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遅まきながら開祖忌法要を執り行いました。


そこでお話した内容(法話)について、ブログでまとめておきたいと思います。10分程度のお話を文字お越ししたものとなりますので、長くなります。


開祖忌法要とは

まず、開祖忌法要とはどのような法要なのかしっかり理解することが大切です。


こちらについては以前書いたものがありますのでそちらに譲ります↓


開祖忌法要は師匠の法事であり、金剛禅・少林寺拳法というものを作ってくれたことに対する感謝行です。


今回は、師である開祖の法要として「師弟関係」について思うことを2点お伝えしました。


なお、私は少林寺拳法の師匠は開祖1人であり、私も弟子の1人。門下生と道院長ではありますが、師弟関係というよりは先輩後輩関係こそ相応しいと思っています。今回は「教えるものと教わるもの」と言う今の方が近いかもです。



学ぶ姿勢

これは弟子としての私が意識しているものです。特に学生とかに聞いて欲しいけど、社会人になっても大切なことかと思ってます。


今も法話として「私」が「みなさん」にお話をしている。これはいわゆる「一対多」のコミュニケーションです。


でも、私は実は「一対多」のコミュニケーションなんてものは存在しないんじゃないかと思っていて、「一対一」が同時にたくさん行われているだけだと思っています。


どういうことかと言うと、聞く側が「『私たち』に話しかけてる」と思うのでなく、「『私』に話しかけてる」と思うべきであり、そのように思うと自ずと聞き方が変わってくる。ぞんざいには聞けなくなる。ということです。


例えば30人のクラスがあったとして、30人全員が「この話は私に向けた話だ」と思いながら聞くクラスと、「みんな(さらに悪くいうと「私以外の29人」)に向けられてる話だ」と思って聞くクラスとでは、どちらが良いクラスかは明白だと思います。


高校の教師の話

高校時代の教師に「お前らもっと教師を乗せる努力をしろ」と言われたことがあります。


その時は「いや、そんなの自分で乗ってくれよ笑」と思いはしましたが、教師が続けて言うのは


「俺ら教師も人間だし、気持ちが乗れば「これも教えちゃおっかな!」となる。逆に「これも教えたいけど、こいつらに言ってもどうせ聞き流されるしな」と思ったら引っ込めちゃったりもする。俺らから一つでも多くのことを引き出せた方がお前らのためにもなる」とのことで、これはこれで正論だなと思ってます。


乗せる一つの具体的な方法は、先ほどの「この話は私に向けられて話をされている」という意識かと思います。


心にアンテナを

開祖も、法話で以下のことを言っています。


今この空間にはAMラジオの電波が流れている。

確かに流れているのだが、受信できるアンテナがないとその音を聞き取ることができない。ワシが必死になってお前たちに何を伝えようとしても、お前たちに受信するアンテナがないので何にもならないのだ。


厳しいですが、もっともですし、聞く側の態度・意識が大切ということかと思います。


武専での振る舞い

私は武専ではとにもかくにも質問するようにしています。


場を盛り上げるためというのももちろん一つですが、自分に向けられて話をされてると思えば一つぐらいは質問も出てきますし、教師を乗せて一つでも多くの情報を引き出すことが自分の成長にも繋がると知っているからです。


『自分の成長効率をいかに高めるか』そう思うと行動の仕方も変わってきます。


また、全体質問の場で引き出せたら他の人の役にも立てる。良いことづくめです。



『場の空気』の重要さ


質問にせよ、話の聞き方にせよ、やった方が修行・勉強の効率上確実に良いのです。


なのに多くの人がやらない。だからこそ、ここを意識するだけで大きな差が得られる。


このような空気が作られた道院とそうでない道院とでは、成長率に雲泥の差がある。


もし皆さんが修行でもなんでも成長が伸び悩むことがあれば、みなさんの取り組み以前に場の空気がダメなのかもしれない。でも、それは取り組み以前のみなさんの態度で作られるものです。


「受け取り方」はみなさんがコントロール出来るものです。


「返事」「集合離散」「号令」この三つは組織の空気を保つのに必須のものです。これが崩れると崩壊の始まりと思ってます。


「成長できる場」としては、この3つにさらに「学ぶ側の姿勢」が加わると思ってますし、私が大切にしてるものです。これが一つ目。



開祖の弟子の1人として

開祖には当然弟子がたくさんいます。


弟子の中には道院長など「長」のつく方ももちろんたくさんいます。


各々がその箱の中でトップになるので、いろんな考え・主張があり、中には自分の考えと合わない間柄もあるでしょう。


それはそれで非常に結構なことです。私は少林寺拳法は「人間らしく生きる道」だと思っているので、「人が何か意見を持つこと」は自然ですし、その意見が真に一本化されることなんて不自然だと思います。自分の意見と合わない人は、必ずいるものです。


偉大な師匠(開祖)を持つからこそ、開祖のどの一側面を特に大事にしているのか、その在り方は多様ですし、絶大な求心力を持っていた開祖の亡き今、多様な方向性同士の調和の在り方が問われるのかと思います。


でもこれがまた難しい。


自他共楽の在り方


一対一の自他共楽は実は簡単だと思ってます。


第三者が関わってくると複雑になる。


第三者(自分の大切な人)と敵対してる人との自他共楽を考えてみると良いのではないかと思います。


戦争だって「愛する家族を守る為」という美談のようなものに煽られながら人を殺していくわけです。


気心知れた仲間で飲みながら「自他共楽サイコー!」っていうのはおよそ最も簡単な部類の自他共楽です(大好きですが笑)


各国が真に仲良くなくても、戦争が起きていなければ世は「平和」と言われるかと思います。


自分や自分の大切な人を害してくるような奴を相手に、仲良くならずともバチバチの関係にならない距離を保ち、必要に応じて手を取り合える。その自他共楽が私の求める自他共楽です。


そして、戦争を起こさない自他共楽こそ開祖が究極に求めていた理想境なのではないかと思います。


うちの組織も(人数が年々減少してるとはいえ)流派のない一大組織です。「流派がない」ということは「内部で色々ある」ということとほぼ同義と私は思ってます。


師弟関係として、開祖の薫陶を伝えていく小さなハコ(=道院)を持つものとして、同様にハコを持たれてる方との対立等を自分が起こさないように、そのような思いでお伝えしました。


まとめに

弟子としての意識を一つ、道院長を任されてる身からの意識を一つ、お話しました。


師匠の法事として、開祖および道院の皆様に対して捧げるお話とさせていただきます。









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