「日本には何でもある。でも愛がない」(2024/7/5 18:16 配信BUSINESS INSIDERより)
以下は2024/7/1 の私のブログからです。
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[選挙は一体誰のためのものか?
三選を狙う小池さんには、名参謀がいるという
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★「現政治の喫緊の課題」、しかも「東京がその最前線」の「愛の無機質化=都知事選の諸現象」はAIも一つの「元凶」。にもかかわらず「AIゆりこ=小池百合子」は「その認識がない」証拠
★「最重要課題」に「小池」は自ら「無能だ」と曝している
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★「政治の対象」は「人」
★故に「政治家資質」=「他人ファーストにできる人」
★つまり「自分ファーストの人」=「小池」=「政治家資質ゼロ」
★故に「小池支持」の「自民、公明、連合、国民は『政治』=『当選』」と宣言している事になる(以下略)]
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自民党(他公明、連合、国民)はもう政治家集団としてみない方がいい。
既述のように「谷垣さんが総理総裁になれらかった時から、日本の議員気質の変質ははじまっていた」。
にも拘らず、竹下さんの「怨霊は一度はいいが、二度はいかんわな」を受け継がなかった。
「人としての『道』を感知しない人」を「政治の世界で許容」するのは「絶対あってはならない」。
私が「愛の無機質化」を感知するきっかけは、イタリア映画『道』→『甘い生活』→『8 1/2』を見た時だから、もう半世紀以上も前の事です。
それを文章にしたのは35年ほど前。
「神戸の少年A」関する出来事は「愛の無機質化」の具体的な顕在化。
東須磨小学校での出来事は、こともあろうに「教育の場」で顕在化したことを意味する。
さらに、既述の通り「自民党が『選挙に勝つにはどの顔がいいか』を基準に『総理総裁』を選ぶとしたら「A少年症候群=愛の無機質化」が「国会のど真ん中に鎮座する」ことになる。
別の言い方をすれば「銀行筋」が、日本政治の舞台から「消滅する」ことを意味する。
「そうはいっても『選挙に勝つこと』が政治の最優先」だとするならば、「なぜ、自民党の中で、単純な法違反」をやったり、逆に「銀行筋の継続方法」を法制化するなり、しなかったのか?。
特に「新人は選挙だけに専念すればいい」などと言う事を「長期にわたって許したのか」。
「政治の在り方」を「日々改革」しなかったのか?
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そいう世相に流された、選挙人の我々が一番悪い。ということになる。
とりあえず「日本には何でもある。でも愛がない」と指摘される現実を認識し、受け入れることから始めよう。
その原因を、見つけ、どうすれば解決できるのかを考えよう。
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私は、このことのためにブログをはじめた。
その結果の私の答えは「企業連合国家」です。
日本では、受け入れられるかどうかわかりませんが、
郭台銘さんが、「企業家による政治の時代」と言われた時は、ビックリもしたけど
「心強く」もあった。
2024年7月6日 井筒屋 弟二郎