結いの村

 

☆ 復元力を求めて

◎井ノ口の「えべっさん」

 私の生家は井ノ口の「えべっさん」の真下にあり「えべっさん」は何でもお見通しの「神さん」でした。良いこと、悪いこと、悲しいこと、嬉しいこと、その絵馬のせいか、何でも包んでくれました。その上、井ノ口の「えべっさん」には神主さんなど人はいません。だから自分の都合のいいようにつくれる神さんでした。このことが他から邪魔されず、害にもならず、大いに良かったのだと思います。

 都会に出て、なにかの話の時、キリスト教系の学校を出た人から「いや神さんは弱い者いじめしかせんのや」と言われ、びっくりしました。「えべっさん」とは対照的だったからです。

しかし、その後「やっぱし、神さんは弱い者いじめしかせぇへんのや」と思うようになりました。最近では「神さん、悪乗りし過ぎる。わけが解らん」とも思っています。

「井ノ口のえべっさん(=大人から)」に「バチがあたったんや」と言われれば「なるほど」と大体その筋が読めました。しかし、今はその筋が見えません。「あんなええ人がなんで」ばっかりです。

ほんわかしていた、あの神さんは、一体、いつから「へまばかりする」ようになったのでしょう。

―神から「弱い者いじめ」を受け、例えば宗教等に触れ、それを自己昇華させ、新たな世界を知る、ということもあるでしょう。しかし、それは普遍性ゼロではないにしても、極めて個の限定的世界です。少なくとも生活レベルでの普遍性はないです。生活レベルで、普遍性がある、と言われれば、切なすぎます(2015年3月6日記述。※後述1)。―

やっぱり「弱い者いじめ」は「悪」なのです。

 しかし、それが「神の御心」。

 だとすれば、どうするのか弱ってしまいます。「いじめが常道、愛なしが神の世界」と言われると、ちょっとキツイ。どこかで、ほんわか、変わることのない愛で包んでほしいものです。

 手前勝手な屁理屈で神の領域に踏み込んだ人類が「弱い者いじめを得意とする神」同様「弱い者いじめを常道とするようになった」のは必然の帰結かも知れません。とはいえ「天皇陛下が弱い者いじめをされる」とは考えられません。

それは、ある隔絶をつくり出すことにより「永遠の愛」を享受しようとした人々の知恵かも知れません。

井ノ口の人々も、ごく自然に、ほんわか包んでくれる「井ノ口のえべっさん」をつくりだしたのだと思います。尤も、神さんから言わせれば「もう何十年も前から、お金のために臭いウンコを山にバラ撒くし、最近ではブンブン羽が鳴る。とてもやないが落ち着いて暮らせない。だから、とっくの昔に日本から逃げ出したよ」と言うことかもしれません。となると、日本には日本の神さんはいなくて、西洋の神さんばかり。弱い者いじめが蔓延るわけだ。「愛の無機質化」はこういう事の結果かもしれません。

 

◎「愛の無機質化」

イタリア映画『道』(1954年)を見たのは15歳のころだったと思う。二人の主人公の、切なく哀しい物語がズシンと心に残った。次にフェデリコ・フェリーニ監督のことは知らないまま偶然『甘い生活』(1960年)を見る。そして『81/2』(1963年)。この時は監督のことを知って見た。『道』があってこその→『甘い生活』→『81/2』。「愛の無機質化」がもうスピードで進む中で、どうするかが頭から離れないままとなる。

ちょうどその頃「復元力を何に求めるか」ということが、よく議論されていた。東工大の判沢弘先生は「地方がもっと独立したかたちでやって行くべきではないか」と言われていた。このことは、今、流れは、そういう方向かなと思っています。一方、ある人は「結局、行き着くところまで行くしかないのではないか」と言われていた。私は「抽象の坂本善三は、最後は阿蘇の自然に帰ったという」ことが心に残り、少なくとも私に関しては「復元力は道端の丸い小石。井ノ口の少年団。周りの人々。これらにその根源がある」。それは井ノ口の自然がある私には当てはまるけれども、それですべてOKとはいかない。「結局、行き着くところまで行くしかないのではないか」からも逃れられないのではないと思っています(この場合、行きついた先、どう戻るのか。私なりの思いはあるけれど、しかし実現はまず無理だろう←※後述2)。

デジタル庁「我が国経済の持続的かつ健全な発展と国民の幸福な生活の実現を目的とするデジタル社会の形成」。その記事と同画面に「新型コロナワクチン接種証明書アプリ」というのがありました。これは私でも矛盾なく受け入れられる。一方、同時期、どこのお医者さんに電話しても「ワクチン接種の予約は一杯です」と断られる。「いつ頃なら予約できますか」と尋ねても、「ワクチンがいつ入るかわからないので、いつになるかわかりません」。

また、ワクチン接種券発行依頼に役所に行くと「ここではやってない」との返事。勿論そう応えた人に悪気はない。あれこれと役所をうろついてようやく券が手に入る。そして、接種についても「ほとんどどこも満杯」と言われ諦めていた。それでも気になるので、調べてみると、近場で空きがあることがわかる。「デジタル化が遅れているからうまくいかない。それさえ出来れば、全てが解決する。だから、景品付き促進策OK」と言われても「また、役所の詐欺が始まった」と思うだけ。コロナ第7派でワクチン接種に関し、現在はそ

れが有効な手立ての一つだと分かっていながら、(当事者でないので、実情はわかりませんが)上記の通り、少なくとも我々の段階では、なにも変わらない。これからも恐らくこの繰り返しだろう。願わくば、デジタル庁という前に「そもそも役所というものの性癖がなにか」を考え、組織をいじるではなく「その性癖の是正」に取り組んでほしい。そして「掃除屋に徹する」。それで十分だ。

じゃあ「デジタル化」はどうするのか。パンが最優先。企業がやればいい。役所は自由にやってもらうべく障害をすべて取り除くことに徹する。それで不都合が出ればその掃除をする。従業員は他社に勝つことを最優先し、諸般の決めごとなど無視し、やりたいようにやればいい。それで競争に負ければ、それは自分の力が足りなかったのだから、仕方がない。国境の県境化だから諦めもつくはず。そう思っています。

 会社で必要なプログラムは私が組んだ。その時、いくら教えても必ず間違える事務員がいた。今は、私がその事務員になっている。コロナ第6派の時、対処について役所に電話すると「ホームページを開いて、そこに書かれている通りに、自分で対処して下さい」と言われた。仕方なくホームページを開いたが必要とする画面にたどり着けない。「デジタル社会」と言われてもピンと来ず、どんな社会かイメージ湧かない。我々段階では上にあげた例(=ホームページを開いて自分で対処すること)がそれに当たるかどうか知らないけ

れど、デジタル庁は「優勝するためと、我が国経済の持続的かつ健全な発展と国民の幸福な生活の実現を目的とするデジタル社会の形成」のため、人間監督を廃し「デジタル監督に代えよ」とプロ野球のオーナーさんに厳命するのかなあ。既述の「西本幸雄監督さんと鈴木啓示さんの軌跡」は喪失したほうが「国民の幸福な生活の実現」だと思っているのでしょうか。デジタル庁はそれはそれ、これはこれだと言うかもしれません。

◎小さい、しかし、決定的なものに変身するかもしれない「最終警告書」、「利用停止予告」などの「スマホでの自動受信」。そしてその発信者の『送信の普通感覚化』。詐欺にひっ掛かるのは嫌だが、若者の詐欺に加担することへの無自覚感も気が重い。

◎サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(超スマート社会、Society5.0)。

 テレビでなんだか目にかぶりものをしている姿は、外から全体の姿が見えるのだが、その姿は腰をかがめ足は折れ曲がり、あっちにふらり、こっちにふらり。とても見ておれない。「あんな、美の欠片もない世界がなぜ受けるのか」と言っても、社会に浸透すると思うとゾッとする。

 それは、私たちの心の在り方が現状で推移すると暗黙の仮定に立っている。環境問題はわかりやすいが、仮想空間の社会も同じで弊害がないなどということはあり得ない。神さんは何処かで「愚か者め。ウッシッシ」とほくそ笑んでいることだろう。そして、必ず「神さん、悪乗りし過ぎる。わけが解らん」と思うことがますます増えるに違いない。だから、とてもやないが「それはそれ、これはこれ」では済まないように思う。「愛の無機質化」に対してどんなプログラムを用意してくれるのか?。

結局、企業連合国家で考えるしか仕方がないのかもしれない。

企業は、勝つことが最優先される。デジタル社会はおかしい、とは言ってられない。つまり「結局、行き着くところまで行くしかないのではないか」と言われた方の世界がピッタシだからである。それだけでうまくいかないのは上記の通り経験済みなのだから、当事者が考え対処するのが一番いいと言うことになる。

 

☆ 国道312号線

◎夏休みは、既述の通り、一日中遊び呆けていたが、夜は国道312号線上で二組に分かれてリレー競争をしたり。あるいは、どの家も、夕涼み用の床几を道路上に持ち出していたので、そこに仰向けに寝っ転がり、夜空と向き合う。そして、上の者が、不思議な話や、怖い話、星のことなど、あれこれと話してくれた。勿論、夕焼けや、激しく道路に打ち付ける夕立。しとしとと降る梅雨時の雨。満天の星空。みんな好きだし、私に限らず子供ながら、大人から聞きかじった一端の天気予報士。だから空は大好きだった。しかし、私はどういうわけか、星の話を聞きながら、夜空を見上げていると、決まって自分の体が底なしの、真っ暗な空間に、止めどもなく落ち込んでいく感覚に襲われた。体は、夢で意識だけが目覚めた時のように、金縛りで動かず、言いようのない恐怖に襲われる。

 教授に、なぜ「あなたがたは、単に趣味に没頭しているだけ」と言ったのか。この体験が、根底にあるからです。宇宙などとても相手に出来ず、心のどこかで「あるがままを、あるがままに受け入れて暮らしたい」と願うようになっていったのだと思う。

 

◎私は、これまた軒先を10㎞先からチラッと覗く程度に環境問題に触れたことがある。なんだか経済学の理屈を用いたり、排水方法はこうするとか。学問ってこういうことかと思ったけれと、卒業せなあかんので、今度は黙って聞いていた。

環境問題の裁判などで、国や企業は矢面に立たされるけど、それを考え出した学者先生方は表に出て来ない。直接の因果関係がないせいか、よくわからないけれど「原爆をつくった科学者だ。どうせろくなことしない。そう思って戦後まもなくより生化学方面を研究している」(いいだもも)というのに。

「原爆」は「細微なものへと突き進むことの象徴」としてとらえるべきで「平和利用はOK」。しかし「原爆は反対」とはならない。原発云々と言われる前からそう捉えていた。弱い者いじめを得意とする西洋の神さん。「人間のご都合主義など許してくれるはずがない」からである。私は環境問題での裁判があるたびになんだか、割り切れない気持ちになる。

◎私の義父は「マージャンはやらない」と決めていた。「凝り性」だから「弊害」も考慮してそう決めたという。代わりにゴルフをやった。身長は160cm以下でどちらかというと瘦せていた。それでもシングルになった。

 私は株を一時期やったことがある。やりかたは簡単。大きく下落した時、有り金をはたいて、時には1000万の借金をして買う。一番多く買ったのは山陽特殊鋼の株で10万株。昔は、お客さんが列車の網棚に、週刊誌や新聞を放り投げていた。その中から、たまたま手にしたのが株新聞で、そこに未上場の山陽特殊製鋼のことが載っていた。野村証券に頼んで10万株買った。やがて上場され儲けた。その後、野村からあれこれ勧められたが買わなかった。お陰で株で損をしたことがない。

理由は忘れたが、あるときから「株はやらない」と決めた。決めてはみたものの、いまでも少し未練がある。それは、ダイエーの株を買わなかった事。ダイエーは一時80円まで下げた。私のやり方では、その時点で借金は危険を伴うのでだめだけれど、当然、有り金はたいて買いである。やがて、ダイエーの株は4000円台まで跳ね上がる。買っていれば億万長者だろうにと女々しく未練が残る。ゴルフや株のことを言うつもりはない。環境問題のことを言っているつもりです。

私の小さな頃は、頑固一徹「何々はやらない」という偏屈叔父さんが結構、身近にいた。

 

学者先生方が、死なないから、命綱を付けず「やあーめた」と、崖から飛び降りる(※後述2)。そうしていただければ、いっぺんに環境問題は解決する。それ以外の解決策は無理だと思う。例えば「原発に代わる太陽光発電」などと言っても、それは、細微なものを他の細微なものと取り換えるだけで結局、細微なものへと突き進む構図は変わらないからです。

 

 昔は戸が閉まりにくいと鑿で溝を削ってなんとかなった。今は金属枠だから素人ではどうにもならない。また、ある時、掃除機のゴミ袋が無くなり買おうとしたが「製造中止」。

掃除機そのものはどうもないのに結局買い替えることになる。また、先日パソコンの診断で「買い換えた方がよい。国が部品保存の年数を決めている」と言われた。

政治家さん方の環境問題への関わりは、一体何なのだろう。「ブレーキとアクセルを同時に踏んでいる」と思った。

 

◎これも、小学3年のころである。井ノ口山の獣道を歩いていてギョッとして立ち止まる。緑というよりは黒にちかい入道雲のようにググっとなった葉っぱの盛り上がりが道を塞いでいた。怖くなって引き返そうと思ったが好奇心から、そっと盛り上がりを覗くと、そこには小さな祠が鎮座していた。何故か「大人ってえらいなあ」と思った。どうにもならないようなものは神さんに祈って自分の心と向き合ったのかもしれ知れない。これは、宇宙に対して私が感じた恐怖と同じなのかも知れない。

個人としては、そういう社会で十分だ。

しかし、病気を前にして、そうはとても言えない。正直、それで片付ける自信はない。ただ年を取ると『この先生』の言うことなら、「間違って、あの世へ行くことになっても  

まあええか」の気持ちはわかる気がして来ている。さらには、生まれるときは自分で選べないが死ぬときは「私は、これこれがとても心配。だからその見通しを立ててもらえれば、体も意識もそれなりに動くくらいで、安楽にあの世えいくのもありかなぁ」とも思う。

 それと、自分たちの果たすことはたった一つ「命を次世代に繋ぐこと」からすると、医学といえども、趣味に没頭して、だんだん危険水域に近づいて行かれるはちょっと困るから「祠や信頼できるお医者さんくらいでやめてもいいかな」と思う。

◎「お月さんのおもちをたべたい」という「子供の詩」がラジオから流れてきました。なんでも、お爺ちゃんが「お月さんでうさぎがもちをついている」と言ったからだとか。

「あほな!」というのも正しいし「人間だからこそ、それを真実にできる」というのも正しい。私は後者です。だから、宇宙開発は基本的に反対です。お月さんのうさぎは「迷惑している」と思うからです。

もっとも「俺は宇宙開発に生き甲斐を感じている。文句あるか!」と言われれば「スンマセン」と謝るしかありません。たった一度の人生、私ごときが他人さまにツベコベいえる立場にありません。それはそれで仕方がありません。

ただ、一つだけ約束してもらえませんか。「宇宙に放りだしたゴミは必ず持ち帰り、他人

に頼らず自分の家の敷地内で保管する」と。

 例えば「御堂筋歩行時、大小便、垂れ流しOK」なんておかしいでしょう。積もり積もれば御堂筋界隈の人々は辛抱たまらず逃げ出すかも知れません。

 地球も月も同じで「クッサー」といって、逃げ出すかと思うと「ゾッ」とします。

素人の杞憂とはいえ、宇宙開発だけが例外で「公害はない」とはとても思えない。それは地球温暖化の比ではないにちがいない。地球温暖化はまだ、自分たちが我慢すればなんとかなるかもしれない。しかし、単なる、趣味の没頭や好奇心のせいでそのような状況を招けば「お月さんではうさぎが餅をついている」派はたまったものではない。

 どうしても宇宙開発をするというのであれば「月でウサギは餅をついていない」派に提案です。前者は地球だけ。後者はその他の全部の星、ということで妥協してもらえませんか。たった一つと無数との交換。悪い話ではないはず。あなた方の好き勝手で地球が一瞬で消え「お月さんではうさぎが餅をついている」派も一瞬で消滅する。そうなっても一切文句は言いません。その代り地球を出て行った暁には二度と地球に来ないでください。お願いします。

また、マスコミや文科省や学者や先生方にお願いです。報道は仕方がないにしても子供に宇宙開発の素晴らしさを吹聴するのはやめてもらいたい。どうするかは、子供たちが決めればいい。

私は、たまたま、恐怖を感じたからいいものの、今日日、毎日、子供のころの私のように夜空と向き合うことは難しい。だから、星を見ながら、かってにあれこれ空想する楽しみもあるように残しておいて欲しい。

 

☆ 結いの村

1) これを考えるきっかけは「自分の取り分1/3」。それと、老後の最終住処は自分で決めないといけないらしい。お金のある人はいいけど、ない人はどうするのだろうと思ったこと。後見人と言っても法の範囲らしい。そして、どなたかが新聞でボヤイて、おられたが「大して仕事もしないのに、お金だけとられる」。それが実態らしい(そんなことなら、いっそのこと、ほんこないだまで、少なくとも家では、あまり豊かでない長男が両親の面倒をほぼ見た。だから「親は長男が見る」(「親をみるのに『制度』でいいのか」亀井静香さん)。そして、但し「財産は無税で長男が継ぐ」。それでいいではないか。わかりやすくてすっきりする。今の制度はそれを中心に見直せばいい)。結局自分たちで決めるしかないのかなと思ったからです。

年功序列。終身雇用。正社員が基本、つまりは社会保障的側面で1/3返しているので、あと1/3を結いの村で返すというわけです。出来れば会社も協力してくれればそれに越したことはないですが、やっぱり個人の意志で、組合、次が経営者くらいの順番になるかと思います。

 どうするか。手っ取り早く言えば、老後に備えて、お金を貯めるということです。どういう貯め方をするか等はわかりません。会社にするのか、ほかその方面のやり方は世の中にわんさかあるのでおいおい決めればいいと思います。

 定年を62歳としたのは、18歳で就職するとして、84歳までの生活費を貯めるのに1年ちょっとではしんどいので、現役2年で退職後の1年分を貯めるとしたせいです。まあここらあたりのことは、おいおい個人が設計すればいいと思います。

 勿論、これは一つの暮らし方を提案することだけのことで、どうするかは個人の自由です。会社からも、組合からも強制するものでもありません。

 

 定年後は、結いの村に移り住む。持ち家があれば子供に譲る、でもいいし、端っから借家住まいでもいいし、適当に個人がすればいい。

 結いの村の家は出来れば猫の額で結構なので、畑がある。周りには、山や川がある。夏休みは孫が1ヶ月泊まってくれればありがたい。最低、学校の宿題だけは早々に済ませ、気ままに遊び呆ける。なんだったら、塾も一か月休む。

ことによって、孫が「じいじ、ばあばと暮らす」と言ってくれればそれもまたよし。

 

 結いの村でする仕事は、どちらかと言えば、結いの村の世話係。村の住み人ほかその家族等周辺の困りごとも面倒を見る。定年後15年、77歳までそれをやり、それ以降は世話される側になる。勿論、個人差があるので、そこらあたりは世話人さんと本人で決めればいい。祭りなども、出来るようだと有る方がいい。祠もあり、日本から逃げ出した神さんが帰ってこれるよう神社のある場所がいい。だけど無理は厳禁。こだわる必要は全くなし。

 昔、井ノ口部落では近所の揉め事は隣保長さんが裁いていた。それで収まらなければ、区長さんだった。そいうことでいいのではないか。決めごとを作れば窮屈だ。出来るだけ決めない方がいい。「企業連合国家では弁護士不要」が私の目指すところです(※後述3)。

 基本的には同じ会社の人達の村。ソフトバンク村。楽天村等々。村の集合体の大きさは、例えば、一軒の散髪屋さんがやっていける程度とか、小さなスーパーがやって行ける程度とかを目安にすればいいかな、と漠然と思っています。

基本はそこに住む人たちがあまり細かいことは決めず、暮らしやすいようにすればいい。

 

 後見人制度について、見直しを図るという。以前、担当大臣が「固定率」を定めそれを見て「あほな」と思ったと言いました。何も変わっていない。結いの村では、机上の空論はいらない。有識者ではなく、肌感覚で出来ることを精一杯するだけです。

 

 最終目的は「81/2→甘い生活→道」(※後述4)。「愛の無機質化の解消」。つまり判沢弘先生の地方で、「行き着くところまで行った結果(←企業活動)」としての復元力に「結いの村」がなり得るかどうかの試み、というわけです。勿論、反デジタル集落(※後述5)。

 

2)小さいころから「播州弁はきたない」と周りから言われ、私も「ほんまやなあ」と思っていました。ところが、古文を習うようになって「おや。これ、いま使っているやん」と思う言葉がちょくちょく出てきました。「俺って、平安とつながっているやん」とチョット嬉しい気分になりました。教科書にいろいろ書いてあるけれど、井ノ口部落での大人の暮らしぶりから「本当は、大昔から、人々はなにも変わっていない」と思うようになりました。

 夜学では二回りも三回りも違う同窓の男性女性を経験し、ありのままで通じるのを経験したけれど、塾の講師になるとき「俺、小学生や、中学生とうまく付き合えるだろうか」と、とても心配でした。しかし、自分を変えることなくありのままで行けたました。

団塊の世代、と言う言葉は知っていましたが、気にかけたことは一度もありません。しかし、ずっと後になって「そや、俺、団塊の世代に片足くらい突っ込んでいるんや」と気づきます。気づいたけれどやはり、私には、なんの関係もない命名でした。小学校のときの井ノ口が私の総てを決めていたからです。

 人って果たして変われるのだろうか。今平安時代に降り立ったとして、なんの不自由もなく暮らせるのではないか、と思っています。

 先日、マイナポイント申請に行きました。長蛇の列でした。それだけでは、すまず、一か月ぐらい後にやってくる手続き関係の窓口も順番待ちの大きな番号札を持たされ、これまた長蛇の列でした。みんな「ピアノ線の前で、渡れず」右往左往しています。

私が小川で足の痛みで気分悪く倒れこんでしまったとき感じたように、頭に体を合わせるのではなく、体に頭を合わせるべきではないかと思っています。

 

3)海保青陵、1755年~1817年。他国に壊されないと自分を取り戻せないのではなく、200年という長い年月は経たけれど、それでも何とか繋いできた(永井荷風→柳田国男→いいだもも)海保青陵の立ち位置を取り戻し、いまこそ自分の足で歩む必要があると思います。つまり「明治維新からの脱却」です。

 

 とりあえずは、目の前にあるものを一つずつ片付けるべく、結いの村で試みるしかないと思っています。

 

※後述1

なぜ、7年前「切なすぎます」と書いたのか分からない。勿論「言語道断の行為」。ですが、どこか「切ない」。何をどう信仰しようが構わないけれど「宗教の普遍性は生活レベルでは、ない。だから、生活レベルに落とし込んでくる(例えば、寄付や病気と教義を結び付けてくる等)宗教や勧誘(=欠乏を増幅させるもの)は偽物」と心しておく方が無難です。卑劣な教団の向こうに、多くの切なすぎる人々の影がチラつく。どこかの大学の先生が「自己顕示の面もあり」と言われていたが「そんな面は皆無」。何故なら、対象への思いが一万%以上でそんな余地などあろうはずがないからです。

それにしても、周辺を含め、全体が、なんとも、切なすぎます。

 

※後述2

 学者先生方に「死なないから、命綱を付けずに崖から飛び降りて欲しい」と言っても「いやだ。俺が俺の人生をどう生きようと、つべこべ言うな!」と言われれば、これまた「スンマセン」と謝るしかありません。せいぜい出来るのは「命を繋ぐため、頭のいいあなた方。どう生きるかを、次の中から選んでもらえませんか」と提案することくらいです。

1 細微なものへと突き進む研究はするが、用いるのは「伝承」のみ。

2 細微なものへと突き進む研究はするが、用いるのは「手書き」まで。

3 細微なものへと突き進む研究はするが、天皇陛下が「やめなさい」と言われれば、やめる(←これを記入するかどうか迷ったけれど、二十歳過ぎの自分の備忘録としてあげておきます)。

4 これまで通り、細微なものへと、限りなく趣味に没頭する。但し、それによって、神さんが臍を曲げた時、100%説得できる手立ても見せてもらうと同時に、公害で裁判になったら、国や企業ではなく先生方が矢面に立つ。賠償も先生方の責任とする(命を繋ぐ阻害要因を生み出したのは先生方だから)(※後述6)。

5 これまで通り、社会規範のなかで好きにやる。

 

※後述3

かつて一度公職選挙法を読んだことがあります。

そのとき感じたのは「こんなの守れる人は政治家になるべきでない」でした。

本来、自由人であるべき政治家をグルグルに縛り付け、身動きの取れないものにしているからです。最近も、法をチョット見ることがあります。しかし、人を対象とするのではなく「法が法自身のために、自己防御している」部分に気付き、2,3行で嫌になり、読むのをやめてしまいます。これも政党間、あるいは専門家の学者先生方が加わられて出来上がった技かも知れません。どこからも突っ込まれないように、ああじゃのこうじゃのと、言い訳がましく続くのです。果たしてそんなものが実生活で、スパッと役立つでしょうか。

人気投票や学問や理屈で出来上がったパッチワークの世の中は、デジタル空間の世界で、外から見ると腰が曲がって足はふらつき、見られたものではない。結いの村では「弁護士不要」とする所以です。

でも、いつも斜めにものを見ているわけではありません。

小山嘉昭先生の『詳細 銀行法』を読んだときは『日本にはすごい人もいるもんだ』と、とても感動しました。

 

※後述4

 阪神淡路大震災後、神戸の長田が撮影現場になった関係か、神戸で山田洋次監督の講演があった。講演後質疑応答があり、その席で「世は『道→甘い生活→81/2』と猛スピードで『愛の無機質化』が進んでいる。とてもやないが『フーテンの寅さん』では持たない」と質問しょうとした。しかしあまりにも多くの方が『男はつらいよ』礼賛で、そんな気持ちが吹っ飛んだ。やがて私も寅さんの大フアンになる。そんなこととっくに忘れていた。ところが今日(2023・2・11)たまたま運転中にNHKで山田洋次監督の話を聞く。監督には中学の時「ちくわ」を買ってもらった「おでん屋のマドンナ」がおられ、それが根底にある。運転中で正確でないかも知れないが、片時でも「よかった」と思うことがあればいいのではないか、とかそういう話だった。そして何度か「それが私の限界かも知れない」とおっしゃられ「でもそれが私なのだから仕方が無い」とも何度か言われた。

よくぞ講演会の時「質問せず」でよかった、と胸を撫ぜ下ろす。まさか何十年も後に監督の言われる「そういう瞬間」を味わい「生きた甲斐」を感じるなんて、と思った。そして「結いの村」は結局「寅さん村目指しなんだ」とも思った。

 

※後述5

 役所に行くのが憂鬱。便利になっているけど、ボタン入れると一杯項目出てくる。役所に顔を向けた画面しか出てこず、とまどってしまう。私は図々しく、尋ねまわるからいいけど、みんながみんなそうではないと思う。詐欺だけでなく役所でもうろうろしてしまう。

田原村の運動場は郡内で唯一、直線で100メートルがとれるほど広かった。そのせいか、競輪も間近でよく見た。それは運動場が小学校、中学校共用で広く、北側が小学校、南側が中学校だった。だから、同級生でなくても、一度も話をしたこともなくても、そこにいる子の顔を見れば、そのおばあちゃん、おじいちゃんの顔も思い浮かべられた。

 私は中学の時、田原村中学から隣りの福崎中学に転校した。しかし、特にイジメられたわけでもないけれど(今から思うと、本当の理由は別のところにあったのかもしれないが)居心地があまり良くなかったので、2年生になるとき担任の先生に、もとの中学に戻りたいと言った。その時、担任の先生は「段々慣れて来たけど、そうか」と言われてそれ以上

何も聞かれなかった。

その先生は、クラスで騒ぎが起きると、それがどう収まるか、何も言わず、じっと見守るタイプの先生だった(今の先生方は、どうしはるのだろう。学んだ学問に従って処理?。専門の相談員を呼ぶ?。というよりは、スマホでAIにききはるのかなぁ?)。

また、その件で親が先生と話したこともなく、担任は私に、持っていく書類を手渡してくれはった。私にはわからないけど、一度の申し出で何も言わず渡してくれはったのは、学校で先生と向き合って話したのはその時が初めてだったけれど、しかし、多分、先生は「私という生徒」をきちんと把握してくれてはったからだと思う。(※後述7)

言いたいのは、今は(学校に限らず)ルール作りから始め「すべての行動基準の真ん中にデンとそれを座らせる」。でも当時は、それに頼らなくても、何もかもが身近で、すぐ「寄り添って」もらえたのだと思う。

今は、そうしないと外野(=マスメディア)がうるさく、身が持たないから、ついついルール作りから始めざるを得ないのかもしれない。

一方、今はともかく、中村敦夫さんが演じられた頃の報道関係者からは「そうじゃない。確信犯なら「没もあり」。だが「確信犯でない(=内省の喪失)」場合、誰がチェックする?。我々しかいないではないか」と(余談ながら確信犯の例=村上誠一郎さん)。

 

※後述6

 企業連合国家では、中卒、高卒で採用だから、企業が科学者を育てため「その責任は企業がとる」でスッキリする。

   

※後述7

新聞で見る限り「イジメ」られた生徒は必ず、先生に何らかの訴えをしている。もし、その先生が、私の担任のように、その生徒の故郷探しを即(※後述8)手伝ってあげていれば悲しい事件は起きなかったと思う。次の学校でまた同じことが起これば、何度でも故郷探しをすればいい。

 

※後述8

 イジメに関しては、既述の通り、教育などは何の役にも立たず、それは一種の化学反応と見る方がよい。だから距離を取る以外に解決策はない。

 

 故郷探し

 私のブログ 2022年6月10日 投稿 「選挙で投票用紙に孫(ソフトバンク)さん、三木谷(楽天)さんと書こう勝手連2―(3) ☆『けものたちは故郷をめざす』を参照。

 

 

 

☆最初に言った通り「選挙で投票用紙に孫(ソフトバンク)さん、三木谷(楽天)さんと書こう勝手連」だけれど、お二人に政界に入って欲しいなどとはこれっぽっちも思っていません。それはお二人に失礼だから。これまで、経済界から政界に入られた方でその能力が十分発揮された、と言うよりは潰れた例しか知らないからです。

 

 

    2022年7月28日      井筒屋 弟二郎