)と言われる。

だから「無視する」は「社会から自分を抹消覚悟」でないとできません。

 つまり、現況、生きていくには「詐欺にあうこと」とセットになります。

 

先日、テレビで、上記状況を踏まえ「電話には出ない」、「玄関には出ない」と言われていました。それが現状での「我々の出来る対策」と言うわけです。

大阪万博を先導された方々(※後述3)、この状況は「人の集まりとしての社会が壊れている」と思いませんか。

世界の人々と「輪になる」などと言う前に、日々の問題に取り組んで下さい。

 

5

この他、数え上げれば切が無いほど新たな出来事が起こっています。

その安直と思える程の出来事の当事者が、安直なほど「普段着」のままでいることがとても気になります。

旧いかも知れませんが「女性が絡む事件」は男以上に「ガクン」と来ます。

既述の通り「Society 5.0」などと閣議決定する「安直な為政者」は「我々の心の在り様が、これまで通り」と安直(と言うより、この意味では、犯罪に手を染める人々と同等以上に罪深き人=何故なら税から給料をもらっているから)に信じ、というより何の考えもなく無意識で、前へ進むことが「為政」と勘違いしています。正しく、現況が「何も見ていない」。

 

 

半世紀以上を経て、フェデリコ・フェリーニの「道」→「甘い生活」→「81/2」=「愛の無機質化」が、社会の至る所で顔を見せ始めてきました。

いまの政治の在り方では、全く通用しなくなっていることに気づくべきです。

「おとぎの国のままごと遊び」が許される時代は「とっくに終わっている」のです。

 

 

6

 だから、大阪万博は、5の典型例です。

 長妻昭さんが言われていたように、必要と思えば「企業人」がやればいい。

 その例はいっぱいあるはずです。

 

7

 いや、それでも「大阪万博をやる」というなら、企業人同様「借金の個人保証に名を連ねて」やって下さい。

 少なくとも、私は、会社に在籍中「会社の借金」の「保証人」に名を連ねていました。

 

8

 公人はその企業人が生み出す「ゴミ掃除」が「本来の仕事」です。

 特に「安直に犯罪に走る風潮撲滅に取り組め」(※後述4)と言いたい。

 

9

 「税は本来福祉に使うもの」(※後述2)。

 「維新の時代遅れの認識は救いがたい。何も見えていない」。

  「身を切る改革」などと吞気なことを言っている場合ではないですよ。

 

※後述1

 個人的希望を言えば、IRも中止し、関西に「富岳」があるのだから、オール関西で「詐欺」=「発信同時摘発システム」を開発してもらえればありがたいです(「奈良、京都、だから大阪は商売一筋(=技術革新)でもよかったのでは?」←「関西に復活はあるか(2023/1/1記)より」)。

 

※後述2

多分、新聞で読んだと思うのですが、ずっと以前のことなので、表現は正確でないかもしれませんが、権力の中枢におられたのでそれで済まないことは百も承知の「江田憲司」さんの言葉です。

 

※後述3

 大阪万博(それに続くIR)は安倍さんの置土産の一つかもしれない。

 

※後述4

 ではその責任は誰にあるのか。

1)     ジャニーズ事務所から見える日本の景色=「日本の凋落は自由人の凋落が原因」(←「ジャニーズ事務所から見  える日本の景色 2023年9月10日投稿文より)

2)     「国公立大」は「理工系」以外は全部「廃部」にすべき(←2024年2月6日投稿文参照)。

 

 

 

    2024年4月21日     井筒屋 弟二郎