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 今日は大会についてちょいと。


「大会」と聞いてどんなイメージがありますか?


「今までの成果をぶつける場」


「入賞目指して頑張る場」


「ライバルたちと年に一度切磋琢磨する場」


「輝かしい場」


そういうイメージもあるかと思います。

 

一方で


「裏方で招集をかけられる」


「休みが潰れる」


なーんて言うのも、紛れもない大会の一側面です。


大会には「出場拳士」と「裏方(実行委員・スタッフ・審判)」がいて成り立ちます。片方だけでは成り立ちません。


両方で大会に関わるタフな人以外は、どちらか片方の側面の気持ちに偏りがちかもしれません。


自分と違う立場を考える

 

裏方


基本的にスタッフはやりたいものではありません。


表彰されるわけでもなく、休みが奪われて仕事が増える。大会終了後の撤収まで、気が抜けません。好きな言葉ではないですが、コスパ・タイパで言うと最悪に近いです。


ですが、消化試合のようにする訳にはいきません。出場拳士はこの日のために厳しい練習を積み上げてきました。スタッフ拳士ももちろん修行を積み上げて来ていますが、定点的な目標を定めて密度を高めて演武を用意して来た仲間の「発表の場」を盛り上げてあげたい。そういう仲間への意識が必要となります。


また、そうでなくとも大会裏方には八方目や作務を学ぶ最高の機会です。自分でやることを見つけ、積極的に動くことを学べる良い機会ですね。






出場拳士

 

大会の花型ですね。みんなの輝いてる姿が、出場しない拳士の憧れにもなります。


私も大会に出てた時期に、あまり裏方で頑張ってくれてる人に気持ちが向いていませんでした。


出場拳士よりも早くに集まって作業してくれてる人がいるにも関わらず、大会嫌いな私は「今日大会かよめんどくせーな」ぐらいの気持ちでいました。ほんとごめんなさい。


先日友人と話してて、ある大きな大会でスタッフがまごまごしてたら「もっとしっかりやってくれよ」と言われ残念な気持ちになったと言う話を聞きました。(大会規模が大きくなればなるほど、スタッフもわからないことがありまごつくかも致し方ない所があります)


元々スタッフのことなんて気にもできてなかった私が言うのも憚られますが、「愛」のある言葉がけが大切だなと思いました。少林寺拳法における「愛」は「慈悲」であり、相手を慮る「想像力」です。


大会に出る層は間違いなく動ける人達で、「武」としては確実に組織を支えてくれてる「『行』という字の下の部分」です。ですが、大会出場という場においては、裏方の支えがあってスポットライトを浴びることのできる「『行』という字の上のおんぶされてる側」なのかと思います。


見方が変われば上にも下にもなる、ここら辺が面白いですよね。


このいろんな思いや、いろんな立場が交錯・融和するのが大会なのかと思います。





客人もいずれは主人に

大会に限った話ではありませんが、いつかは人を支える側に回ってほしいと言う思いがあります。


大会で活躍された方が、引退され少林寺拳法から離れてしまうのは悲しいことです。


離れる、と言う悲しさもそうですが、支える側になると言う立場の変遷を体験できなかった、場合によってはそこに価値を感じなかったという点に悲しさを思います。


道院の練習でも、最初は皆様「迎えられる側(客人)」です。技も教えてもらえるし、与えてもらえる側であることがほとんどです(新人に与えていただいてることもものすごくありますが)。

ですがいつまでもその立場にいるのではなく、少しずつ与える側に、そのためには少し自分を犠牲にしてでも、という思いを持ってもらえると嬉しいなと思う限りです。


 

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