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少林寺拳法の拳の三訓(守・破・離)では、師の『格』に至ること(守)・変形すること(破)・離れること(離)を説いています。
私の記憶では、少林寺拳法の教えで、『格』という言葉が他の文脈で出てくることはないように思っています。
上で引用した過去ブログでは「理に従っていること」を前提に守破離の変化をしていくのがよいのではないか、といったことを書きました。
ここに含みとして入っているのかもしれませんが、師が完全に「理を体現したもの」であれば(そんなことあり得ないですが)、そもそも変形させることもましては離れる必要もないのではないかと思います。
言ってしまえば、師もまた修行中であり、師自体が持っていた『格』をつねに変化させ、また必要とあればいままでの在り方から離れることが必要なのではないかと思っています。
門下生に対する誠実さとは
そんな中、先日門下生から「世間の先生や一般論はこの際どうでもよくて、道院長が最適と思うものを教えてほしい」ということを言われました。
まずは喜ばしい話かと思っています。開祖という偉大な師の前にあっては新入門も古参の先生も等しく兄弟弟子であると思っていますので「こんな小さな存在を師として追い求めるのはつまらんですよ」という思いもありますが、とはいえあまりに遠い存在で、もはや手を取って教えていただくことの敵わないものをいたずらに追いかけるのもまた夢想家にすぎるといいますか、現実主義的な少林寺拳法にはそぐわない部分もあると思うからです。
うだうだと言いましたが、単純にうれしいというのもあります。正直。
ですが、とはいえ私には決まった「この技はこれが一番!」があまりないのです。状況に応じて一番が変わりますし、その「状況」は整理できるほどシンプルなものでもない。
ですので、門下生には申し訳ないことに「そんな最適なものはないんです。。。」という煮え切らない言葉になってしまいました。
(仮初めとはいえ)明確な答えを与えられないことに対する申し訳なさと、とはいえ「これが一番いいんだ!」と言ってしまう無責任さとの葛藤ですね。。。
皆さんはどうされているんだろう。
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