ここでは、広末さん、猿之助さんのことは一言も出てきません。前回が「大変だ!」で終わっているので、その続きです。

それで良ければお読みください。

 

 先日、散歩の途中、1歳半くらいの女の子が、その数歩先を行く振り返ったお母さんらしき女性に向け、道路にでんぐりかえって泣き叫んでいました。少し離れたところにいたその子の兄と思しき5歳ぐらいの男の子が、スーと近づき、自分の持っているお菓子を泣き叫ぶ女の子の口に、サーと入れました。すると、女の子は泣き止み、立ち上がりお母さんの所へ駆け寄りました。でんぐりかえる子、スーと近づいた子は、男の子であったり女の子であったりまちまちですが同じような光景を何度か見ています。

 

 公園で、いきなり「チンチンが『気を付け』した」の声あり。ふと振り返ると4歳くらいの男の子が、母親らしき女性に向かって叫んでいました。そして、その男の子の前では、野良犬が「交尾」していました。

 

午前10時に会う約束で、その場所に待っていた。かれこれ30分が過ぎても相手が現れない。で、受付へ行き「まだですかねえ」と言うと「伝えていますので、今しばらくお待ちください」とのこと。更に10分。やっぱり現れない。だんだんイライラしてくるも、現れない。更に10分待つも来ず、立ち上がり爪先立って、来そうな方向を覗き込むも、姿は見えない。怒り心頭。そして10分。ようやく現れた背のスラットした女性は「すいませんね。ほな行きましょか」と私のやや後ろにまわり左手を、私の右肩にそっと置き、これから行く方向へ私を優しく押す。

 怒り心頭、のはずなのに、私は「大変ですね」と声掛けをするため「夜勤あるんですか」と尋ね「たまにあります」の返答に、予定通り「大変ですね」と返す。男を、とっくに卒業した私と若い看護婦さんの寸劇。これはもう私というより、きっと生まれ持った、私に宿る「神さんの演出」に違いないと思った。

 

井ノ口部落では、どこでも鶏を飼っていて、卵の他、何かの時のご馳走としてそれを絞めていました。それは井ノ口の子供にとっては身近なものではあったけれど、やはり、どこかに気持ち悪さがあり、鶏さんにも申し訳なさがありました。そして、その感情は、慣れていくものでもありませんでした。だから、ジビエに関し猟師さんが「一片たりとも無駄にできない」と言われる気持、子供の頃から感じ取っていた(=死への畏怖=神から授けられた抑止力)と思います。

 

 私は、幸いなことに、戦争の経験がありません。

 庭いじりなどしているときに、大急ぎで逃げ惑う害虫を見つけると、何もかもが吹っ飛んで「こん畜生」と必死になって追っかけまわし「潰し」にかかります。

 戦時はそういうことなのかなぁ。

ただ、「人間は悪の強さに耐えられるようにはできていない」は「一対一で向き合う」、ここまでかもしれない。集団での、武器を用いた敵対では「耐えられる悪の限界がなくなる」のかもしれない。更には、もっと間接的な戦いでは「神の与えた死への抑止力」は消失するかもしれない。そうだとすれば、科学技術の進歩と相まってゲームへと変化するに違いない。

 つまり、これからの戦争は限りなく「ゲーム」に近づき「神の与えた抑止力外」となってしまう。そしてその「ゲーム=現実」と認識される。そうなると「武装による抑止力」ではなく「戦争はやらない」とするしか防ぎようがないということになる(※後述1)。

 

たまたま、なにかの時、小学校4年生の男の子が「ゾロ」が好き、と言っているのに甚く感じ入り「今日日の子も渋いじゃん」と思った。

 

6

ある社長さんが、長年勤めている古参の従業員が「いつまでも借家住まいは風が悪い」と言って自分が保証人になり新築マンションに住まわせた。

 

7

―継投ピタリ 虎逃げ切り 4-2の八回1死二、三塁。3日連続で登板した加治屋は「こういう場面で起用してもらってうれしい。どれだけ連投が続こうが、勝つために腕を振るだけ」(2023・7・31神戸新聞朝刊)―

 

8

 中日でヘッドコーチをされた伊東勤さんが、通算二千安打を達成した大島選手のことを書いておられた。大島選手を中心におき、遠くから近くから四六時中寄り添っておられた姿が伺える。競争世界だから実体遊離は許されない。だからこそそういう風になるのかなぁ(2023年9月6日 神戸新聞夕刊 「マスク目線」)。

 

上記から、それが生活と結びついて、不文律に我々を、誘引する場所=「(井ノ口の大人の決まり=)井ノ口の少年団の決まり」はもうなくなり、今は「法と、傲慢なマスメディア(←豊田社長の言葉)」がそれに代わっている。

 

そうではなく、人が感じられる距離で実体を通して、神から授けられた、ありのままの自分に宿るものが行動基準になる集落。結いの村ではそうしたい。

 

競争に勝つことが、すべてに優先される野球界で、なぜか「持って生まれた感性が生きている」と感じる。同様のものを社長さんにも感じます。

学問や研究で生まれたものではなく、神から授けられた感性で行動基準が成り立っている「企業連合国家」を是非試みてほしい。

 

 

※後述1

1

 日本の現状。

私が、ネットで知った結果は次の通り。

①    沖縄戦から78年間沖縄におんぶにだっこ。自治会のゴミ当番を78年間やらされ「交替してほしい」と訴えても総会で否決(=最高裁判決)。「法治国家だから従え。ウクライナを見よ(※後述2)」派→110/123=89.4%

②    78年間はひどい。既述の通り「ウクライナは米脚本、監督の『戦争ゴッコ』。だから、少なくとも、今我々が出来ることは米脚本、監督の『戦争ゴッコ=台湾有事=沖縄有事』は『不参加』しか防ぎようがない」派→13/123=10.6%

 

端っから狙って試みたわけではありません。たまたまそれらしい数字を拾っただけ(①②及びウクライナ、郭台銘さん(※後述3)を絡めた一つの文でネットに投稿しました。それに対し「いいね」が13。「ブー」は110でした)。

 

2

「新」9条論

既述の通り、「新」とは言っても、「新」などなく、あるのは「現状に合うよう荷車に乗って我々を移動させする」だけ。

①    「『神の与えた抑止力外』の『戦争ゴッコ』というゲーム」を選び「人間の考え出した『壁を構築し集団の武力という抑止力』(=『蛸と演劇は血を荒らす』)」に向かってひたすら突き進む。

何のことはない。政治家先生は手前勝手な「正義の看板」引っさげ「やられたらやり返す(=力の抑止力)」と「ヤクザの出入り」を大真面目にやっているだけ。

②    「神の与えた抑止力をなくした以上その殺戮が止まることはない」。だから「戦争はやらない」と決めるしかない。

それに向かって「暴走をもたらした張本人=科学文明」の「浸透力」をひたすら信じ、パンだけの条件で各国と交渉により折り合う。

③    上記の①を選ぶか②を選ぶか。

企業人は「企業活動の阻害要因である①」ではなく、常日頃そうであるよう「交渉で折り合う」②を選ぶだけ。

そこに「正義や悪や歴史や主義等々」はない。あるのは、ただひたすら「パン=目の前の日々の生活」だけだ。

 

④   企業界では領土の侵略は日常茶飯事。その侵略に対し「国も正義も悪も、敵も味方も」ない。折り合いをつけるだけ(※後述4)。ましてや「ヤクザの出入り」などあろうはずがない。それがロシアでも中国でもアメリカでもNATOでも・・・でも、今我々の住む、これが本当の現実の世界だ。

 そこでの判断基準は、政治家のように「看板(=作り上げられた『あるべき世界』)」ではなく「従業員を背負った自分(=主として社長)」。郭台銘さんの発言は「その世界で生き抜いた」という「確信」あっての言葉だと思う。

 

⑤    「『新』9条論」

 ここでも結局「企業連合国家」とならざるを得ない。

 

※後述2

1)

「三権分立に賞味期限」あるのかなぁ。

企業人からすれば「賞味期限のない商品」などない、というよりは自ら賞味期限に追い込んでいる(=新商品開発)からです。後生大事に「三権分立」などと言っておれない。何故なら「会社が潰れる」からです。

沖縄からすれば「法に従え!」と政府にお墨付きを与えるのであれば「(沖縄戦争含む)78年間のゴミ当番の理不尽さも一緒にさばいてもらわないとやりきれない」となるだろう。

例えば「①の89.4%の皆さん、本日をもって、普天間基地の受け入れ先を辺野古沿岸域からあなた方の県等に移設することを最高裁の決定とするとともに、本日以降78年間ゴミ当番をすること」。「よって即準備にかかって下さい」とでも言ってもらわないと納得がいかないだろう。

 現状は「これはこれ。それはそれ。ワシャ知らん」。切ないねぇ。何も起こらなければいいが・・・(※後述5)

2)

「三権分立に賞味期限」が来ているのなら、どうするねん?。

①     

 以下は「結いの村」よりの抜粋。

☆昔、井ノ口部落では近所の揉め事は隣保長さんが裁いていた。それで収まらなければ、区長さんだった。

☆決めごとを作れば窮屈だ。出来るだけ決めない方がいい。

☆弁護士不要

☆そこに住む人たちがあまり細かいことは決めず、暮らしやすいようにすればいい。

☆机上の空論はいらない。有識者ではなく、肌感覚で出来ることを精一杯するだけ。

 それ以外

☆一番手っ取り早いのは、既述の通り「中国の核の傘に入る」。貧乏な日本には最適。

☆本稿1~8=「神から授かった感性」からすると「46都道府県の知事さんが相談して1年以内に沖縄以外の受け入れ先を決める」となる。神さんが、へそを曲げはると、なにしはるかわからんので、そうしはった方がいいと、私は思うけど。

 結論

☆理屈を言えば、お互いキリがない。だから、小難しい理屈はどうでもいいので、「神から授かった感性」で普通に、実状熟知の当事者同士が話し合って妥協する。

 今のところ、これくらいです。

 

※後述3(一部再掲)

[台北2023年8月28日 ロイター] ― 台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の創業者、郭台銘(テリー・ゴウ)氏は28日、来年1月の総統選に無所属で出馬すると表明した。

その中で

①    台湾を第2のウクライナにはしない。

②    「企業家による政治の時代」に入った。

③    自身の資産を犠牲にする用意がある(「『言うことを聞かなければハイホンの財産を没収する』と中国が言うなら、私は『はい、どうぞ』と答える」←2023年8月29日 NHKニュース おはよう日本)。

④  「私は中国の支配下にあったことは一度もない」とし、「彼らの指示には従わない」と。

 

この決意を前にして、他人が「あんさん、喧嘩して、ウクライナになりなはれ。応援します」と「彼らの尊厳を根こそぎにする」ことなど出来る訳がない。しかも「沖縄のウクライナ化付き」で。

政治家先生は何を考えておられるのかサッパリわかりません。

 

☆現役の会長さん社長さんは無理なので、一線を退かれた企業人の方々、「沖縄戦含む78年間のゴミ当番は気の毒」と思われたら、郭台銘さんと共に「台湾、沖縄のウクライナ化回避は『有事不参加、話し合い』しかない」と声を上げてもらえませんか。これなら、今すぐ、4兆4千億円(※後述6)を使うことなく出来る。よろしくお願いします☆

 

※後述4

 「象印のオーブンレンジ好調。対立した中国大手と共同開発(←2023年9月14日 神戸新聞朝刊)」。

   一方、政治家は、特に男は、「戦争ゴッコ」が大好きで、すぐそれに酔っ払う。ではなぜ「ゴッコ」に酔えるのか。彼らは「選挙」という「手に取ることのできない紐」で我々と結ばれるがゆえに「どうにでも遊泳可能」となる。しかもマスメディアは無責任に挙って「ゴッコ」を囃し立てる。政治家が増長するのも無理はない。

 政治家と違って、企業人は、従業員の顔と直接的に繋がっている(→「子どものころ感じ取った死への畏怖=神の授けた抑止力」が働く)。彼らの生活も背負っている。顔を見ながら、生活を背負いながら「戦争ごっこ」などできるわけがない。「折り合いをつける」以外の選択肢はない。

 

※後述5

以前、宗教に触れた文(※後述7)の中で「切なすぎます」と書いて、その7年後安倍さんの事件が起きたので。たまたまだと思うけど。

 

※後述6

 2023年8月26日投稿「麻生さんの『戦う覚悟』と『若い人』」の11-①より。米のウクライナへの支援を台湾有事に同額をするとして米一国はしんどいとするなら、だれが埋め合わせをする?。キャンブデービッドでの方々か?。だからこれはあくまで私の類推の数字です。

 

※後述7

 「神から『弱い者いじめ』を受け、例えば宗教に触れ、それを自己昇華させ、新たな世界を知る、ということもあるでしょう。しかし、それは普遍性0ではないにしても、極めて個の限定的世界です。少なくとも生活レベルでの普遍性はないです。生活レベルでそう言われると、『切なすぎます』(←2015年3月6日記)」。

 旧統一教会は全てを「生活レベル」に落とし込み、関わった方々は、全員かどうかはわかりませんが、傍目には、とても「切なく」感じます。

 既述の「生活レベルに落とし込んでくるものは『偽物と思え!』」。と「そのことを『義務教育段階』で教えるべき」はこの記述からです。

 「触らぬ神に祟りなし」。偽物には「近づかないのが一番」だと思います。

 

 

   2023年9月7日   井筒屋 弟二郎