安全保障

 

1 木々の安全保障

既述の通り、「私が、いままでものを読んで一番、怖い、と思ったのは『戦争と平和』の、ニコライ老侯爵とマリアの関係である。それは、初めて読んだ時【生命の継続と非継続はこういうことなんだな】と感じたからである」―平成元年九月十九日―とある。

それから三十年以上たっている。私の文章的なものが教科書に載っているかいないか、私は知らない。『戦争と平和』は専門家でしか読めない本ではない。税の援助を受ける大学で文学をやっておられる先生方は五万とおられる。私が気づくくらいだから当然、諸先生方のどなたかの同種の文章が教科書に載っていてもいいはずだ。だとすれば、なぜ、例えば旭川市の公園で凍死しなければならない悲惨なことが起きるのか。ウクライナとロシア=日本とロシア等の関係で「力が根底」だとか。だったら、教育委員会を含めた先生方が鈍感で行動力0(←※後述1 企業へのお願い)ならば、防衛大臣は自衛隊を派遣して、いじめた生徒を拘束すればいいではないか。法律?。法と人の命とどっちが大事なのか。外国は関係なし。国内だけですむ話。国はなぜ凍死された生徒さんを守らなかったのか。ロシアのウクライナ侵攻で「日本の国を守る」という一見「もっともらしい発言」と、それを「幇助する」あるテレビ局。凍死された生徒さんとその親御さんを守れもしないくせに「国を守るなどと言うな」といいたい。

私にとっては、木々=人間の安全が第一。「それ(ニコライ老侯爵とマリアの関係)だけで十分。戦争までいらない」という所以である。

 

 

2 安全保障については、今まで、ウクライナに関連して述べてきたので特に加えることはありません。

 

ただ、為政者は感情問題(例えば、戦争犯罪)が発生する前に事を収めるよう決断して欲しい。感情問題が発生した場合、それは外交課題というよりは国内問題に変化する。この認識がすべての出発点。そうでないと「内閣の一丁目一番地」といいながら他人に頼ったり、見せかけの外交で「ズルズルと何も進展させない」のが最も有効な手立てになってしまう。

それでもその問題を処理しなくてはならない場合「英雄」になることよりは「愚か者」になることを我々が評価する必要がある。国内問題だから決定権は我々国民にあるからです。

 例えば、和田春樹先生によると―2022年3月29日イスタンブールでトルコが仲介した協議が行われ、ウクライナ側が明解な停戦協定案を出した。ウクライナの中立、非核化を約束し、自国の安全の保障のための国際的な枠組みを提案した。クリミアの地位については15年間の交渉を行う。ドンバス東部については大統領交渉で解決することを提案した。ロシアはこの提案を歓迎し、交渉をさらにすすめるためキエフ方面の攻撃を縮小すると表明した。だが、停戦への希望は3日ともたなかった。4月3日、ウクライナ検事総長がロシア軍の撤退したブチャで市民410人の遺体が発見されたと発表し、ゼレンスキー大統領は「ジェノサイド」だと非難した―という。

そして、死、破壊、避難民の拡大、更には全世界への経済的影響。それらがその結果の現実だ。そうではなく、それはそれで別途考え、森などどうでもよく木々を第一に考え、カッコ悪く愚鈍にやり過ごしていれば(現に兵士の死者数は発表せずやり過ごしているではないか)、今ごろは、以前の世界を取り戻していたかも知れない。

 

3 以前にも触れたが、「その戦闘の位置付け」については「点数をつける」という事をもう一度触れてみたい。

◎ 民主主義、自由、人権、歴史、民族、宗教等々目に見えなうものは一切考慮しない。

◎ 逆に、死、破壊、負傷、避難民、等々目に見えるものだけ評価項目とする。

◎ 点数を何点にするかは難しいので、総て1点またはマイナス1点とする。従って、原爆投下も-1。手の指の骨折も-1。これなら素人の我々でも評価表をつくれる(勿論、自分流の点数配分が出来れば尚よし)。

 

  一例だけを示せば

            ウクライナ         ロシア

  避難民     -1000万点           0

  合計      -1000万点           0

  この結果からは、自国民に取って、ゼレンスキー大統領が一番の「悪」だとなる。

  そして、この評価表が戦争の脚本家を無能にする唯一の方法だ。

さらに、何の代償も払うことなく意思表示できる、戦争につながるアンケートには「反対」と応じ、「戦争に加わらない」と決心する。これはどんな状況下にあろうとも自分で決められる。最後の砦はこれしかない。

 

4 いま現実に起こっているロシアの侵攻。プーチンさんが一方的に悪い。だが侵攻後は、ひょっとして一人の演者なのかも知れない。プロ中のプロがあらゆる手段を用いて、90%支持のウクライナ市民を背景に、「民主主義、自由、人権等々」の御旗の下、今ではその御旗を離れて戦いが続けられているのかも知れない。つまり自分たちの正義の高揚を全世界に知らしめるためにだ。武器の支援と言ってもやみくもにするはずもなく、他分野も含め、全てを計算尽くで事に当たる。それが仕事の人達がいるはずだ。果たして「そこに木々は存在するのか」怪しいものだ(※後述2)。戦争の最前線で殺しあうのは木々のみ。この図式は先の大戦でもそうだっただろうし、結局木々にとっては何も変わっていない。正しく「歴史は繰り返される」だ。

 

5 我々が、ロシアのウクライナ侵攻で教訓とすべきは、ロシアのウクライナ侵攻ではなく、ゼレンスキーさんを「90%で支持するウクライナそのもの」だ。

中味のない綺麗ごとだけの「建前社会」。そこでは、かっての派閥で機能した「銀行筋」はない。正しく人気投票だけが存在する。それに沿った候補者の擁立。他人ごとではない。「怨霊は一度はいいけど二度はいかんはな」などという会話は、今では成り立たない(※後述3)。いまの体制を早急に変えるべきだと思うけど急にはそうならない。このことをしっかり心すべきだ。つまり「ゼレンスキーさんを選ぶな(※後述4)」だ。

 

6 ヴィッセル神戸の責任あるスタッフの方が、いま流行りの、パワハラだったかの類で三木谷さんに辞めると申し出られたが、三木谷さんは「私が信頼して決めたこと」と仰って、その申し出を受け付けられなかったとか。二人並ばれた写真付きで神戸新聞が報じていた。いまの選挙事情ではこう言い切るのは難しかろう。本当は、三木谷さんのように言い切れない雰囲気にしている西欧かぶれの学者先生方とマスコミが一番悪い、と思うけれど、これが現実。仕方が無い。

 

7 では、何故「ゼレンスキーさんを選ぶな」なのか。

ベラルーシの人々は何故国外に避難しないのか。それよりも、中国、ロシアでいま暮らしておられる日本の方々は「日本政府及びあるテレビ局がアンケートでそれを幇助しているように、何故武器を取って戦っておられないのか。いや、即中国やロシアから逃避されないのか。日本政府はそれ用の航空機を手配しないのか」。日本と同じとはいかないまでも、少なくとも中国で日本人は殺されていない。「もろ手を挙げての歓迎」どころか「自ら仮想敵国に飛び込んでいる」ではないか。それが、一万数千社もあるという。だから「諸手を挙げての歓迎」こそが、その生活環境で生活でき、殺戮と破壊回避の本当の現実なのだ。そして、そのための代償をどう最小にするかを考え実行すればよい。国民はそれを大歓迎するはずだ。現に、泥棒に【1兆円(←青山繫晴さんによる)】の追い銭、の小泉純一郎さんは大歓迎されたではないか(※後述5)。それが政治家のなすべきこと(※後述6)。大砲の準備などではない」と言いたい。「殺すな」ではなく「国民を騙すな」。そしておそらく「武器を備えろ」と提唱する政治家やテレビ局に「自分に呪文をかけ自分を騙すな。目を覚ませ」。「台湾のために、少なくとも沖縄が、犠牲となる可能性を孕ませるような考えに傾斜する報道はやめよ」と言いたい。

 

※後述1 企業へのお願い

☆「何か事が起これば、専門家や有識者で検討して法をいじる」。その繰り返しです。

少なくとも既述の通り、いじめに関する解決策は「距離を取る」以外に方法はないです。そこで「親御さん、その子供さん、学校で何らかの兆候を感じたら、学校などに行かず我が社へ遠慮なく来てください」と受け入れてくれませんか。そして、そういった方面に携わっておられる方々と共に対処する。中身のない綺麗ごとの建前で固められた枠の中で暮らして、それで良いのか、という気がします。

☆私は何度か夜間の学校に行ったことがあります。年齢も仕事もバラバラ。しかし「自由、人とのかかわりも心にわだかまりもなく緊張感は不必要、自然体、等々」と言った表現すらちょっと違う感じで、ともかくすべてが『平坦』で落ち着けました。それは、なにかの目的があっての学校生活だったとしても、むしろ、意識することもなく、ごくごく自然に『学校でみんなと過ごすその時間そのものが、学校に来る目的』という感じでした。それは、私の経験した限り夜間学校に共通する部分でした。つまり「企業連合国家でそういう学校を創ってくれませんか」というお願いです。

☆先生を経験された方から「ともかく書類が多くて大変」と聞いたことがあります。日本は民主主義で自由の国と言いながら、多様化かどうかは知らないけれど、学問が細分化、専門家化して、そのため、ふと気づけば、その細分化した専門性に包囲され身動きが取れなくなっている「全く自由のない国になっていた」。「道を歩いていると思ったら、いつの間にか土塀の上を歩かされていた。今度はピアノ線だという。うまく渡れるだろうかー平成元年9月19日記述ー」というわけです。

☆先日、銀行で書類を提出する時、途中でどう記入するか分からず、尋ねると、それまでの記入が間違っていて、改めて新しい用紙を渡されました。2度目も結局間違いだらけで没になり、3度目は係の人に「これはここ、次はこっち」と記入項目を指定してもらい、中身は素通りで、ようやく書類が出来上がり、提出しました。細分化した専門性に包囲され身動きが取れなくなっていて「全く自由のない国になっていた」のはあらゆる所で、そうなっているのかも知れません。そして、その第一の犠牲者は、その「自由のない国」で暮らすことが義務付けられた「子供たち」なのかもしれません。それが、上記のように企業にお願いする理由です。

 

※後述2

☆兵士の死亡について、ロシアの公式発表3月25日、1351人。

☆ウクライナ側は死亡した兵士の総数を公式に発表していない。ウクライナは定期的にロシア側の死者数を発表しており6月下旬の時点で約35000人。

 双陣営とも「戦局」で頭が一杯なのだろう。

 

※後述3

☆そんなものが何の役に立つのか。「パン=当選が総てに優先する」から「旧統一教会問題はまあしゃあないか」となり「無罪放免」。一方、もう一つの基準「政治家資質=他人の痛みを追体験できる感性」からすると「議員を辞めて下さい」となる。ここで竹下さんに登場願って「今回は大目に見る。二度目に、宗教関連に限らず同種問題起こせば自民党から永久追放する。法は関係なし。自民党がそう決めれば他党も必ずそうなる」。これで終わり。

☆若者の皆さん、勉強などどうでもよいので、既述の通り「蛸壺に籠り、ただひたすら、自分の心の隅々まで丁寧に訪ね歩く旅」をやってみませんか。その結果、問題を案外「簡潔に片づけられる」ようになるかもしれませんよ。これは体力がいるので若いうちでないと無理。検討してみてください。

 

※後述4

☆ゼレンスキーさんがロシアの人に侵攻反対蜂起を促すのは「当局に捕まれ」と同意語だ。

例えば北朝鮮と日本が戦闘になったとして日本の首相が「北朝鮮の皆さん、日本侵攻反対運動を起こしてください」と言えるだろうか。そんなこと、とても言えまい。「武器をよこせ」と他国をなじる。こう見てくるとゼレンスキーさんは随分手前勝手な人だ。ロシアへの呼びかけは、あるいは無意識下の兄弟喧嘩なのかもしれない。だとすれば、他国は一斉に手を引くべきだ(※後述7)。

 

※後述5

☆青山さんと正反対の意見もあるようです。もし正反対が正しいのなら北朝鮮から、ミサイルを2~3発撃ち込まれても文句は言えないけれど、私には青山さんが正しいのか、正反対が正しいのか検証する能力はありません。だから、念のためここに載せておきます。もし正反対が正しいのであれば、私の記述「御免なさい」。

☆「泥棒に追い銭」は私の表現。青山さんとは関係ありません。念のため。

 

※後述6

☆だけど、騙したのなら良くない。せっかくの1兆円をパーにしてしまった。さらに、北朝鮮に追加の追い銭(=テレビ=竹下登さん=パソコン)を支払うという唯一の解決策の糸口を使えなくした。それは小泉さんが、出たとこ勝負の人で理念がなかった証でもある。いまも拉致問題の見通しがないうえ、防衛費をこれまで以上に積み上げるべきだという。さてさてこれからどうなることやら。

 

※後述7(2023/10/14)

☆「装甲車をロシア軍に売るウクライナ兵」(←ロイター:2022年4月14日)。正しく兄弟喧嘩そのもの。各国は即手を引くべし。

 

☆(2024/2/11)。

 また、プーチン大統領のインタビューでの発言―ロシアとウクライナの戦いは「ある意味で内戦だ」(2024/02/10 09:30 産経新聞)―は「我田引水」と非難されるだろうけれど、少なくとも「兄弟喧嘩」と感じた私にとって不自然さはない。

「だから、侵攻OK」ではなく、ウクライナの一般市民のことを考え「ともかく停戦」でいいではないか。

行司役(アメリカ)とプーチン大統領が話し合って決めるのが一番手っ取り早い。

経済人は(自分たちのために)これなら声を上げれるのでは?。是非そうしてほしい

もし、政治家が動かなければ、スト(閉店、閉鎖)をやればいい。そして、権力という「中身空っぽ」のものではなく、「国の実質は我々だ」ということを見せつけてやればいい。さすれば、政治資金規正法だか何だか知らないけれど、ままごと遊びばかりをしている政治家に活が入るだろう。

 

    

       

              2022年8月21日       井筒屋 弟二郎