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多くの宗教にとって、胎児に対する人間性の解釈は非常にセンシティブなテーマです。「人間はいつから人間なのか」ということなのかと思います。それによって堕胎を認めるか否か、など現実的な問題に発展していきます。

 

もちろん他宗派について、しかもこんなセンシティブなテーマについて私が何か申し上げることはできません。

 

ただ、ふと思うのです。「金剛禅はこの辺どうなの?」と。

 

 

金剛禅の人間観

金剛禅の信条の第一節に「我等は、魂をダーマより受け、身体を父母より受けたることを感謝し、報恩の誠を尽くさんことを期す」とあります。物質的には父母より身体を譲り受け、魂・霊性・人格など非物質的だが何らかその人個人を形作るものについては、「ダーマより受け」と捉えています。

 

「説明はできないが、存在は疑いようのないもの」ですので、まさにダーマといったところかと思います。

 

もう少し突っ込んでお話をすると「ヒト」を「霊止」と捉え、ダーマの一部を宿す「ダーマの分霊」などと捉えたりもします。世界に満ちた不思議な力を分け与えられており、様々な方向に成長していける可能性秘めたものである、ということですね。

 

人間以外の動物は分霊ではないものの「ダーマの分身」などと言ったりするそうです。

 

では、胎児は・・・どうなんでしょうか。

 

 

 

胎児の霊性(ほんとおふざけです)

母体から切り離されて個としての生命を歩みだす前の胎児に、果たして金剛禅総本山少林寺は霊性を認めているのでしょうか?

 

そもそもそんなことが検討のテーマに上がっているところを、私は寡聞にして聞きません。

 

しかし、胎児の霊性の有無、を論じる前の必要条件として「胎児は金剛禅総本山少林寺に入門できるのか」ということが考えられるのかと思います。「犬に仏性はあるのか?」ではないですが「犬は金剛禅総本山少林寺に入門できるのか?」と言われると「いや、さすがに無理じゃない?」となります。

 

犬はダーマの分身ではあれど、ダーマの分霊ではないので金剛禅修行法で修行したとて、その成長が見込めないからです!(言い切っていますが、しりません(笑))

 

では胎児は入門できるのでしょうか?!問題はここです!入門できるとしたら、そこには金剛禅総本山少林寺が「霊性を認めた」と言い得る何かがあるのでないでしょうか!!

 

金剛禅総本山少林寺の入門システムは「入門した月の1日が入門日となる」です。

 

我が息子は、生まれたその日に入門しました。1日生まれではありません。

 

・・・つまり!!!

 

息子は生まれ月の1日~誕生日前日までは、胎児でありながら入門していたこととなります!これはすなわち!本山によって胎児の霊性が担保された、胎児にも霊性があると本山が認めたといえるのではないでしょうか!!!

 

 

(実際は単なるシステム上の要件かと思います。ごめんなさい)

 

 

 

 

 

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