【1 教育】

☆ 英国数理社など(←入社した企業がやればいい)どうでもよいから

◎ 妊娠前後から、出産後数年までの病気(子育て関係含む)の兆候及び病気

 を小学1年から9年間繰り返し教える。そして一定点数取らないと中学を卒

 業させない。

◎ 健康保険、年金についても九年間教える(知識格差=所得格差を極力避ける

 糸口作り)。

◎ すくなくとも、自分に関する確定申告が出来るように9年間教える(このこ

 とに関し私の知る限り最初に言われたのは堤義明さん。表現は違っていると

 思うけど)。

◎ 女子だけ9(~12年間)空手を必須とする。

◎ 男子は9年間少なくとも一家の夕飯の支度が出来るように料理を必須とす

 る(但し、男子は自己陶酔型なので水道光熱費が、人により女性の2倍になる

 ことを計算に入れること。国全体としては重要なことなので)。

☆ 企業は高卒までで大卒以上は採用しない(※後述1)。

☆ 文部科学省、学者先生方っているのかなあ。

◎ 民主主義など、目に見えないものはいるのか。実生活で生きているのか。

  私は、子供のころ一度、村八にされかかった事がある。井ノ口部落の実質ドン

 である婦人会長の逆鱗に触れたからである。勿論私は、そんなこと、全然思って

 もみない。何が婦人会長の逆鱗に触れたのかもさっぱりわからない(ただ、井ノ

 口では子供でも言いたいことは自由に言えたんだと思う)。その時、近所のおば

 さん方は、私を庇ったからと言って損することはあっても得することはない。そ

 れでも「○○チヤンはそんな子じゃない」と必死になって庇ってくれはった。私

 はそのおかげで難をのがれる。日本は一応、人権は守られて、民主主義の国。だ

 けどスリランカの女性の方は亡くなりはるし、近畿財務局の方もなくなられた。

 パワハラやいじめで亡くなる大人や子供もなくならない。そしてプロレスラーの

 方が亡くなられるとか、何かが起これば法をいじり、当然事情を知る当事者がや

 るべきだと思うけれど、第三者云々と言ってお茶を濁し、それを繰り返す。何故

 そんな七面倒くさいことが必要なのか。その付近にいる人達の中に、私にとって

 のおばさん方(プロレスラーの方の場合、明らかにテレビ局)がいればすむこと

 ではないか。

◎  かつてセブン・イレブンの鈴木敏文さんが「報道は3割が嘘」と言われていた。

 3割という絶妙の数字に実感がこもっていて、印象に残っている。

  ウクライナはなぜ負ける喧嘩を選択したのか(←バイデンさんの警告無視)。自分

 で戦闘を選んでおきながら、戦況不利で他者を非難する。理解できません。これで

 は、死、破壊という現況結果の視点からすると、人々にとっては「プーチンさんと

 同じ」ということになる。それでも、学校で学ぶ歴史は、アゾフ連隊に加わり戦死

 された51歳の女性のお母さんの願い「とにかく生きていて欲しかった」は伝えら

 れず、「独裁者のルカシェンコ」、「自由を勝ち取った英雄のゼレンスキー」とな

 るのだろう。つまり中国は壮大な形式美。その他はドラマ性。それが歴史を形成し

 ていく。「歴史は繰り返される」というのは、こういう事の結果だからかもしれな

 い。現に、日本でも歴史の本に「谷間の世代女性群←終戦時15歳前後の女性━が

 人身御供になったからこそ、その上に日本復興の塔が建立できた」とは一度も出て

 こない。大学を含めた先生方からも聞いたことはない(女性の方が取材に基づいて

 そういう本を出されたことは知っているけれど)。

  文部科学省や学者先生方は一体何をしてこられたのか。1位だった競争力は下が

 って34位。言い訳できまい。とくに直接接触される先生方の責任は重い。とは言

 え彼らに何かを期待できるのか。答えは「ノー」だ。何故なら彼らは単に彼らの趣

 味に没頭しているからだ(※後述2)。社会に貢献する等の発言は後付けの理屈に

 過ぎない。

  鈴木さんの3割嘘は、場合により、全部噓になのかもしれない。

  こう見てくると省や先生方などいらないのでは。と思えてくる。

  軍国主義真っ只中で暮らしはったおばさん方のほうがよっぽどましだ!

  なんとか主義など、目に見えないものは、為政者が扇動道具として使っている

 だけで、人々の日常生活と無縁だと言うことのなによりの証拠だ。

 

☆ 自己喪失

◎ テレビで、若い男性のアナウンサーが、きんさんぎんさんに「小泉進次郎さん

 はどうですか」と質問した。すると、きんさんだったかぎんさんだったか忘れた

 が、即座に「あれはだめだ」と答えられた。私は、むしろその質問をした若いア

 ナウンサーの方が気になり、その返答にどう反応するのかと聞き入っていたが何

 もなく、それで終わってしまった。

◎ 私は「俺て、20代半ばまでの貯金を、ただ食い潰しているだけ。情けない」

 と思って今日まで生きて来ているけれど、同じくテレビのアナウンサーだった

 29歳の女性が退社し独立するに当って、なにをテーマにしようかなと考え、

 結局「女性問題」にしたというのである。好きに考えていいはずなのに、ラベ

 ルのパッチワークの中でしか生きていない。しかも、ラベルを追い求めること

 が自分にとってプラスになると考えている。頭で考えるな、体で考えろと言い

 たい。

  ここでも、軍国主義真っ只中で暮らしはったおばさん方のほうがよっぽどま

 しだ。

  民主主義がだめで軍国主義がいいと言っているのではない。ほん最近の昔の

 人には自分があったのに、なぜ教えられたラベルをやすやすと信じるのか。自

 分がまるでないではないか、と言いたいのである。

 

◎ 先日テレビで太鼓作りの放送をみたが技術を獲得する方法について「盗む」

 と答えられていた。明珍火箸の継承についても同じような記事を読んだことが

 ある。そこにはラベルはない。自分しかない。

 

◎ 劇団出身の俳優さんは、ちゃんと歳をとる(=大人になる)のに、ある芸能事

 務所所属のタレントさんは一例だけを除いて、全員歳を取らない。それがずっ

 と不思議で仕方がなかった。その歳を取らないタレントさん方が結構ドラマの

 主役を張っている。しかし、正直言って私は見る気になれないでいた。そんな

 折、たまたまその中の一人がテレビで「雰囲気でやってきた」。「いまも、雰

 囲気を大事にするし、それが好き」と。たまたま、ちょうど同じ頃、韓国の人

 気グループが休止をするといい、そのリーダーは、そうする理由として「十年

 やって成長がない」と発言した。「雰囲気の中で生きる」というのも、それな

 りの理由付けではあるが、韓国と比べてちょっと寂しい気がする。と同時に、

 やっと私の長年の謎が溶けた。だが、本質的問題は、その番組に出ていた高名

 な演劇関係者が、同じ番組に出ていた別のタレントよりは(場合によりけりだ

 と思うが)歳をとらないタレントを「選ぶ」と言いう。この事かも知れない。

 さらに、そのグループが解散するとなると涙を流す女性も現れる。率直にいっ

 て、芸能界はどうでもよく、国の競争力のことを言っているつもり。企業連合

 国家にとって、それが生命線だからである。ここでこの話は終わるつもりだっ

 た。ところが、別のテレビ番組で、その担当者の一人が、ウクライナ関係で

「私は何度も『殺すな』と言ってきた」というのである。ビックリ仰天。その発

  言の有効性を信じているからこそ、その発言を繰り返したのだろうが、そんな

 発言が糞の役にも立たない」と思ったことは一度もないのだろうか(他人に言

 われなくても、脳は『殺すな』と命令している。だが手足はせせら笑い、言う

 ことを聞かない。脳遊びに溺れる人間への肉体の復讐だ。犯罪心理学?冗談じ

 ゃない。人の心に土足で入り込み嬉々とする奴など人間じゃない。人間じゃな

 い奴の言うことなど聞くわけがない。自分と射撃をやっている人の経験談から

 得た結論だ(←※後述3)。ここまでくれば「大人にならない」どころの話では

 ない。

 教壇にも立っておられるようだけれど、日本の病巣は底なしかも知れない。

 

◎ 小泉純一郎さんのことを「二十歳の川すら越えていない」と表現したが、赤

 いちゃんちゃこを着るような年になっても、青年だけに許された、整備された

 庭園を荒らしまわる特権=既に壊れていることに気づかず「自民党をぶっ壊す」

 と息巻く。田舎育ちの私にはとても理解できない「原発反対」の講演に、つい

 最近まで、のこのこ出かけられている。一議員ならともかく、総理として推進

 しておきながら、とてもやないが、そんなことはできないはず。恥ずかしくな

 いのだろうか。総理としての尊厳など、はなっからなかったのではないかと思

 えてくる。「原発反対」結構なこと。私は元々「改革などない」という立場。

 改革には必ず犠牲が伴うからだ。そうではなく、日々の生活の中で新しい芽は

 ないかと目をこらし、見つければその方に舵を切る。現状を日々新たにすれば

 犠牲も少なくてすむ。そしてふと、振り返れば「随分違っていたな」となる。

  「三菱商事が新しい電力関係の入札で総取りした」という記事を見た。小

 泉さんは講演などせず、血眼になってこういうことを見つけ、それをどう推

 進させるかということに傾注すべきだ。つまり「荷車に土蔵を」だ。表に出

 ず陰で汗をかく。しかもその見本が小泉さんの近くにあったはず。竹下登さ

 ん。都会育ちは田舎者に全く気づいていない。田舎者からすれば都会人はや

 っぱり大人にならない=二十歳の川を越えていない、と映る。越えなくて確

 たる自分が持てるわけがない。

◎ 中日で活躍された谷沢健一さんの息子さんは、野球など鼻にもかけず、ラ

 グビーに熱中されたとか。私の知る限り、有名な野球選手の周りの親戚は、

 だいたい孫の次の世代ぐらいまで、才能のあるなしにかかわらず、野球をや

 る。そうではなくラグビーをされたというのは、自分をはっきり持っておら

 れるということで、それだけで尊敬するし、私なら、次世代の総理にその息

 子さんを推薦したい。

  片や小泉さんはどうか。一億数千人の命を預かっていて、自分がピンピン

 しているのに、冗談かも知らないが一億数千の命を預かっているという自覚

 を「親バカ」に置き換えられたらたまったものではない。受け手の方も、潰

 れかかった会社に入社するとは。どっちもどっち。さらにそれに拍手喝采を

 送る観客も、これまた、どっちもどっちだ。そう言えば、記述の通り、斎藤

 知事も「個人の生活がある」と答えられている。田舎人間は自分の立場にこ

 だわりを持つ。それは多分、あの説教爺さんから、しつこく繰り返し繰り返

 しインプットされたからだと思う。私はそのプログラムから、小泉親子をみ

 ているのだと思う。おそらく、きんさんぎんさんもそうなんだと思う。私の

 実感では、阪神淡路大震災から潮目が変わったように思う。説教爺さんは大

 震災とともに消えてしまったのかもしれない。

  別に小泉親子を人々が礼賛しようが一向に構わない。繰り返しになるが、

 競争力が1位から34位になると、そうも言ってられない。この期間はほぼ

 阪神淡路大震災後と重なる。

◎ 前にも言ったが「ジョンソンさんはイギリス人だと思ってない」(企業連合

 国家は「戦争よりソロバンで解決する」は私の発想ではなくイギリスに学ん

 だもの。イギリスのウクライナへの肩入れはジョンソンさんであってイギリ

 スではない)と。私としては、ジョンソンさんが辞められるとやらで満足だ。

 果たして日本の場合、ジョンソンさんと同様のことが無かったと言えるのか。

 そうとも言えまい。そして「忖度の日本。離縁状のイギリス」を自覚すべき

 だ。やっぱり自分がない。

 

☆ 自己喪失の原因

◎ 平田オリザさんが、神戸新聞で述べられていたが、東京では公立の小学校か

 ら、公立の中学校に進む生徒はグンと減るのだそうである。びっくりした。私

 の住んでいる所では、私たちの時と同じく、多くが地元の公立小学校から地元

 の公立中学に行っているので、全国どこでもそうだとばかり思っていた。

  でも、中身は濃淡はあれ似通っているかも知れない。一番ポピュラーなのは

 水泳かも知れない。学校に入る前から教室に通う。勉強の方も入学前に通うの

 が当たり前かも知れない。自ら考えて行動するというよりは、まずはお仕着せ

 から始まる。勉強、スポーツの技量習得を問わず、その方がよいのかも知れな

 い。ただ、東京五輪開催に関して、スポーツ関係者は押し並べて「我々はそれ

 に向かって準備するだけ」の発言だった。特に男子は全部判で押したような答

 えだった。私の知る限り、たった一人、長距離の女子が「人を不幸にしてまで

 参加したくない」と言った趣旨のことをコメントされていた。平和の祭典など

 と言いながら、不都合が生じると「五輪不参加」となり、それに従う。元々は

 好きだからこそ続けていると思うので「大きなお世話。好きにします」と言え

 ばいいのに。いつもそう思う。まるで自分がない。お金がいるなら自分で集め

 る。集まらなければやめる。それだけのこと。

  勉強だって、通るための勉強で、その最短方法のパターンを沢山もっている

 所が有利になる。それを、自分で考えるよりは借用するほうが手っ取り早い。

 余談ながら私が試験で過去問の大切さに気付くのは50代半ばを過ぎてからだ

 った。塾に通っている子供たちはもっと早く気付いているだろう。自分で考え

 る工夫もしていると塾が言っても、それはそれ用のプログラムであって、所詮

 お仕着せでしかない。

  私の育った所は、市川沿いで、毎年夏には大水で茶色の濁流が渦を巻きなが

 ら流れる。そのうねりの川に、月見橋から、部落の少年たちが輪を作り、次々

 と飛び込んで行き、その大波に乗りながら、必死に泳いで川岸にたどり着く。

 その輪の最年少は私で小学2年生だった。それは夏の年中行事でもあった。そ

 れができたのは、市川は自分の庭みたいなもので、夏休みなど毎日そこで遊ん

 で川を知り尽くしていたからだと思う。そのせいか、大人も何も言わなかった。

 これはどう考えてもお仕着せとは言えない。

  また、部落の山の天辺から、自分の立っている位置より低いところから生え

 ている適当な太さの木に飛び移る。体重で木が撓り着地する。そこからまた同

 じことを繰り返し、ついには山を下り終える。この遊びも一人でよくやった。

 そんなわけで、なんとかジャパンとか、なんとかランドなどは、天然物には遠

 く及ばず、全く興味が湧かない。

  他にも、少年団でやるものとして、泥棒と刑事に分かれて遊ぶ「泥棒」とい

 う名の遊び。泥棒にロープで手足を縛られ、小雪のちらつく山小屋の屋根に放

 り投げられる。そうなると嫌が上でも考える。まず「刑事はいつ助けに来てく

 れるんだろう」。「縛られた手足が痛い」。「寒くてたまらない」。「屋根か

 ら転げ落ちたらどうしょう」。ついには声を出して泣きながらも、頭はぐるぐ

 ると回り続ける。

  祭りや正月前には、各家を回りこんにやくや竹輪などの注文を取り、それを

 仕入て前日に配る。時には隣村まで足を延ばし、荷車で飛び入りの行商をする。

 そして、下っ端は一円札を数枚もらい、勿論上の者が多く取るその儲けの配分。

 だから早く大きくなりたいと思った。

  元旦、初日の出を見るために、午前2時の進軍ラッパで起床し、何故か隣りの

 辻川山に登り、どういう訳か、辻川の人も多く来ているのに、わが井ノ口少年

 団が、麓の田圃を踏み荒し暖をとるため、つぼき(米脱穀後の藁を乾燥と保存の

 ため田んぼの中に作ったもの)を崩し、藁を山上まで運ぶ。田んぼの持ち主も文

 句を言わない。

  2月10日のえべっさんの景品と、とんどの火を守るため、これまたどういう

 訳か少年団が前日社殿に泊まり込み、番をする風習。

    日曜日の朝は決まって、女子は「えべっさん」の社殿の拭き掃除。男子は境内

 の掃き掃除とそのゴミを境内の真ん中に集め燃やす(時には、さつま芋、餅、

 盗んだ栗を焼いて女子を含めた、みんなで食べる)。これも子供の仕事だった。

  また、昼過ぎまでは市川で遊んだ後、午後からはえべっさんで球技をするの

 が習わしだった。そのえべっさんには必ず涼みに来ていた説教爺さんがいて、

 子供を捕まえては説教をしていた。子供もそれを嫌がるというのでもなく当た

 り前として受け入れていた。「民主主義?等々どこの国から仕入はったか知ら

 ないが、そんな、はっきり見えないものなど糞食らえだ。自分の体を通して学

 んだものだけを信じ、そんな言葉のために自分を犠牲にすることはない。学校

 教育?。そんなのやっぱり糞食らえだ。私を作ったのは紛れもなく井ノ口の少

 年団だ」。そして、その中(=説教爺さんに説教をインプットされたこと。)

 では「企業連合国家では警察はいらない(※後述4)」となる(糞くらえは「そ

 のために戦争したり、死んだりすることはない」と言う意味)。

  大人が、子供のためと頭で考えて、手を貸すことなどはもうやめてはどう

 か。体を通さず知識というパッチワークで出来たものが切って血を流すはずも

 なく、人造人間の製造にすぎない。

 

◎ たぶん小学校の3年生のころだと思う。何故そう思ったのかといわれても困

 るのだけれど、家の近くを歩いている時に、ふと、道べりに転がっている丸い

 小石に目が行き「この丸い小石、なんでこんなに自然なのだろう」と思った。

 好き勝手な形をしていながら周りとちゃんと溶け合っている。そして、その小

 石は私がものを見るときの全てのものの中心に居座ることになる。

  以前、モジリアーニの絵を見て、モームの言葉を引用し「彼はハンサムだろ

 うな」と言ったが、やっぱり彼の絵は美しく、自分をごまかすことはできない

 と、思ったからである。

  専門家で大学でも教えておられる方が「太陽の塔は国宝ものだ」とおっしゃ

 っていた。私はあの塔を見るたびに「岡本太郎さんの顔」を連想してしまう。そ

 っくりだからである。そして、それはそんなに愉快になるものではない。それを

 「国宝」と言われると「結局、国宝ってそういうものなのか」とガックリくる。

 「勉強って何なのだろう。本当に必要なものなのか」とも思ってしまう。

  ある大学院を出た青年が、いま、さるプロ野球の応援団をやっているという。

 何をどうやろうが他人に遠慮することなく好きなようにやればいい。そうだけれ

 ど果たして大学院に行く必要があったんだろうかと思う。

  小学校の時、私は漢字が苦手で、漢字テストの結果、成績順に並ばされ、どう

 いう訳か、いつも悪い見本として、みんなの前で担任の先生から「○○があんな

 とこに居る」と名指しされていた。同系統の英語も苦手。今なら小学校の時、不

 登校になっていたかもしれない。でも英語圏で生まれていたらちゃんと話せたと

 思う。英語で飯食う人、何人いるか知らないけれど、随分生徒に負担をかけ、ム

 ダ金を使っているように思う。

  今まで述べて来たこれらのことを解消するのは、結局企業が大卒以上は採用し

 ないようにすればいい。そうすれば、もっと自由に好きなことができるし、小学

 校前からラベル人間になる訓練を受けなくてもすむ。英語などどうでもよく、企

 業が必要だと思えばその国へやればいい。他の分野でも同じ。どこかへ行かせる

 なり、自分たちで必要な研究をやらせればいい。その方がよっぽど効率的だ。

 18歳だと、どんな分野だろうと十分間に合う。18歳では遅いと思うなら中卒

 で採用すればいい。火傷をしないためにも親分は当てしない方がいい。前にも言

 ったように借金まみれの企業は相手にしないはず。とは言え「「改革などない」

 という考えの持ち主。だから税金払いながらで、しんどいけれど親分の道ずれに

 ならないように準備するしか仕方がない。そして十分取って代わった段階で、自

 然な流れの中で入れ替わればよい。「我々は企業。最善で現実的なのは安全な国

 に移転することだ」と言われれば「スンマセン」と言うしかない。そうなっても

 90%支持のウクライナ同様、結局は国民の選択(※後述5)。亡国もやむなし。

 企業連合国家は「国境の県境化」を標榜しているので、それも大歓迎だ。とは

 言っても、困る人もいると思うので、それを避けるには、野球の監督さんがよ

 く言われるように、一丸となって企業連合国家で、やってみることしかないと

 思っています。

   

※後述1

1

 ロシアの侵攻、安倍元総理の国葬。いずれも、昔なら、学生のデモがあったと

思う。また、派閥の発生は、自分たちの考えが、既存では我慢できなくて徒党を

組むという一面(それが、戦略であったとしても)=エネルギーがあったと思う。

しかし、今はない。安倍政権通算在職日数3188日。しかも色々一杯あった。

本当はなにをどう動くかわからず、若手にそういうエネルギーのマグマもなかっ

た。それが最長の最大の要因だと思う。

 国民民主党の玉木雄一郎さんが、国力を揚げるために科学技術振興に力を入

れる、とおしゃっているが、正論で私もそう思う。しかし、肝心のその対象者に、

先ほど触れたように、エネルギーがない。だから、まず「エネルギー源を生み出

すにはどうしたらいいか」から取り組まなければならない。昔は、それでも企業

にはその元となる「村」があったが、既述の通り、今はそれもない。いままでの

教育システムは1位から34位へ落としたのだから、言い訳の出来ない失敗シス

テム。一度にそうは行かないと思うけれど、是非高卒で、ごまかしの効かない物

作りを通して、それに取り組むということも,この中には含まれている。是非試し

てほしい。

2

2

今日(2024/7/23)たまたま、NKHの12チャンネルで國枝慎吾さんが「メンタルもテクニック」と言ったことを言われていた。

その言葉から、ふと昔のことを思い出した。

官僚試験で優秀な成績で合格したある方が、一番でなかったから、もう一度「受けなおす」と言ったというのである。

我々庶民からすれば、雲の上の話である。

つまり、「一番」と言うのは「そういう心の立ち位置を獲得する」と言うことなんだと思う。

「このことは教科書について審議されている方々が一番よくご存知のはず(2021/10/18投稿文)」は、そのことを言っているのであり「彼らに庶民の立ち位置など端っから抜け落ちている」と言いたかったのである。

そうではなく、勉強などどうでもよく、もっと自由に活力一杯大きくなることが大切で、そのためには、大卒は採らないことを試すべきだ。

 

※後述2

 教養課程では、専門科目以外の科目も取らないといけないということで、何

だったか忘れたが、自然科学系のものを取った。そんな関係で教室には一杯の

生徒がいた。その教授は、何でも朝永振一郎さんの親友だと言うことで、科学

の素晴らしさを、とうとうと述べられた。それを聞いていた私は、ついムカッ

として、立ち上がり「偉そうに。あなた方は単に趣味に没頭しているだけじゃ

あないですか」とやらかした。そして、何をしゃべったか覚えていないが、勢

いで言いたいことをまくしたてた。しゃべってはいたものの、だんだん、心の

どこかで「これ、俺の負けだな」と感じていた。というのは、大人数の生徒の

前で、言わば恥をかかされたような場面であるにも関らず、教授は手を後ろに

組み、すこしうつむき加減のまま、教壇を行ったり来たりしながら黙って聞い

て下さったからである。やがてチャイムで私の独演は終わる。試験も白紙で出

したか、勝手に自分で問題を書き直し、それに対する答えを書いたかだった。

勿論、単位がもらえるとは思っていない。さて次は何を取ろうかな、と思いつ

つ、通信簿を開くと、なんと「優」がついていた。私の完敗である(今ならど

うなるのだろう。皆さん仕分け上手だから、それはそれ、これはこれとして

処理されるのかなあ。それとも、いちいち制度を作らないと動けないのかな

あ)。

 

※後述3

 記述の通り、子供のころ、夏休みなど、市川へ行って、泳いだり魚を取っ

たり。川の真ん中に石を積んで造った壁までの往復で水泳競争をしたり。午

後はえべっさんでソフトボールなどをして一日中遊んです過ごした。そして

それらはほぼ裸足だった。

 今から約四十年ほど前、たまたま、子供の遠足に同伴し、小川に裸足で入

った。昔の記憶があるから、へっちゃらだと思っていた。ところが、間もな

くして、足の裏が痛くてたまらない。やがて痛さを通り越して、気分が悪く

なり、ついにその場に倒れこんでしまう。こんなはずじゃあない、と思って

もどうにもならない。そしてその時、ようやく自分は脳で考えて行動してい

るつもりが、そうではなく、肉体をほったらかした報いとして、肉体に復讐

されていることに気付く。また、既にブログに書いたが、射撃をやっている

人から「無性に何かを撃ちたくなる時がある」と聞いたことがある。

 

※後述4

 説教爺さんと井ノ口の少年団で育ったら、そこでつくられた規範は社会規

範と重なり無理なく移行できた。だから、企業連合国家からはみ出る心配は

あまりしなくていい。それに、罪を犯すと、企業連合国家にいられなくなる

こともそれほど無理なく受け入れられる。では今はどうか。このことだけで

は片付かないような気がしている。一時よくあった学級崩壊がどんなものか

よく知らないけど、当の本人に悪気はなく、普通に自分を出しているだけだ

と思う。それが周りを引きずり、徐々に全体へと伝播していく。今は「本人

の為、全体の為」という仕切り方で、別個の集団で扱っているのかもしれな

い。

 私たちはどうだったか。私の経験からだけだけれど、Kチャンという子が

いたけど、ごくごく普通にみんなと一緒に同じようにやっていた。そいう

方面の学問もそんなに広まっていなかったからかもしれない。今と少し違

うと思うのは、卒業後の事。Kチャンからけっこう離れた所にHさんとい

う、わりと可愛い女の子がいた。女の子ばかりだったので、Hさんが跡を

継いでいた。同窓会があり、ある女性が「Kチャンは、なにかあるとHさ

んの所にやってきて、ああだった。こうだったと報告に来るのよね、Hさ

ん」という。それを聞いてHさんは、しずかに笑いながら「ウンと頷く」。

地域でどうのこうのと言いながら、とてもやないが、それには及ばない。

恥ずかしながら、私も40年以上住んでいて向こう三軒両隣のご主人と何

度話しただろう。片手で済む。一方行政は「なんとか大学」をやってい

る。やっぱりどこかおかしい。

 

※後述5

某テレビで、防衛費GDP2%、1%、ともう一個。たったこれだけを示し、台湾を守るため中国と事を起こせば、沖縄は攻撃されるであろうから、絶対有り得ない「国民の生命と財産を守る」という詐欺的議論のなか、アンケートを取っていた。このアンケートは明らかに詐欺幇助的。そして、結果は2%OKが90%。一方、多くの人は「増税NO」とか。90%の人が2%OKなら増税OKのはずがそれはNO。岸田さん、民主主義国家の運転大変ですね。矛盾はこれだけではない。核を持っている国が、持たない国が持とうとすると悪魔呼ばわり。我々もそれを意識することなく受け入れている。結局、露、中国に関わらず「強いもん勝ち」。それでも欧米は「正義づら」できる。民主主義とはケッタイナ主義。そして、学校で「正義の味方」として9~16年間教える。

でも、この矛盾、企業なら普通はない。「設備の拡張OK」。但し「設備投資NO」とは従業員、普通は言わない。同じく「設備の拡張OK」。「但し、給料減額」とは社長、普通は言わない。やっぱり、企業連合国家の方がまともだ。

でも企業には「倒産」がある?。民主主義国家の治者は「倒産でも存続可」。やっぱり企業の方がまともだ。

 

 

【2 父親は「死んでやっと身内。それもせいぜい7割以下のどこか」と

  いうガラスの天井】

 

 以下は別途に投稿するつもりでした。しかし【1】との関連で続いて載

せることにしました。プロ野球の監督さんじゃあないが「軸受けなしの軸

だけ社会」(※後述6)では優勝できないと思うからです。

 

☆ ガラスの天井はあってはならないものなのか。

◎ 女性は庇護の対象か。

  私が子供のころ、井ノ口部落を仕切っていたのは区長さんではなく婦

 人会長でした。私の生まれた井ノ口では2月10日に「えべっさん」が

 あります。多くの出店の中、いつも一等地にデンと店を構え、並み居る

 男たちを顎で使っていたのは大柄の女性でした。その光景を物心ついた

 時から見ていました。

 

  中学の社会の先生は、教科書を家で「必ず3回読んでくるように」と

 言うのが決め台詞で、国語の苦手な私にとって、それはとても苦痛でし

 た。そんなことをグチグチ言っていると「そんなん、1回読んだらええ

 んや」と私の幼なじみの女性が珍しく怒ったように言いました。「なる

 ほど、一回読んだらええんか」と気付いた時、私はもう35を過ぎてい

 ました。

  さらにその幼なじみは、私のことを「喧嘩友達」と言いました。幼な

 じみは授業中、先生の質問に対し手を挙げることはなかったけれど、ク

 ラスで誰も答えられないと、先生も心得ていて、必ず彼女を指名し、彼

 女はすらすらと答えました。それはクラスにとって川の流れのごとくご

 くごく自然な光景でした。そんな彼女が喧嘩などするはずもなく、勿論

 私も喧嘩をした覚えがありません。だから「喧嘩友達」と言われてもな

 んのことかさっぱりわかりませんでした。が、ある時ふと「なるほど彼

 女にとって俺は喧 嘩友達だったんだ」と合点します。その時、私はもう

 60を過ぎていました。そして「一生かかっても15歳の彼女に追いつ

 けない」と悟ります。と同時に、私が人を見るとき、男女にかかわらず、

 幼なじみを通していたことに気付きます。

 

  既述の通り、終戦直後の日本を実質的に支えたのは「谷間の世代女性

 群」。戦後の総ての人々は決して彼女たちに足を向けて寝てはならない

 と思っています。

 

  このように、私にとって女性は庇護対象どころか、物心ついた時から、

 でんと構えた不動の山のような存在です。それに庇護対象なら、とっく

 にこの世から消えているはず。ところが実際は男性より長生きです。世

 の中の雰囲気に流されることなく、男性も女性自身もありのままを見て

 はどうですか。

 

   そして、山は山だが、ありのままの女性の山にはこんな山もあります。

 ある時期、生徒さん達を通して先生方と接する機会があった。男性の先

 生方は総じてそういうことはなかったけれど、女性の先生方は、生徒に

 対する寄り添い方が、小学校、中学校、高校ではっきり区別できた。小

 学校の先生方は、生徒より、中学校の先生方は中庸、高校の先生方は、

 確かに生徒が一方的に悪いのだけれど、自分中心で機関銃のように生徒

 さんを責め立てられた。

  少なくとも私の経験範囲内では例外は無かった。

  ある時期、塾で教えたことがあるのだけれど「そんなことせんと頼む

 から勉強してくれ」と言いたい時もあったが、女生徒には絶対「勉強せ

 よ」とは言わないと決めていた。彼女の夢は先生になることで、幸い現

 役で自分の希望通りの大学に合格した。そして最後の授業で、なぜ「勉

 強しろ」と言わなかったか、その理由を自分の体験から説明した。確か

 に先生として実績を残し生徒さんや父兄からも賞賛されると思うけれど、

 一方で、生徒に険しすぎる山で臨むと、必ず、登れない生徒が排除され

 る。そういう先生になってほしくなかったからだと。こういう話は18

 歳では、なかなか実感として納得してもらえないと思うのだけれど幸い

 私の説明にピッタシの女の先生の授業を受けており、彼女も十分納得し

 てくれた。では、私の説明にピッタシの女の先生は悪か。必ずしもそう

 とは言えない。むしろそれは、神が女性に与えた特権を行使しただけか

 もしれない。しかし、それは同時に凶器にもなる。

 その回避は、女性自身がそのことに気付き自身でコントロールしてもら

 うしか手立てがない。それが、私が女生徒に説明した所以である。

  女生徒の塾での軌跡は「勉強せよ」とは一切言われず、偏差値をグン

 と上げ、有名大学に合格したわけでもなく、しかし自分の希望する大学

 に行く。そこにはなんのドラマ性もなく歴史にならない。しかし、自分

 の「さが」と向き合う一つの切っ掛けとなったとしたら幸いである。

 

◎ 日本におられる外国の方は、姿かたちや立ち居振る舞いも、だんだん

 日本人と変わらなくなるように思います。ベニシアさんはその典型例か

 も知れません。同じようにスタイルも良く、とても綺麗な女優さんです

 が、活躍されればされるほど、その体の中から八千草薫さん(=女性らし

 さ)が消えていく。男にとってはとても寂しいことです。今の風潮の中で

 は女性は女性でなくなり男性も男性でなくなるような気がします。それ

 は、環境問題と同じくいつか反撃を食らうかもしれません。既述の通り

 「軸受けなしの軸だけ社会」を目指すのは誤っていると思い

 ます。出生率の低下はその現れかも知れません(テレビで見る限り子沢

 山の大金持ちと言う例は見たことがない。だから経済的な理由で子が産

 めないというのは、本当でもあるが噓でもある)。あるいは車で放置さ

 れ死亡するというのは、そのしわ寄せが、もっとも弱い子に向けられた

 例かも知れません。軸をわが子とし、親が軸受けに徹していれば、決し

 てそんな惨事は起きなかっただろうと思います。

  それでもなお、女性が不平等の立場にあるとして、すべてを「男性と

 同等に扱うことを主張する」というのであれば、以下のことを解決して

 からにしてほしい。

  男にとっての「ガラスの天井=子どもが産めないこと」。

   このガラスの天井は強烈で、子から見て「母親は生まれる前から身内」。

 だけど、父親は「死んでやっと身内。それもせいぜい7割以下のどこか」

 です。

  男は有史以来、この不平等を受け入れて生きて来ています。

  女性の皆さん、神さんから贈られたそんな素敵なプレゼント、どうぞ

 大事にしてください。

 

 

※後述6

 ☆選挙で投票用紙に孫(ソフトバンク)さん、三木谷(楽天)さんと書こう勝手連2―(4)。

  2022年3 月26日投稿分の※後述2

 

 

          2022年7月16日      井筒屋弟二郎